進化する瞬間

 テレビ番組にて「容疑者の自宅にはアニメのポスターが貼られてあった」などの報道が為されたことに対し、ヲタクには進化が求められているように思えた。

 此度のニュースに対して、ヲタク業界の中では大きく分けて二つの反応があった。一つは「こんなニュースはけしからん」という趣旨の主張を繰り返す者たち。そしてもう一つは「こんなの昔からだろ。それよりアニメ見よーぜ、アニメ」などのメッセージを残していつも通りの暮らしを続ける者たちである。
 前者の派閥の主張を見るにつけて深い悲しみに包まれた。何しろ彼等の基本的な主張は「ヲタクだからといって差別するな」「偏見を失くせ」「ヲタクにも市民権を与えろ」「ジャニオタや鉄オタだって大概だぞ」というものである。無論彼等の中にもひょっとしたら、
「報道というものは客観的な情報を伝えるためのものである。そして受け取り手になるべく先入観を与えないような情報のやり取りを行うところにこそマスコミニケーションの究極的なテーマが内在する。そして報道のあらゆる面においていかなる人物の尊厳をも全く損なうことなく情報の交換が行わねばならない」
という言い分の者がいたかもしれない。そういった者には是非とも今後も頑張って力強くヒューマニズムについての問題に深く関わり問題提起を行ってもらいたいと切に願うばかりだ。しかし自らをヲタクと称してヲタクの立場を認めてもらおうという人の中において、そのような人道主義者は少なくともパクリコンによっては観測されなかった。
 後者の反応を為した人たちは古き良き「ヲタクとはなんぞ」というところにいる人たちが多かった。「そもそも世間がいくらキモいと言おうとも『俺はこれが好きだ』と言い続けて己の道を貫くのがヲタクである」「世間が認めようが認めまいが、己の愛があれば充分だろうに」「この件に関わった時点で俺は世間にとっての恰好の『共通の敵』になってしまう。だからこの件には関わるだけ損だ」といった姿勢をもとに、適宜面白おかしいツッコミを交えつつも基本的にはアウェーの立場を取り続けていた。
 これらの態度の違いから分かるように、往々にして前者の立場と後者の立場にとって「ヲタクとはこうあるべきだ」という思想が根本的に異なっている。無論「あなたがどこの誰であろうと、あなたはあなたの好きなことをやり続けるのが一番良い」という主張を基としているのは両者とも同じだが、最終的に各々の望む社会は全く異なる。そして今回の件において「世間にとっての共通の敵」として存在しているのは紛れも無く前者である。前者だけが世間の「ヲタクなんてキモい」という人々に対し「俺達を認めろ」という主張を繰り返すため、彼等によって世間における「ヲタクなんてキモい」という認識はより確固たるものになってゆく。そして結果的には世間とヲタクとの間の溝を深めるばかりか、ヲタクというコンテンツそのものに対してより強い制限や束縛が発生することになる。
 もしヲタクというコンテンツ内に「世間に適応できないヲタク」を含めたままコンテンツを膨らませると、やがてはその「世間に適応できないヲタク」によってヲタクというコンテンツが崩壊する。仮にそうなればその瞬間に「世間に適応できないヲタク」はもはやヲタクとして認められることはなくなり、結果的に「世間に適応できるヲタク」だけが生き残る。まさにその「世間に適応できるヲタク」のみによって形成されたヲタクコンテンツこそが進化したヲタクの姿であり、次の世代でヲタクコンテンツがコンテンツとして生き残るためのもっとも強力なエンジンになる。無論この変化の際にヲタクコンテンツの崩壊といったカタストロフが発生する必要はない。なので何らかの形で国や地域社会が与える制限や束縛によって緩やかに「世間に適応できないヲタク」がヲタクのカテゴリから外れてゆけば良い。求められるべきは、ヲタクコンテンツ内における自然淘汰によって生じる進化である。

 キモい? なんか変? 関わらないでほしい?
 だから何だというんだ。
 たとえ世界中の全ての人間を敵にまわそうとも、俺は嫁を愛する。
 それだけの話だ。

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