きたかぜとたいよう

 短編小説『北風と太陽』

 昔々ある所に、パクリコンという北風とランカシーレという太陽が住んでおりました。
 ある日のこと、パクリコンはランカシーレにこう言いました。
「ねえ、ランカシーレ。あそこを歩いている女性旅人がいるだろう? あの女性旅人のマントを先に脱がせた方が勝ち、という遊戯をやらないか?」
 するとランカシーレは言いました。
「いいでしょう。しかしあなたは生まれつき弱い風しか吹かせることができません。それでもよいならば、どうぞお始めなさい」
 ランカシーレのその声が試合開始の合図となりました。
 パクリコンは慎重に旅人の背中めがけて、北風を吹かせました。ひゅるひゅるり、ひゅるひゅるり、と。
「……」
 旅人は険しい顔を何一つ変えず、黙々と歩きつづけています。それを見てランカシーレはパクリコンに言いました。
「あなた、弱弱しい風しか吹けないあなた。いっそのことふーっと吹いておしまいになさい。あなたがそれ以上弱弱しい風をいくら吹いたところで、あなたはあの女性旅人のマントを脱がせることなどできやしません」
「ああ、ランカシーレよ。弱い風しかしかし何も風というものは、強さだけがその実力ではない。それをこれから証明してやろう」
「ふふっ、では期待して拝見させていただきます」
「ああ」
 パクリコンは僅かずつ、風速2メートルほどの風をゆらりゆらりと女性旅人に吹き付け続けました。
 その日はとても寒い日でした。旅人は木綿でできたマントをしっかりと留めて、オリーブの木から作られた橙色のサンダルを踏みしめて一歩一歩確実に歩いていました。彼女が目的としている場所はおそらく、ここから北へ向かって数キロメートルほどにあるアテナイの街でしょう。久しぶりに会いに行く親族への手土産を携えたその女性旅人は、しっかりと前を見据えて歩を進めていました。
 やがてパクリコンの頬は、北風を吹き続けるがあまりに紅潮し始めました。いつになったら女性旅人はマントを脱ぐのか、という答えの出ない自問にパクリコンはただただ耐えていました。今のパクリコンにできることは、その赤い頬で必死に弱弱しい風を送り続けることだけでした。
「あなた。虚しい労力を費やすことのお好きなあなた。一思いにふーっと吹き終えてしまいなさい。あなたは全てから解放され、すぐさま私によって癒やされることでしょう」
「いやいや、ランカシーレ。正しい方向に為された労力は必ず己を報いると知らぬランカシーレ。今に見ていなさい。因果応報、信賞必罰の何たるかをお前に見せてあげようではないか」
「ふふっ、いいでしょう。できるものならやってごらんなさい、あなた」
 ランカシーレの声に、パクリコンは今や真っ赤となってしまった頬で小さく「ああ」と答えました。
 女性旅人はそんなパクリコンの苦労も知らず、険しい顔をしたままアテナイの街を目指していました。パクリコンによって吹きかけられた北風を背中に受けながら、女性旅人は一歩一歩進んでいきました。間違えて大きめの石を蹴っ飛ばしてしまっても、眉一つ動かさず歩き続ける女性旅人です。そんな彼女にとって、パクリコンの北風など取るに足らない物にすぎないのでしょう。
 アテナイの街が草むらの陰から見え始めてきたころに、ランカシーレは言いました。
「あなた。周りの見えなくなってしまったあなた。ご覧なさい、女性旅人はまもなくアテナイの街にたどり着いてしまいます。いくら私達といえども、家屋の中に入ってしまった女性旅人に北風や日光を与えることはできません。そしてこれまでの道すがらから察するに、あなたの北風はあの女性旅人にとって何の枷にもなりえていません。ああ、いますぐその赤くはち切れそうな頬をお休めなさい」
「そうは言うがね、ランカシーレよ」
 パクリコンは頬ばかりか次第に上気し始めてきた顔でランカシーレに返しました。
「誰しも周りは見えているものだ。ただ、自分にとって都合のいいものばかりを見ようとしてしまいがちなのだろう。それは俺にとっても真だが、同時にランカシーレ、君にとっても真だ。そう考えれば、誰かに「周りが見えていない」とは言うべからざるものだと思わないかい?」
「ああ、あなた。ついに北風の吹きすぎで、独りよがりなことを仰るようになっただなんて。あの偉大な哲学者のソクラテスですら、己を無知なるものとして知れ、と仰っているのに。ですが私は最後まであなたを止めましょう。あなたがその頬を休めるために一思いにふーっと吹いてしまうまで、私はあなたに「もうおよしなさい」と申しあげつづけましょう」
「ランカシーレ。それでこそランカシーレだ。だが……俺はまだまだやるぞ」
 ランカシーレの静かな声援を受けながら、パクリコンは赤黒く濁り始めてきた頬でなおも女性旅人に北風を吹き続けていました。
 やがて女性旅人はアテナイの街にたどり着きました。アテナイの街はその入り口に大きな門や物見矢倉が建てられてあり、数人の兵士によって客を歓迎していました。パクリコンによって背中を吹き続けられていた女性旅人もまた例外ではなく、兵士たちによって手厚く歓迎の言葉を投げかけられていました。
 兵士たちに投げキスを施した女性旅人は、ふと歩みを止めました。
「……」
 女性旅人はその険しい顔で背後を見やりました。誰もそこにはいませんでしたが、パクリコンだけが北風を吹き続けていました。
「……」
 女性旅人はにこっと微笑みました。そして信じられないことに、女性旅人はおもむろにマントを脱いでペプロス姿になり、元気に街中を駆けていきました。
 その光景に驚いたのはランカシーレです。
「あなた。あなたったらあなた。どうしてあの女性旅人はマントを脱いでしまったのです!? あなたは何もなさっていないのに、どうして!?」
「ああ、ランカシーレよ。俺は今少し疲れているんだ、もう少し経ったら、ともに彼女の向かう家まで見にいき、その真相を確かめようじゃないか」
 顔中を赤く染めて荒い息をついているパクリコンは、ぐったりした表情ながらも微笑みながらランカシーレにそう言いました。

 やがてその女性旅人は、一人の男性が庭いじりをしている家の前までやってきました。
「こんにちは、ヘシオドスおじさん!」
「おお、よく来たね。いつ見ても姪っ子というものは可愛いものだ」
「んもう、おじさんったら!」
 ヘシオドスと呼ばれた、あごひげの豊かな叔父は姪を温かく抱きしめました。姪はヘシオドスに言いました。
「あ、そういえばね。ここに来る途中、ずっと北風が私の背中を押し続けてくれたのよ! おかげでいつもより早く来られちゃった! 今こうしてマントが無くても寒くないくらいには、速足で歩けたのよ!」
 姪は、これまでの道中でいかに北風のおかげで楽にアテナイの街に来ることができたかを、叔父に愉快に話して聞かせました。
「ほう、それは不思議なこともあるものだ」
 ヘシオドスはあごひげに手をやってうーんと唸りました。姪はヘシオドスに尋ねます。
「ねえ。そういえば、ヘシオドスおじさんの書いているご本の中に、北風の神様っている?」
「ああ、いるね。ボレアスという神様だ」
「ねえ。せっかくだから、そのボレアスにも綺麗なお嫁さんをあてがわせてあげない? そして可愛い子供たちをいっぱい作らせましょうよ」
 姪の提案に、ヘシオドスは思わず大笑いしました。
「はっはっは。そうだな、可愛い姪っ子が助けられたんだ。綺麗なお嫁さんと可愛い子供たちを与えてあげるとするかな」
「わあい!」
 姪もまたヘシオドスと顔を並べて愉快気に笑いました。

 こうして、北風の神ボレアスは人間の娘オーレイテュイアとの間に二人の息子と二人の娘を設けた、という伝承が作られました。このお話は後に、「北風と太陽」というおとぎ話作成の一助にもなりましたとさ。

 めでたしめでたし。

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Author:パクリコン
ピチロの世界の住人。

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