ぼくらのごうちん

 ごうちんといえば守くんの愛称である。近年のごうちんの人気を語る言葉として、
「ワンフェスではごうちんのコスプレをした人が携帯電話で喋っていた」
というものがあるくらいだ。
 そんな愛すべきごうちんが音楽界で問題を起こして轟沈してしまったことに対して同情を禁じえない。

 ごーっちんごーちんごっちんごっちんごっ、ちん!

 ごうちんが新垣氏に依頼した「曲のイメージ図」がエキサイトバイクの画面に似ている、という話が世間を席巻していた。かねてよりごうちんの「曲のイメージ図」があまりにもアレなのは有名であったが、何はともあれ音楽の用語が一ミリも出てこない「曲のイメージ図」だけで依頼しようとしたごうちんに対しては「さすがごうちんだ」と言わざるをえない。そしてそれに応じることのできた新垣氏はまさに最強の人類である。もはや彼等二人を人類最強のコンビと呼ばずして何と呼べようか。
 そういう経緯があったため、イラストの依頼に際しての「可愛さではなく美しさを」という依頼はあながちなきにしもあらずではないかと思えてきた。なぜならごうちんによる依頼とくだんのイラストの依頼は構造的に全く同じ類型に属しているからである。依頼に際してイラストとしての情報が殆ど無く、イメージだけでイラストを作らせようとする姿勢にはまさにごうちんの依頼の手法そのものである。またイラストレイターなる人を人と思わずに低賃金で働かせ、最終的には「俺が思っていたのと違う」とか「俺が指示したからこれができた」といった言葉によるディスリスペクトで『依頼主&非依頼主』の関係を締めるという形式はまさに『ごうちん&新垣』のそれと違わない。
 時代がそれを許しそれを求めるのであれば、それを現実のものとする人たちが現れるのは自然の摂理である。少なくとも「この時代だから」という意味合いで発現を許した事象に対しては、そのように受け止めるのが一番合理的だ。
 世間に数多存在する『ごうちん&新垣』におけるごうちんのような人がかならずしも本家ごうちんのような業界内の死を経験しているわけではない。かつてなら即死したであろう人でも生きながらえることができるのがこの時代である。それゆえにたとえどんなに大多数がそこに死を望もうとも、時代がごうちん達からその死を遠ざけているという事実を忘れてはいけない。しかしそれはすなわち、「人がその死を望み、時代がその生を望む」という一見矛盾した風貌を呈することと同値である。この事象をどう解釈すべきか。
 すべてのごうちんは「死ぬために生まれてきた」という形式で生を受けたととらえるのがもっとも建設的だ。すなわち「ごうちん達の究極的な結末は人工的な死である」という事実が全てのごうちん達に生を許している、と捉えることが一番彼等の存在に意味を見いだせるということである。たとえばごうちん達が、
「業界内におけるこれまでの貢献はすべて俺によってなされたものだ。俺を業界から遠ざけるのであれば、徹底的にお前らに報復してやる」
といった具合にヒールに徹すれば、まぎれもなく世界はごうちん達の死によってカタルシスを覚えることができるだろう。なぜならごうちん達が業界内におけるあらん限りの罪を背負ってくれるため、ごうちん達の消滅が業界にとって贖罪としての意味を持つからだ。
 この時代だからこそ、かようなごうちん達が求められている。並大抵のごうちんではなく、ごうちんを極めたごうちんの中のごうちんの登場が時代によって望まれている。なればごうちんの卵を前にしたときに我々がなすべきことは、その卵の処分ではなく「ごうちん……ごうちん……目覚めなさい。私はお前を一人前のごうちんとして育てたつもりです」といってごうちんの背中を押すことである。
 たとえオリジナルのごうちんが滅ぼうとも、第二第三のごうちんが世界の罪を滅ぼすために何度も何度も現れる。その構図こそがまさに救世であり、人類の相転移たりえる事象であるといえよう。
 ごうちんよ、永遠なれ。
 ごうちんよ、神話になれ。
 世界のために、その身を滅ぼせ。

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Author:パクリコン
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