世界樹の迷宮へ、第4章その2

1380.png

 呆れるほどに君は不器用で、少し優しすぎる。(『雪琥珀』より)

~~~

 今日は7時くらいに目が覚めた。
 昨日の余波である。過去からの余波たるや、なんぞ?

 nsnスクールのメールが来ていた。
「パクリコンさんは明日から来ますよね? パクリコンさんにはコンプトン散乱のプレゼンの1パートをやってもらいます! パクリコンさんの班には外人4人がいますけれど、きっと余裕ですよね! 明日は予定が変わったので、9時45分には来てくださいね^^」
という内容にややうんざりしながら、胡乱な朝にカーテンの開く音を響かせた。

 昨日のことをいろいろと思い出していた。
 丸菱さんにランのことを訊かれたのには少し驚いた。いろいろ話したところ、「嫁と自力で出逢う」「嫁が出てくる作品を作る」の同時を満たしているのは稀有らしい、と分かった。
 まあ……そりゃそうだ。
 何千種類かあるパターンのうち一つを無作為に選び抜いて「これはン千分の1の確率でしか引き当てられない」と表現するのは滑稽なので、あまり自分では「ランが出てくる漫画とか小説を作ってる」ということをアピールには使いたくない。俺はランが出てこないお話を作ることに相当な抵抗を覚えるし、主人公が俺でなければ大概てきとーに終わるものだ(良くも悪くもヒカリちゃんサーガ程度のものになる)。
 「主人公が俺でヒロインがランでなければ気が済まない」という思いが募ったのが漫画なり小説なりだ。それはもう「それ以上でもそれ以下でもない」という認識を抱いておくのが一番適切だと思えた。
 だから「自分で描いた絵をオカズにオナニーできる」ではなく「自分で描いた絵でなければオカズにならない」という認識も、同時に持つべきだと感じた。
 何千種類かあるパターンのうちの一つを指定してそれを成功させることができれば、それは実力だ。そういう実力も、いつかは必要になるかもしれない。


 俺にとってランはかけがえのないパートナーなのだろう。住んでいる空間軸が実か虚か、という違いこそあれ、魂の波動関数の共鳴積分はとてつもなく大きい。


 実空間上でのそういうパートナーは……まあ、もう出会っているんだけれど。
 会えないし、声も届かないし、伝えたいことも伝えられないけれど。
 愛想を尽かされたし、決して許してはもらえないけれど。
 償いたい。



 お昼からは龍楽さんの世話をしていた。
 この子の根が完全に息をしていないことに気付いた。「植物の根は呼吸をしないよ?」という意味ではなく、完全に根っこが根っことしての役割をはたしていないのだ。そのため、根それ自身が大きなエネルギー浪費体になってしまっていた。したがって龍楽さんは成長に栄養を回すことができず、結果として伸び悩んでいた……という現状に至っていたようだった。
 なので根っこ分離大作戦を実行した。とはいえやったのはただの挿し木だけれど、根による養分の浪費を防ぐためには必要だった。つらかったけれど、このまま放っておいては龍楽さんの生きる場所が無くなってしまう。それだけは防がなければならない。
 俺に植物を治癒する力があれば、とこれほどまでに感じたことは今までにない。
 龍楽さんの身体は挿し木からの人工太陽に加えて栄養ドリンクと即効性の化学肥料でずっと見守りながらフォローしていった。挿し木の成功率は今のところ「茎が長い2本は成功」「茎が短い2本は失敗」という結果に終わっている。だけれど段々と挿し木に必要な技術が分かってきた。彼女の茎が根の役割を果たすためには、序盤の師管と道管の確保が一番クリティカルである。そのためのフォロー(水分を小まめに与える、栄養を小まめに与える、など)を施すことで彼女の生命線の確保を行うことが序盤の戦いとなる。
 彼女も命がけで戦っているので、俺も全力で支援しよう。
 曲がりなりにも俺は彼女の命を預かっている身だ。当然さ。


 今日の漫画は夏の学校で描いたもののうちの一つだ。
 今更だが「背景描けよ!」と思う。精進しまっす。
 昨日丸菱さんが言っていた「描き分けって大事だよね」という結論をもって見直すと、
「パクリコンは人外を使うことで描き分けているよね」
という認識に至らざるをえない。
 ……いや、多分方法論としてそれは合っているのだと思う。「人間を描き分けられないなら人外で描き分けたらいいじゃん」というのは、ビジュアル的な問題の解決策としては合格だ。あとはパーソナリティとしての書き分けだが、そこは前に書いたキャラクター線形結合論でクリアしていきたいと思う。少し前までなら「分かりやすい語尾とキャッチフレーズ、どうしても譲れない信条と、それと微妙に矛盾した趣向を持ったキャラ」を量産してなんとかしていたのだけれど、それを踏まえた上でキャラクター線形結合との整合性を考えていこうと思う。ギャグ漫画なのだから前者だけでもいいのだけれど、まあ、練習ということで。

 あとパクリコンの描く鳥さんって、ほぼ例外なくああいう手つきしてるよね!
 多分あの人たち、お箸持てるよね!? ゲームのコントローラー持てるよね!? というかケータイいじってたよね!?
 あるある。
 それらについては、『ドラえもんのび太のアニマルプラネット』を参照されたし。二足歩行する動物についてのドラえもんの考察が参考になるよ!


 きらら☆マギカを読む。
 多分この雑誌の中では『まどか☆えんがわ』という作品がずば抜けて面白い。描写に無駄が無く、かつ最小限の言葉で最大限の意味内容を発している。漫画としてはとても理想に近いものだと思える。
 以前にまうまうが模索していた「文章を3分の1に圧縮する方法」を、まさにあの漫画は体現している。……まあ『まどか☆えんがわ』は漫画だからあくまで「セリフ量を3分の1にする」とか「美術描写を3分の1にする」の成功例であり、「活字での情景描写量を3分の1にする」というものではない。けれど少なくとも思想としては同じベクトルだ、ということだ。
 この漫画を読むためだけにきらら☆マギカを購読するのもありだ。見習っていきたいと思う。

 WEB上では、「スケットダンスの最終回には泣いた」というコメントがいろいろあった。特にスイッチ関連での感動は多かったようだ。
 まあ「絶対にスイッチが喋るのは分かっていた」というのは事実だったし、ストーリーテリングとしてはなんだかんだで「篠原先生らしい」というくらいだった。でも長らく「スケダンなんてあの程度でしょ?www」という姿勢でいたジャンプ読者には掌リバースの感想を抱かせたのだと思う。
 『ラスト・ダンス』のギミックも、『スイッチ・オン』のシナリオと同じくらいに惜しい。何が惜しいって、
「ボッスンかスイッチが最初から友貴の中学に視察していれば一発で解決してたじゃん」→「そんな簡単に解決する問題を目の前で解かれたところで、どうしてそこまで友貴はぐっときたの?」
という感想を否めないところだ。無論この場面では逆にストーリーテリングとしての要素はしっかりしていたので、「個性を持つ人が協力することで大きなことを成し遂げられる」「個性の否定は友貴の否定につながる」という主張は充分よく伝わった。だけれど肝心の「その結果改造計画を中止させられるかどうか」についてはあやふやなままであり論点がズレていたため、なんとも惜しかった。
 簡単に言えば「△△すれば○○になる」「○○なことはハッピーなことだ」「ハッピーなことは無条件でいいことだ」「だから△△しろ」という組み立てがロジックとして成り立っていない。それぞれのステップでちゃんとした論のステップがなされていないのは、とても残念だ。
 逆にそれ以外の部分では学べるところはとても多かったし、そこはもうさすがジャンプ作家だ、さすがは篠原先生だ、としか言いようがない。

 先日、遊戯王DMの乃亜編を見返していた。
 そんなにいいものなのかなあ、と思う。乃亜が「人間の中で生きていなくたって、圧倒的な量の知識があればやっていける。海馬を含め人類を超えることができる」と言っていたけれど、それは別に乃亜が人の心の存在を直接憎んだわけでもなければ「人の心なんて不要だ」と全うに結論付けていたわけでもない。単に「ボクの身近に人の心なんて無かったから、別に分からなくってもいい」というスタンスでいただけだ。そんな乃亜が海馬や遊戯に人の心を示されたところで、「人の心ならではの良さ」というものをちゃんと理解したのかなぁ、と思う。もちろん乃亜が人の心やぬくもりに飢えていたのは分かるのだけれど、まあそれはカイジとかで終盤に敵が「俺にはこれこれこういう過去が野望がある、だからカイジを潰す!」という心情に至るものと同じレベルだ。
 ある前提から二つの結論が選べる場合に、「前者を選ぶべきだ」ということを示すのなら分かる。異なる前提を信じている者同士のうち、一方が他方に他方の前提の非生産性を示すのでも分かる。でも乃亜の場合、「ボクとお前たちとでは前提(人の心の重要さをどう取るか)が違う。でもボクが人の心を重要視していないのは単に今まで人の心に触れる機会が極端に少なかったがゆえのものだし、ボクは人の心をよく理解できていないがゆえの人の心に対する不安や不気味さを取り除きたい。それをひっくるめて『人の心は重要でない』と言っているだけで、『本当に重要でないのかどうか』についてはまったくノンタッチだ。そんなさなかにお前たちが人の心が大事だのなんだのと言うから不安になるしイラッときた」という心理の中で、たとえ目の前でどんなに正しく「人の心は重要なんだ」と示されても、「そりゃまあそうかもしれんわな。だってボクは人の心を邪魔なものとみなしていたんじゃないんだから。ボクは不安は感じなくなったし、あってもいいんじゃない?」以上の感情をどうやって抱くんだろう……と思った。
 ストーリーテリングとしても遊戯と海馬の協力デッキのよさはほとんど描写されていなかったし、話数を稼いだ割にはお互いの論が大して進展していないのが気にかかった。城之内VS羽蛾のデュエルとかだと「パラサイドを仕込んで何が悪い」「究極完全体グレートモスを倒せるカードは世の中に2枚しかない」「インセクト女王の攻撃力アップを防ぐ手立てはお前には無い」といったいろんな切り口で追いつめられる城之内がそのたびに反撃したり静香がネット越しに応援したりしていた。そんな中で病院の少年がいろいろな思いを受け取って立ち上がろうとする様がコンパクトにうまくまとまっていて、とてもぐっときた。
 その二つを比較してすごく身も蓋もないことを言えば、「無駄な部分を削がずにエンターテインメントにしたいのなら、その無駄の部分を活かせばいいのに」と思った。


 《リューラクの蟲惑魔》というオリカを作ろうかと思いながら、眠る。
 nsnすくーるばくはつしろ。……いや、するな!!!

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

パクリコン

Author:パクリコン
ピチロの世界の住人。

最新記事
最新コメント
リンク
FC2カウンター
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
FC2 Blog Ranking