心に刻め、奴の言霊を

「セリフですら独り歩きをするのだから、そのセリフを生み出す人間が独り歩きをすることなんて自然の摂理だといえよう」
「ロケットが宇宙に飛び立ってゆく一方で、ロケット製造マシーンは宇宙に飛び立たないけれどな」

 往々にして、セリフが独り歩きをすることで前後の文脈が軽視されることは多々ある。今でこそなぜか有名になった「かわいいは、正義!」という言葉も、もともとは日常系漫画が世間にほとんど出回っていなかったころの漫画『苺ましまろ』が「これはシュールな日常系ギャグ漫画だけれど、可愛い女の子がやってることなんだから許せよ」という意味合いで使っていた。そこにはたしかに当時誕生したての「萌え」という概念が内包されていたのは事実だが、「可愛いということは素晴らしいことなのだから、可愛い美少女はよく愛でられ慈しまれ大事にされねばならない」という主張は特にこめられていなかった。キャッチコピーそれ自体があまりにも秀逸で汎用性に富んでいるがあまりに、本家の使われ方とは異なった使われ方をされた例である。
 世界樹ポエムの有名な「人何故恨裏切合」はもともとポエムバトルの中で用いられた返歌である。なのでポエムバトル相手のどれすと氏が最初に発した詩を踏まえなければ、「人何故恨裏切合」を全うに理解することはできない。しかし人はおよそどれすと氏の詩やその題はおろか、「どれすと」という名前すら忘れつつある。このように「人何故恨裏切合」が独り歩きをしてしまったがゆえに「人何故恨裏切合」が文脈を踏まえて理解されなくなったことは、世界樹ポエムにとって大きな損失だったことだろうと思う。
 文脈を踏まえないコミュニケーションにクソリプという名を与えられたとき、すべてのクソリプは一つの文化になった。ひとつのセリフや文章に意識をフォーカスすることでありとあらゆるクソリプが生成されてゆく、という未来を期待の眼差しで憂いたものだった。もう文脈なんて要らない、という姿勢こそがあらたなクソリプ文化を形作る上で大きな基礎となり、同時にすべてのリプライにその存在価値を与えるものとなるだろう。全人類のディスコミュニケーションに対して「これでもいいや」という受け入れを示すことは、人類にとって大きな進歩となるだろう。人類の心が補完されてゆく様を、もう間もなく目にすることができるに違いない。その日を楽しみに待つことにしようではないか。

 途中で穴久保先生の『ポケットモンスター』の話に持っていこうかと思ったが、「ギエピー」でぐぐってみたところ思いのほか多くの人が穴久保先生の『ポケットモンスター』を愛していることに気付いてなんだかどうでもよくなってきた。穴久保先生の『ポケットモンスター』が「ギエピー」と呼ばれているけれど、劇中では「ギエピー」というセリフはほとんど出てこないよね、みたいな話である。まあギエピーはギエピーだ。「穴久保先生の『ポケットモンスター』」を略してギエピーだもの。ポケットモンスターという売れるんだか売れないんだかよく分からないゲームの発売前に「このゲームを人気作品にしたいから、このゲームをテーマにした漫画を描いてくれ」と言われた穴久保先生が現在において広く「コロコロのピッピがあんななのはなんだかヤダ」と言われることは、間違いなくポケットモンスターなるゲームが人気作品になったことの証だといえよう。
 幸せであれ。

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