のげのら!

 アニメ『ノーゲーム・ノーライフ』、通称ノゲノラを見た。

 まず良い点としては、演出が凝っているという部分が挙げられる。平凡な所作を大袈裟に演出することで、視聴者に「深く考えてもしょうがないから感じるままに見るか」と思わせられる。それから原作における挿絵を著者自身が手掛けていることから、著者自身の持つ「こーゆーのがイイ」というデザインがちゃんと反映されている(と信じることができる)。また作者のオリジナリティを大衆によく知られたゲームに加えている点も、視聴者の理解を促すための良い助けとなっている。さらには五十鈴と大鳳が会話しているように見えるシーンがいくつもあるので萌えることができる。
 まあ、……うん。そこらへんはええねん。
 このアニメを見て最初に感じたのは、
「こんなに設定や構成やストーリーテリングが雑でもなんとかなるのか」
という点だった。
 設定やそれに基づく考証がずさんな点は割とつらかった。しょっぱなから「空はヒッキーでコミュ障だけど対人会話を普通にこなせる上に嘘を見破ることができて読み合いがうまい」「白は数学を主体とした先読みを行う。チェスのコンピュータ相手に20連勝した」といった「結局どっちなんだ」と思わざるをえないような記述が多かったし、「知能検査と称したゲームを全て計測不能にした」といったいまいち具体性の無い描写が多いのも気になった。ストーリーを進めるうえでの設定とゲームをこなす上での設定が全くかみ合っていないのは作者の趣味なのかもしれないが、それゆえに具体的な表現を避けつづけている様は非常に拙かった。そのせいか、現実世界で生きる際に割と重要なこれらの技能を最初から与えられているにも関わらず、何故か現実世界に対しては視野の狭い理屈をこねた上で「この世はクソゲー」と簡単に締めていた。
 構成は、「こんなところヤダ」と言っている子を「ここにいたい」と思える環境に移すことで持ち味を引き出し「俺TUEEE!」させる、の一言に尽きる。なので「俺TUEEE!」させるために、主人公が言うセリフは問答無用で正しいことになっている。たとえそれが憶測やあてずっぽうであってもなぜか的中し、その結果たまたまゲームに勝てても「絶対に勝てるゲームだった」と言い、不完全な理屈で敵をけちょんけちょんに言うシーンが多々あった。主人公たちの言い分の不完全さについて敵や仲間が何かしら言及すればいいシーンも多かったのだけれど、「俺TUEEE!」のデザインコンセプトとの関係上主人公の「俺TUEEE!」に対する言及は無かった。
 この「主人公の言うことは必ず的中する」という背景に則れば、「実はこれこれこうだったのさ!」とこれまで誰も触れていなかった事実をその場しのぎ的に使っていく手法はストーリーテリングとしてとくに変ではない。無論そうなると視聴者が「どーせ何かテキトーなことをやったら何故かうまくいくんだろ」と醒めて見てしまうが、とりあえずは「ノゲノラはこういう作風だからしゃーない」という認識にとどめておくのが良い。無論この「既存に無いパーツでその場をしのぐ」という点を採用することは根本的に美しいものではない。一方で遊戯王ZEXALにおける《仕込みサイクロン》のように「とてつもなく限定的な場面でしか使えないザコカードを使うことで形勢を逆転させる」という手法が何故美しいかというと、視聴者に「この状況を打破するためにはAが無ければダメだろう。(いわんや最初から問題解決の手段としては論外だと思われているBなんて使えないに違いない)」という前提を持たせているからである。
 ゲームをはじめ人間関係や社会、学問といった諸々の事柄に対する考証はひたすらに不十分であり涙を誘うものである。チェスの女王が敵になんだかんだ言われただけで簡単に寝返ったり、しりとりで消滅したり出現したりするものが「複数」なのか「一つ」なのかがまるで統一されていなかったり、クーロン力が無くなれば核力によって極超新星爆発が起きると言ってたり、説明は後でするから国債というものを作ってとりあえず銀行に買わせろと命令していたり、結構散々だった。なのでこれらに対しては、
「原稿に書く前に少しは調べようと思わなかったのか」
という思いを抱かざるをえなかった。
 以上の要素を組み合わせると、ノゲノラは「主人公が俺TUEEE!するために独りよがりの理屈をごり押しして何故か成功する話である」という認識を得られる。無論このお話の中で主人公達になんらかの成長があれば少しは見る価値はあるので、作者には頑張ってほしいところである。
 「俺TUEEE!」のために、サブキャラが「主人公すごい!」「そこまで考えていただなんて!」と言う様はひたすらに興醒めだった。ギャグが寒いのも悲しい。キャラの魅力が掘り下げられていないのも悲しい。
 そんな中でクラミーこと五十鈴の様々な声が聞けたのは、このアニメの唯一にして最大のメリットであったと言えよう。なんだかんだで五十鈴の声には大いに癒された。「たかが上部兵装を少し失っただけよ! まだ機関部は大丈夫!」と必死に提督を気遣ったり、「バカね、心配しないで。少し休めば大丈夫よ」と彼女なりに提督を安心させようとしたり、「近代化改修、助かるわ。もっと働ける!」とワーカホリックなことを言いつつも己を認めてもらいたがったりと、五十鈴の言葉の端々には生きる者の力強さが感じられる。何はともあれ、五十鈴は可愛いものだ。

 ノゲノラには遊戯王やカイジに似ている点があるのだろうと思って見始めたけれど、なんだかんだで「遊戯王やカイジは偉大だった」という結論で終わった。ノゲノラは主人公が「俺TUEEE!」をすることが前提にあるため、何の躊躇も無しに大きな賭けに出る。遊戯王なら「俺がカードとあいつの本当の優しさを信じつづけていれば、邪悪に染まったあいつを説得することができるかもしれない! 今はそれに賭けるしかないんだ! 俺にできることはそれしかないんだ!」といった精神的モチベーションや目的遂行のためのロジックも描写されようし、カイジなら相手のイカサマを暴いたり逆手に取ったりしたうえで絶対に勝てる勝負の場で大きな張りが為される。このアニメを見て遊戯王やカイジの素晴らしさが認識できたのは大きな収穫だった。遊戯王やカイジのお話を当たり前のように享受できることのありがたみを噛みしめつつ、これからも遊戯王やカイジを楽しんでいこう。

 なお3話4話でのチェスの展開は、『ネズ吉と進化の石』の魔法チェスにてレア吉が「全員でキングを総攻撃しろーっ!」と命じたシーンを彷彿とさせてくれる。いいものだ。

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