白雪姫、改。後編6

 王城が激動の瞬間を迎えてから、朝と夜が一度ずつ訪れました。

 レビアはベッドの上でううんと唸り、上体を起こしました。きちんと拭ったはずの血がわずかに股間にこびりついてあり、いまだに鈍痛が残っています。
「水が飲みたい……」
 レビアはそう呟きつつ、もそもそとベッドから這い出ました。レビアはベッドに残されたパクリコンを見やり、おのずと安堵を得ました。これでもうパクリコンの身体は大丈夫であろう、と思えることはレビアにとって何よりもの安らぎだったからです。
 レビアはベッド脇に水桶を見つけました。
「これは確か水を飲むためのものじゃなくて、手を洗うものだっけね……」
 レビアはぼーっとする頭のままその水桶をしばらく見つめていました。
「何か着なきゃ……」
 レビアは外に出るために、傍に散らかしてあった服を手に取りました。

 レビアが部屋の外に出ると、大きなステンドグラスからわずかに朝日が差し込んできていました。
「いいねえ、こういうのも」
 レビアは大きく伸びをしました。清々しい空気が肺の中にたくさん流れ込んできます。
「さてと、……どこで水が飲めるかをあたしは知らないけれど、まあ探せばいいかな」
 そんなことを口にしながら、レビアは何の気なしに部屋の前の廊下を左に折れました。
 するとそのとき、コツコツという音が響いてきました。レビアが振り返ると、そこには部屋を挟んで廊下の反対側から歩いてきたランカシーレの姿がありました。ランカシーレは綺麗に整えられた水色のドレスと紺色のトレーン、それにピンクのガウンを羽織っていました。
「おはようございます、ランカシーレ女王陛下」
「おはようございます、レビアさん」
 レビアは深くお辞儀をしました。その姿にどぎまぎしながらランカシーレもお辞儀を返しました。
「いかがなされました、ランカシーレ女王陛下?」
「いえ、あの……」
「何なりと仰って下さい」
 流暢に喋るレビアを前にして、ランカシーレは辺りを見渡しました。すると廊下の隅に立っている兵士がこちらを見ていることに気づきました。
「パクリコンさんの様子をお伺いしようと思っておりました。パクリコンさんは……」
「よく眠っております。今は寝かせてさせあげるほうがよろしいかと思われます」
 再びレビアの頭が垂れた。ランカシーレは大きく息を吸って続けました。
「レビアさん、こちらへいらしてください。二人きりでお話をいたしたく思います」
「はい」
 ランカシーレが回れ右をして歩きはじめたので、レビアはそれに続きました。廊下に立っている兵士はまるでいつもの光景が目の前で起きているかのように、何事も無くそこに立っているままでした。

 ランカシーレがレビアを連れて行った先は大きくて立派な部屋でした。大きさは6メートル四方ほどであり、並べられている調度はどれもきれいにみがかれてありました。
「ここは私の部屋です。おくつろぎくださいませ」
 ランカシーレはそう言ってレビアに目配せをしました。するとレビアは小さく「よし」と呟いて、ランカシーレに話しかけました。
「あー、助かったよ。重っくるしいのってどうしても苦手でさ」
「レビアさんでしたら、たとえ廊下であろうとも普通に私に声をかけてくださったのでよろしいのに」
「ここ数日くらいはそうもいかないだろう、ってね」
 レビアはにへらっと笑って近くにあった小さな椅子に腰かけました。ランカシーレもドレスの裾に気を遣いながらベッドに腰を下ろします。
「レビアさんがあのように礼儀正しくお話しになるとは思ってもみませんでした。さぞかしご立派なお家柄でございましょう」
「そんなことないよ、あたしなんかただのじゃじゃ馬だしさ。まあ家は家でそれなりのものだったけれど、今となってはただの小人さんだしね」
「あの……それなのですが、昨日のうちに触れを出して小人という言葉による差別を撤廃するよう申し下しました。これからは貴女方のような人ならざる種族を本来の呼び名で呼ぶように国中に申し伝えました。ですからこれからは小人なる言葉を用いずともお過ごしになれます」
「そうなんだ。ありがとう、ランカシーレさん。気が利くじゃん」
「いえ、そんな……」
 ランカシーレは俯いて、水色のドレスの裾をぎゅっとにぎりました。その様を見てレビアはすっと姿勢を正しました。
「……で、話ってのは何なの?」
「はい……」
 レビアの問いにランカシーレは答えます。
「私は貴女方を大変頼りにさせていただきました。それこそ私の命をも預けるほどに。ですのでそれ相応のお礼をいたしたいと思っております。つきましてはまず初めに、この王城にて貴女方をずっと住まわせて差し上げたいと思っております。いかがでしょう?」
 ランカシーレの言葉を聞いて、レビアは顔色一つ変えずにこう言った。
「どうだろう。あたしはただパクリコンさんについていくだけだよ」
 ランカシーレはその言葉を予見していたかのようにぐっと奥歯を噛みしめました。レビアはそれを見てのんびりとした口調で続けます。
「置いてくれるのは構わないけれど、国の税金で養ってもらうだけの客人扱いしないでくれると助かるなあ。もしここに残るのであれば、何か国のために役に立つことをしながら過ごしたいもん」
「そうでしょうね……」
 ランカシーレはレビアの言葉の中の条件節を何度も反芻しながら小さな声で返しました。レビアは続けます。
「まあでも、そう言ってくれるとみんな喜ぶんじゃないかな。特にライキチ君やロン君なんかはこの国の最先端の技術や知識に触れた方が楽しそうだし、ラー君やワイちゃんだって国の戦い方を知るともっと活き活きと戦えると思う。ヒジリさんにも持ち前の翼だけではどうにもならないことを一緒に解決してくれる人がいれば、ヒジリさんの事務能力が活かされるだろうし。適材適所にあてがってくれればみんなは文句無いと思うよ」
「……でしょうね……」
 ランカシーレは再び小さく答えました。ややあってランカシーレはぎゅっと水色のドレスの裾を掴む力を強め、レビアの目を見て尋ねました。
「私が一番気にかけておりますのはパクリコンさんのことでございます。私はパクリコンさんにずっとこの王城にいらっしゃってほしいと思っております。ずっとずっと、私の傍に」
「うん」
 レビアは穏やかにうなずきました。ランカシーレはごくりとつばを飲み込んで続けます。
「ですが……レビアさんはそれをお許しになりましょうか? すなわち……私とパクリコンさんがともに暮らすことに対してレビアさんはお許しをお与えになりましょうか?」
「なんでそれをあたしに訊くのさ?」
 レビアは、まるで小さな子供が無邪気な疑問を投げかけてきた時のような笑みを浮かべた。
「だってそれ、あたしが許す許さないの問題じゃないよ。一番大事なのはパクリコンさん自身の意思だもん。パクリコンさんの代わりとして答えろと言われてもあたしにはできっこないし、あたしがダメって言ったらパクリコンさんがどう言おうとダメになる、なんてことはない。でしょ?」
「はい……。ですが……その……。……そうではなく……」
 ランカシーレは言葉を探しているようでした。そして少し間を空けてランカシーレはレビアの目を見つめながら言いました。
「レビアさん。はっきりと申し上げます。私が貴女にお願いすることは、ひとつだけです。貴女は今までパクリコンさんをお癒しになっていらっしゃいました。これからは私がパクリコンさんをお癒ししようと思います。貴女がなさってきたことを、これからは私がいたします。それこそ、一番貴女がパクリコンさんとつながっている部分を、すべてです。……それでもよろしいでしょうか」
「……」
 レビアは一秒ほど空けて、ランカシーレの言いたいことを理解しました。
「ランカシーレさん。あなたにそれは務まらない」
「何故です!?」
「だってあなたは女王様でしょ?」
 レビアの言葉に、ランカシーレは反駁せずにはいられませんでした。
「でしたらなおさら可能でしょうに! 私は女王です。この国の統治者です。ですから私にできないことなどございません! 私がこれまで王女なる身分にいたからという理由で貴女にできて私にできないことがある、だなどと安易にお決めつけにならないでください!」
「……その言葉、あと3分ほどでいいから憶えておいてね」
 レビアはそう言って、少しの間宙を見つめていました。その後レビアはこう切り出しました。
「ランカシーレさん。女王様だから、という理由さえあれば確かにあなたは何でもできる。それは事実だよ。でもね、あなたが女王様だからこそ唯一できないことがあるんだよ」
「何だとおっしゃるのです!?」
「自分の身体を犠牲にすること」
 レビアの言葉は淡々としたものでしたが、ランカシーレは思わず身体が固まるのを感じました。レビアは続けます。
「ランカシーレさんは女王様だもの。いずれはこの国を背負う世継ぎを作らなきゃならない。それも、絶対にランカシーレさん自身によって作られねばならない。だったらランカシーレさんは自分の身体を大事にしなきゃならないんだよ。ランカシーレさんの子宮も、胎盤も、卵管も、それこそ全部ね。ランカシーレさんの身体は決して安くないんだから。だったら……ランカシーレさんにパクリコンさんの癒しは務まらない。務めちゃいけないんだよ」
 ランカシーレはレビアのその言葉を聞くと、思わず身の毛がよだちました。ランカシーレは思い出します。疲弊しきったパクリコンにレビアがビタフォースを与えていたときのことを。ビタフォースを与えるには生命の一番濃い部分を与えるほか無い、と教わったことを。そして女性の身体の器官のうち最も生命の濃い部分はどこか、と考えたことを。
 ランカシーレの五感に、レビアがパクリコンにビタフォースを与えていたときのうめき声や音、においまでもがよみがえってきました。ランカシーレは持ちうるすべての語彙を総動員させましたが、女性が月に一度排する部位の人工授受というシニフィエに対して適切なシニフィアンを与えることができませんでした。ですがレビアがいかなる代償を背負っているかという理解は確実にじわりじわりとランカシーレの思考に入り込んできました。
 ランカシーレはおそるおそる尋ねます。
「レビアさん……ということはパクリコンさんにビタフォースをお与えになっているというのは……すなわち……レビアさんの……」
「うん、そう」
 ランカシーレが言い切る前に、レビアは答えました。それを聞いて思わずランカシーレは思わず立ち上がりました。無意識のうちに自らの下腹部を押さえつつ、勢いに任せてレビアに尋ねました。
「でしたらレビアさんは子供をお身篭りになることができないということでしょうか!? レビアさんがパクリコンさんに差し上げていらっしゃったのはレビアさん自身の胎であったということでしょうか!? レビアさんがパクリコンさんをお癒しになるたびに生命を作る器官を削ぎ落としていただなんて! そんな……! レビアさんが……レビアさんのおなかを……! 未来の赤ちゃんを犠牲にしてまで……!」
「そんなにはっきり言わないでよ。あたしだって結構コンプレックスに感じてたりするんだから」
 レビアは呆れたように笑いましたが、ランカシーレはあたかもこの世の破滅を目の当たりにしているかのような表情でいました。
「レビアさん……何故……!? 何故なのです……!? 何故そこまでなさるのです……!? 何故そのような代償を背負ってまでパクリコンさんをお癒しになるのです!?」
「約束だからだよ」
 レビアは短く答えました。ランカシーレがその答えを理解できないでいるのを見て、レビアは付け加えました。
「ずっと前のこと、パクリコンさんと約束したんだよ。パクリコンさんがあたしを守ってくれる代わりに、あたしがパクリコンさんを癒す、って。パクリコンさんは今までずっと命がけであたしを守ってきてくれた。あたし達が国の警官につかまったときや地下でトカゲの化け物と戦ったときみたいになりながら、何度も何度もあたしをいろんなものから守ってくれた。敵は人だったり、獣だったり、自然災害だったりした。だけれどそのたびごとにパクリコンさんは絶対にあたしを守ってくれた。おかげであたしは生きてこられたんだ。だったらそんなパクリコンさんを癒すのはあたしの役目だよ。あたししかいない。あたし以外ありえないんだ。あたしを命がけで守ってくれる人をどうして命がけで癒せないことがあるんだよ。それ相応に報いてあげなきゃ。……ね?」
 レビアはにこっと笑いました。一方でランカシーレは再びぐっと奥歯を噛みしめてベッドに腰を下ろしました。
 レビアは椅子に座ったまま足をぶらつかせており、ランカシーレは水色のドレスの裾をぎゅっと握りしめます。
「一つだけよろしいでしょうか」
 ランカシーレは言いました。
「レビアさんにとって、パクリコンさんはどのような存在なのでしょうか」
 ランカシーレの問いにレビアは分かりきったことを答えるような口調で返します。。
「あたしはあたし達の関係に肩書きなんてものを付けたこと無いよ。だけれど強いて言うならパクリコンさんは――」
 レビアは一瞬虚空を見つめ、そしてランカシーレを見てにっこり笑いながら答えました。
「ご主人様、かな」
 レビアは、みんなには内緒だよ、と付けくわえました。ランカシーレはただただ目の前に立ちふさがる大きな壁に愕然とするばかりでした。

 その日の昼食になると、パクリコンがようやく部屋から出てきました。かつて小人と呼ばれていた仲間の六人は喜び、一緒に昼食を食べようという流れになりました。
「にしてもでっかい食堂だなあ」
 パクリコンはレビアの肩を借りて歩きながらつぶやきました。
「ただの食堂じゃないと思うよ。だってここにはテーブルが一つしかないし、椅子だって立派なのがちょこっとあるだけだもん」
「ほんとだ。……じゃあここは……」
 パクリコンが考えを巡らせていると、そこにランカシーレが現れました。ガウンの長い裾を棚引かせながら幽雅に歩くその様はまさに女王の名にふさわしいものでした。
「おはようございます、パクリコンさん。よくお休みになれましたでしょうか?」
「ああ。おかげさまでばっちりだよ、ラン」
 パクリコンはまるでいつも通りの日常に置かれているかのような口調で答えました。
「大変よろしくございました。では昼食をいただきましょう」
「うん。……でも、ここって本当にご飯食べるところなの? あんまりそういう風には見えないけれど」
「でしょうね」
 ランカシーレはくすくす笑いました。
「なぜならここは私個人の食卓だからです」
「ええっ!?」
 パクリコンは目の前に広がる十数メートルものテーブルを眺めながら、言葉を失ってしまいました。

 昼食は焼き魚に新鮮なサラダ、それに焼きたてのパンでした。
「パクリコン、聞いてくれってーの! 昨日軍隊の偉い人に俺のフォースを見せてやったら、すんごい感動してくれたってーの! なんか知らんが、俺のフォースを軍隊で活かしたいって何回も言われたってーの!」
「ほう、そりゃまたすごいな。なんてったってお前は東門をめちゃくちゃにした張本人だからなあ」
 パクリコンはラーの興奮した活躍談に対してなんだか他人事のように言いました。するとワイが付け加えました。
「おれっちも軍隊の人に褒められたのさー! おれっち達が使うフォースはそんじょそこらのピチロとは違うフォースだってことも認めてもらえたのさー! ここで鍛えればおれっちやラーはもっと強くなれるのさー!」
「そうか、それはめでたいなあ」
「それもさることながらだ、パクリコン」
 今度はライキチが口を挟みました。
「この国の科学技術はすさまじい。俺の知らない理論がたくさん使われていて実に緻密な機械がたくさん作られている。技術それ自体もとても洗練されていて、俺にとってはまさに未知の世界だらけだった。なあ、ロン?」
「はわわわわ、この国の薬草学の知識を目の当たりにするだけで俺はおなかいっぱいになったぞぞぞぞ!」
 ライキチとロンはあれやこれやとゴットアプフェルフルス国の持つ知識や技術について情熱的に語っていました。パクリコンはそれを聞いて、
「いいことだ、じつにめでたい」
と淡々と頷いていました。
「ひーちゃんはどうだった?」
「私ですか? 私は初生雛雌雄鑑定師の技術にとても驚きました」
「しょせい……なに?」
 パクリコンは、ヒジリの口にした言葉を繰り返そうと四苦八苦していました。
「初生雛雌雄鑑定師、生まれたてのヒヨコの性別を見分ける人のことです」
「あ、そういう名前の職なのね。……ってひーちゃんはそのヒヨコ選別の作業に見入ってたの?」
「それだけではないですけれどね。ほかにも熱せられている鉄の温度を見抜く職人や金属の曲がり具合を調べる職人もいました。そしてなによりすごいのが、それらの職人達の技術をうまく組み合わせることで新しい技術が生みだされているということでした。さっきライキチ君たちが言っていたような技術はこういった細かい職人芸の斬新な組み合わせの上に成り立っている、という様に私は一番驚きました。なのでその背後にある仕組みや理屈に一番興味を持ちましたし、私もその一助になりたいと強く思いましたよ」
「そうなんだ、じつにめでたいな」
 パクリコンはヒジリの言葉に対しても、どこか他人事のような口調で返すだけでした。その様子を見ていたランカシーレは、いつになったらパクリコンがレビアに対して『この王城に来て何に興味関心を抱いたか』を尋ねるのかと伺っていました。しかしパクリコンはレビアに対してそのような質問をすることはありませんでした。それどころかパクリコンはレビアと他愛もない事ばかり喋っていました。
「ここの料理はなかなかおいしいが、同じものを君が作ったらどうなるんだろうな」
「あたしじゃ作れないよ。だってあたしはこの野菜を見たことないもん」
「でも今日見たじゃん。だったら君なら明日には作れそうだ」
「どうだろうね。そのときは味見してくれる?」
「任せなさい。味見は俺のお家芸だ」
「あっはは、そんなこと言ってるくせに実際はあたしより料理うまいんだから妬けるよ」
「ふん、イノシシの捌き方以外なら大抵なんとかなるぞい」
「今度イノシシの捌き方を教えたげるよ。このあたりに住むイノシシは骨格が変なだけで、基本的には豚と大して変わらないから」
「そうなのか。あとは青魚のかっちょいい捌き方も教えてちょうだいよ」
「いいよ。あれも手順さえちゃんと踏めば存外簡単だしね。全部応用でなんとかなるよ」
「へえー」
 そう話していたパクリコンは、ふとランカシーレがパンを運ぶ手を休めてじっとこちらを見つめていることに気が付きました。
「あ、ラン、ここの料理はとってもおいしいよ。さすがは王城の料理長が作ってるだけあるね。こんなの初めて食べたよ」
「はい……ありがとうございます……」
 ランカシーレはそれを聞いてもなおパンを口に運ぶ気になれませんでした。

 昼食が終わり、皆は三々五々に向かいたいところに向かってゆきます。そんな最中、ランカシーレはパクリコンに言いました。
「パクリコンさん、お話がございます。お時間よろしいでしょうか」
「うん、何?」
 パクリコンがその場に突っ立っていると、横からレビアが耳打ちしました。
「誰もいないところまでついてこい、って意味なの!」
「あ、そっか!」
 パクリコンはランカシーレのもとに駆けより、ランカシーレに手を引かれるままに部屋を出て行きました。
「……あれで大丈夫かな……」
 レビアは誰ともなしに呟きました。

 ランカシーレはパクリコンを連れてある部屋に入りました。ランカシーレの自室です。
「どうぞ、おかけください」
 ランカシーレはパクリコンをベッドのそばまで手を引き、ベッドに腰掛けました。パクリコンもゆっくりとベッドに腰を下ろします。
「パクリコンさん」
 ランカシーレは口を開きました。
「このたびは本当にありがとうございました。私はあなたのおかげでこの国の未来を守ることができました。もとをただせばパクリコンさんが私を森で助けてくださったことが発端でございます。パクリコンさんがいらっしゃらなければこのような成功はございませんでしたでしょうに。私はこの国の民を代表して、パクリコンさんにお礼を申し上げます」
 ランカシーレは深く頭を下げました。
「いいよそんなの。俺は別に大したことやってないし、どうせお礼を言うなら他のみんなに言ってあげてよ」
「はい、私は皆様にもお礼を申し上げました。ですが皆様は口をそろえて、その言葉をパクリコンさんに言ってくれ、と仰っていらっしゃいました。もはやパクリコンさんに逃げ場はございません」
「そうかい」
 パクリコンはランカシーレの悪戯めいた口調に笑いながら短く答えた。
「でもさ、ラン。俺はこれといって特別なことをしたわけじゃない。俺は困ってる仲間を助けただけだ。俺にとってのランは、あの雪の日の朝からずっと変わっていない。ランは俺の仲間だ。だったら当然だろ? たしかに国の未来とかいろいろあるけれど、俺はそんなたいそうなことをきちんと考えていたわけじゃないしさ。だから俺は大したことをしていないよ」
「今回のように成功した作戦をお考えになったパクリコンさんが国のことをきちんとお考えになっていらっしゃらない。……だなどと私には到底思えません」
 ランカシーレは子供を叱るような目でパクリコンを見ました。ややあってパクリコンは上を向いて目を手で覆い、やがて顔をぺちりっと両手で叩いたかと思うとランカシーレのほうへ向きなおって告げました。
「まあ、まったく考えなかったわけじゃない。最低限この国の法律とか外交状況とかは調べたし、この国のこれまでの経済の発展を追って結論を出したのは事実だ。だけれど所詮は一人で考えたことにすぎないよ。人ひとりが考えることには限度がある。ひとつひとつの繋がりを考えて目的を達成するだけで俺にはいっぱいいっぱいだった。俺にはいまだに、皆がいてくれたからこそ何もかもがうまくいったとしか思えない」
 パクリコンの言葉を聞いて、ランカシーレは微笑みました。
「それでこそ私が信じたパクリコンさんです。どうぞ私からのお礼をお受け取りください」
 そう言ってランカシーレはパクリコンの左頬に接吻をしました。つづいて右の頬に接吻をし、最後にはパクリコンの口唇にゆっくりと深く接吻をしました。それはとても長く、互いの唾液が入り混じるには充分すぎるほどのものでした。
 接吻が終わると、ランカシーレはパクリコンの両上腕に手を添えて言いました。
「パクリコンさん。私が以前お話しした、王女の宿命なるものを憶えていらっしゃいますか?」
「……ああ」
 パクリコンは短く答えた。
「パクリコンさん。今度という今度こそ、私からのお礼を受け取ってくださいますか?」
 ランカシーレはパクリコンの腕をさすり下した後に、ぎゅっと彼の手を握りました。ランカシーレは情熱的な目でパクリコンを見つめ、お互いの息遣いが聞こえるくらいのところまでパクリコンに寄り添って返事を待ちました。しかしパクリコンがじっとランカシーレを見つめ返すばかりなので、ランカシーレはいてもたってもいられなくなりました。ランカシーレはパクリコンの口唇に激しい口づけを施し、パクリコンの身体に抱き着いて大きなベッドに二人の身体を委ねさせました。
 ランカシーレはパクリコンの口唇や頬、耳、首回りに接吻を施し、パクリコンの服の内側に手を差し入れてはパクリコンの身体をまさぐりました。それでもなお何もしてこないパクリコンを、ランカシーレはただただ求めつづけていました。
 けれどやがてパクリコンはランカシーレに告げました。
「ラン。それは君が将来結ばれる相手とすべきことだ」
「だから何だとおっしゃるのです?」
 ランカシーレは激しい息遣いの中で反駁した。
「もはや何も私達を邪魔するものはございません。私はあなたと結ばれたいと強く願っております。私が結ばれるべき相手はあなた以外にいらっしゃいません。あなたほどの方であれば、誰に対しても堂々と私の伴侶であると申せます」
「でも俺はピチロだよ?」
「私はあなたと結ばれることで、この国にはもはや人間とピチロの間に差別など無いということを証明いたしましょう。大切なのはあなたが何であるかではなく、あなたがあなたであるということなのですから」
「でも俺は反逆者だよ?」
「あなたが反逆者であれば私も立派な反逆者でございます。罪をお感じになっていらっしゃるのであれば、私も未来永劫あなたとともに罪を負いましょう」
「でも俺は平民以下の存在だよ?」
「愛の前に身分の差などございません。それを私は民に示そうと思います」
「……」
 言葉を返さなくなったパクリコンの身体の上にランカシーレは己の身を置き、パクリコンを上から見つめました。
「もう何も私たちを阻むものはございません。どうぞ末永く私の傍にいらっしゃってください。この国の王配として末永く私を愛してください」
 ランカシーレはそう言って己の身体をパクリコンの胸に預けました。しかしランカシーレの身体をパクリコンが抱きしめることは決してありませんでした。
「ラン。俺は君の伴侶になれない。俺はこの国の王配にはなりたくない」
「なぜです?」
「君が特別だからだ」
 ランカシーレは思わず言葉を失いました。
「俺にとって君は仲間だ。だけれどただの仲間じゃない。ほんとうにただの仲間だったらとっくの昔に君を抱いているし、とっくの昔に君の身体を隅々まで知り尽くしていると思う。だけれどそうじゃない。これまで俺は君に対して、俺自身の欲求よりも君の幸福を優先させてきた。これまでもそうだし、今もなおそうだし、これからもそうだ。何故って、君の前では俺の欲求なんて取るに足らないものだからだ。君には君の幸福が似合う。君には君の幸福を享受してもらいたい」
 パクリコンは言葉にランカシーレは言いようのない歯がゆさを感じました。パクリコンは続けます。
「今の君は、人生で一番最初に出会った男と結ばれたいと思っているにすぎない。困っている君を助けたというだけの俺に対する恋情にとらわれすぎている。そりゃあ誰だって初恋をするし、それを成就させたいと思うものだ。俺だって例外じゃなかった。だけれど……その恋情に振り回されすぎるのは、あまりにもお粗末だ。ましてや君が女王であれば、なおさらだ」
「そんな……! 私が今あなたに対して抱いている感情はそのような安いものではございません! どうして私があなたのことを初恋成就のためだけの相手としてみなしておりましょうか!? それになにより、私は女王である前に一人の女でございます! 私のこの想いをどうして抑えられましょうか!?」
 ランカシーレの言葉を聞いて、パクリコンは笑って答えました。
「ラン。一人の女である前に一人の女王だ、と言えなきゃダメじゃないか」
 パクリコンの言葉にランカシーレは再び返す言葉を失いました。
「いい? もしほんとうに俺が王配になるべきだというのなら、その理由を説明してみて。一切の私情を捨てて、俺にそれを話してみて」
「そんな……! 私が心から求める方と結ばれたいと思う気持ちに、何の不都合がございましょうか!?」
 ランカシーレは息を切らせながらパクリコンに問いました。しかしパクリコンは冷静にランカシーレに問い返しました。
「それは俺が聞いた王女の宿命とやらと相反するけれど、構わないの? 国民はそれで納得するの? 世界でもそれで通用するの?」
「構いません! 王女の宿命などというものは金輪際放棄いたします! それが正しいということを、世界に知らしめてやればよいだけの話です! 私達なら可能です!」
「……本当にそうかな」
 パクリコンはランカシーレを宥めるように言いました。
「ランはこれからこの国の統治者として、いろんな国の人と渡り合っていかなきゃならない。時には相手が他の国の王であったり、他の国の軍隊であったり、他の国の経済や産業であったりもする。そんなときに君が一番の武器として使えるのが王配という地位にいる存在だ。王配だから、という理由があれば、君は王配を自在に使える。王配はありとあらゆる法規を越えた武器や盾となって君を守ってくれる。だからこそ王配を選ぶときには慎重にならなきゃいけない。どんなときにこの人なら使えるか、どんなときにこの人なら盾となるか。そういう判断材料をちゃんとそろえたうえで王配を決めるべきだ」
 パクリコンはランカシーレの髪をゆっくりと撫ぜました。
「これまでは俺が君を守ってやれていた。だけれどこれからは君が君自身を守らなきゃならない。君はこの国の女王だから、どんな手段を使ってでも君は守られてしかるべき存在だ。そんなときに私情を優先して俺を王配にして、いったい俺が君を何から守れるっていうんだ。俺には既存の名誉や地位や金銭に太刀打ちできるものなんて何もない。フォースが使えるという利点がほんのちょっとあるくらいだ。君は女王として、そんな男を王配に据えることにどんな意味があると思うの? どういう目で見れば、俺を王配に据えることが一番良いと言い切れるの? ラン、少しの間だけでいい。恋情ではなくこの国の未来のことを考えて」
 ランカシーレはパクリコンの言葉を聞いて、荒い息を鎮めようとしました。しかし鎮めようとすればするほど、喉の奥から洩れ出でる嗚咽を抑えることができなくなっていきました。
 静かな部屋の中に、ランカシーレの荒い息だけがこだましていました。しんと静まり返った部屋の空気の中を、ランカシーレの息遣いだけが細やかに伝っていました。
 やがて、ぐすっ、という鼻をすする音が部屋に響きました。
「ラン、君は立派な女王だ」
 パクリコンは言いました。
「君がその気になれば、俺にどんな命令だってできる。どんな理不尽なことだって強いることができる。だけれど君はそんなことをしない。するわけがないんだ。それは君は最後の最後でちゃんとした判断を下せる子だからだ」
 パクリコンはランカシーレの腕をそっと擦りました。
「君はこの国の誇れる女王だ。俺は君の治める国に生きていけることが何よりも誇らしい。君には君の全うすべき道を全うしてほしいと思う。その上で君が本当にやるべきだと考えたことを貫いてほしい。私情に振り回されずに、この国を治める者としての道を歩んでほしい。……もちろんこんなことは君の方がよっぽど理解していると思う。俺が一朝一夕で思いついたような言葉なんて、きっと君の人生の中で幾度となく刻み込まれてきたことだろうし。だから俺が君に言っておきたいことはこれだけだ」
 ランカシーレはパクリコンの言葉を待った。パクリコンは穏やかに微笑んでこう告げました。
「自分の身体を犠牲にしないで。女王たる君自身を私情や執着の犠牲になんてしないで」
 ランカシーレはその言葉ですべてを悟りました。言いようのない敗北感に打ちのめされ、もはや何も言えませんでした。
 ランカシーレはパクリコンの胸に抱かれたまま、さめざめと泣きはらしました。パクリコンはそんなランカシーレの髪をゆっくりと撫ぜてはただただ時が過ぎゆくのを感じていました。

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Author:パクリコン
ピチロの世界の住人。

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