八本目のラノベ

 特別連載ラノベを書きはじめることにしました。すぐ完結すると思うけれどな!

『私が異世界で女王に!? ~ちょっぴりえっちな王国ファンタジー~』
(その1)

 その日も私は夜遅くまで大学の居室に残って、文献を読み漁っていた。
 私は語学を専攻する博士課程所属の大学院生だ。幼いころに生まれ故郷のオーストリアから日本へやってきて以来、私は日本語という神秘的な言語の魅力のとりことなってしまったのだ。そのため大学、大学院ともに語学を専攻して、語学の未知なる領域を己の論理で顕わにしようとしてきた。
 私はサイドポニーにしてある長い金髪を後ろへ払った。
 私はオーストリア出身なので、ランカシーレという憶えづらくも気高い名前を貰っている。おばあちゃんが付けてくださった大切な名前だ。私の友達は私のことを「ラン」と呼んでくれる。外国人なのに肌が白くないとか、目の色がそんなに青くないとか、いろいろ言われもした。けれどそんなことは今は関係無い。この瞬間の私はどこからどう見ても、日本の大学の居室に篭っている大学院生なのだから。
 突然居室のドアがガチャリと開いた。私はビクッとなってドアのほうを見た。青と黒を基調とした警備服を着た男の人が、
「部屋が暗かったので、施錠の確認をしていました。まだ残っていたのですね……お疲れ様です」
と同情気味な声をかけてくれた。
「ありがとうございます。ご心配をおかけして申し訳ないと思っております。以後気を付けます」
 私はおずおずと返答を為した。警備員は私の返答に満足したのか、ドアを閉めて去っていった。
 私は幼いころに日本語を習った際に、「日本の女性は敬語を基本とした喋り方をするものだ」と教わった。そのため今でも基本的に、相手が誰であろうと敬語で喋る。「タメ口で喋ってもいいんだよ」と言ってくれる友達は何人もいたが、それでも私の癖は直らなかった。
 私は時計を見た。もう日付が変わって三十分が経過しようとしていた。私ははぁっとため息を吐き、トイレに向かおうと思い席を立った。
 真っ暗な大学の廊下は、私が現れるや否や自動的に電灯が点灯した。私が歩くたびに、スニーカーが廊下をキュッキュッと擦る音が響いた。
 私はこんなところで何をやっているんだろう、と私は思った。毎日遅くまで文献を漁って論文をまとめ、ろくに外に出ず、遊びすらせず、友達は皆就職してしまい、恋人などここ四年間いたことがない。サイドポニーの金髪は荒れ、肌は乾燥し、唇はざらざらしていた。長袖の縞々シャツにジーパンという、オシャレとは程遠い恰好を毎日続けている。こんな生活を私は本当に望んでいたのだろうか。はたして幼いころに夢見ていた将来の自分像とは、かくもぱっとしないものだったのだろうか。
 幼いころの自分が将来何になりたかったのか、という記憶ははっきりとは残っていない。ただ、奇跡的なある瞬間が訪れれば、自分はたちまちお姫様のような素敵な存在になれるのではなかろうか、と何の疑いもなく信じ込んでいたのは確かだ。シンデレラコンプレックスとでも言おうか。天から差しのべられた手によっていつの日か私は生まれ変われるのだ、と信じることは幼いころの私にとってもはや日常の一部だった。
 そんなことあるわけないのに、と私は毒づいた。なにがお姫様だ。博士課程文学専攻26歳研究室引き篭もり姫のほうがよっぽど現状をよく表しているじゃないか。
 私はトイレのドアに八つ当たりしながら、ドアを開けた。
 トイレに入ると、洗面台のひび割れた鏡に私が映った。情けない顔をしているなあ、と思った。だめだぞ、ランカシーレ。そんなんじゃ博士論文は書けないぞ。……と言い聞かせるべく、私は両頬をぱちんと叩いた。
 さて用を足そう、と思ってトイレの奥に進むと、閉じられているトイレの個室のうちの一つから眩しい明かりが漏れていることに気付いた。それはまるで個室の中で大掛かりなサーチライトを点けているかのような様だった。女子トイレには時々不審人物が出るんだっけ、と私は思い返した。
 そのとき私はやぶれかぶれだったのだろう。不審人物が何だっていうんだ。博士課程文学専攻26歳研究室引き篭もり姫のほうがよっぽど不審人物じゃないか。だったら不審度合いで勝負してやろう。そして私を見て尻尾を巻いて逃げ出すがいい。そんなことを思っていた。
 私はそのトイレの個室をノックして、言った。
「ごめんください。トイレの中で怪しい薬を調合するのはおよしになったほうがよろしいかと思われます。あなたが死んでも代わりはいますが、貴重な古書の代わりはございませんもの」
 喧嘩を売っている、と思われても仕方のない言い様だった。しかし思いのほか、その個室の中から返ってきたのは意外な言葉だった。
「どうぞ、中へお入りください。女王陛下」
 その透き通るような声に、私はあっけに取られた。
 中に入れ? 女王陛下? ひょっとして私をからかうつもりなのだろうか。それとも口車に任せて私を引きずり込み、私にいやらしいことをするつもりなのだろうか。
 私は「とりあえず襲われそうになったら、相手の股間を思いきり蹴りあげるといいよ」という友人の言葉を思い出した。今まさにその知識を活かすときが来たか、と私は思った。
 私はその個室のドアノブに手をかけ、
「では失礼いたします」
と言ってガチャリと扉を開いた。
 その個室には光が満ち溢れていた。まばゆいその光は一瞬にして私を包み込んだ。私は一切の抵抗ができず、体中の力が抜けていくのを感じた。
 意識が少しずつ薄れていった。私は朦朧とする意識の中で、
「ようこそ、女王陛下」
という言葉を聞いたような気がした。

 気が付くと私は石畳の床に寝そべって倒れていた。硬い床が私の身体にひんやりと押し当てられていた。
「んんー……?」
 ぼんやりとする意識の中で、あたりを見渡した。私を中心とした半径二メートルほどの円周に沿って、私の顔を覗き込んでいる男たちが人垣を為していた。神官のような衣装をまとった老人から、中世貴族の衣装をまとった壮年の男性までいた。そう、その部屋にいる人たちは皆、現代の日本で見かけないような服ばかり着ていたのだ。それに彼等の顔つきは、まるで大和民族のそれとは異なるものばかりだった。鼻は高く、目の色素が薄く、髪の色はブロンドから銀髪までいろいろだった。何のイベントが始まったのだろう、と寝ぼけ眼で私はそんなことを思った。
 私が倒れていた床には、私を中心として不思議な紋様が描かれてあった。薄黒い石畳に白い石灰で描かれたかのようなその紋様は、私に大学の不審サークルについての知識を思い出させてくれた。海辺に怪しげな魔法陣を書いて、その中央でひたすらセックスを繰り返すサークル。樹海の中にひたすら入り込み、コンパスが狂ってしまった地点でひたすらセックスを繰り返すサークル。私の所属している大学は、所属学生の数で言えば日本一だった。なのでそのような怪しげなサークルが多からず存在することは、もはや必然の理といえた。
 となると今の私は何なのだろうか。紋様の中心に置かれた一人の女性と、それを取り囲む不思議な井出達の男たち。
 私は急に意識が覚醒するのを感じた。心臓がドクリと脈打ち、汗がにじむのを感じた。
「ッ!」
 私はとっさに身構え、胸を手で覆った。私が気を失っている間に、ここにいる人たちは私を大学のトイレからここへ運んできたのだろう。だとすれば、私を運んできたこの人たちの目的は、間違いなく私の身体だ。なぜなら博士課程文学専攻26歳研究室引き篭もり姫の価値など、所詮男たちにとっては「少なくとも犯せる」というものでしかないのだから。
 多勢に無勢、やるかやられるか。そんな言葉が私の脳裏を駆け巡った。
 しかし身構えている私に対して、神官の衣装をまとった老人は静かにこう言った。
「どうぞ、お気を楽にしてください。我々はあなた様を女王にするために、ここに召喚したのです」
 ドイツ語で話しかけられたため、度肝を抜かれた。それもただのドイツ語ではない。今ではもはや使われなくなったドイツ語だ。かつての偉大な宗教家のマルティン・ルターが、ラテン語で書かれていた宗教書を訳したときに使っていたようなドイツ語だった。私は、ドイツ語を母語とするオーストリアで生まれ育ったことに感謝の念を抱いた。
 とするとここは日本ではないのか、と私は直覚した。そうであれば合点がいく。彼等の大和民族ならざる顔つきも、石畳で出来たこの部屋の作りも、彼等の口にするもはや古典と呼ばれるべきドイツ語も、まるで現代の日本の文化とはかけ離れていたからだ。
 とすると、あのトイレで何があったのだ。あの光の中で何が起きたというのだ。「召喚した」とはどういう意味なのか。
 私が必死になって考えを巡らせていると、目の前で中世貴族のような衣装をまとった壮年の男性が周囲の人に声をかけた。
「皆の者。まだこの方が女王になると決まったわけではない。この方に王の魔力の適性が無ければ、次の召喚儀式のための生け贄として死んでもらうのだからな」
 私は「死んでもらう」の単語を聞いて、心臓が止まるかと思った。
 どうやら私は彼等にとっての女王というものの候補としてここに連れてこられたようだ。そして王の適性如何によっては、彼等は私を殺すというのだ。
 何の権利があってお前達はそんなことをするんだ、という不条理に対する憤りがふつふつと湧いてきた。曲がりなりにも気を失っている女性の身体を召喚だか何かだかで移動させた挙句、条件次第では私を殺すだなんてあまりにも一方的だ。
 殺されてたまるか。病気や事故といった偶発的な事象によって死ぬならまだしも、こんな得体のしれない人たちに王の適性などという未知の概念で判断されて死んでたまるものか。
 だったら戦ってやる。あくまで正面から、この男たちの要求に立ち向かってやる。私の尊厳を懸けて、この男たちに私の生き様というものを思い知らせてやる。
 気が付いたら私は荒い息を吐きながら、立ち上がっていた。足ががくがく震え、手に汗がにじむのを感じた。
 しかし私はキッとその中世貴族のような衣装をまとった男を睨みつけた。女にあるまじき形相であると承知の上だった。そして私は勇気を振り絞って古典ドイツ語で言ってやった。
「私はあなた方の目的を存じ上げません。しかしただおめおめと生け贄となって死ぬ気など全くございません。まずは事情をお話しになり、私が得るべき王の魔力というものをご説明すべきではないでしょうか?」
 殺されるかもしれない、というのに、なんだかまるで語学について教授と議論する際のような喋り方になってしまった。いつもの癖だ。普段は教授以外とあまり話さないのだから仕方あるまい。
 私の声を聞き、中世貴族の衣装をまとった人はまるで予想外の出来事を目の当たりにしたかのような表情を呈した。
 周囲でひそひそ話が始まった。何を話しているのだろうか、と疑問に思った。しかしそれ以上に、いきなり私をこのようなところに連れてきておきながら何ら具体的な説明をしない、というその神経が、私の癪に障った。
 すると神官のような衣装をまとった老人が私に近づき、しゃがれ声で話しかけてきた。
「王の魔力とは、我らがゴットアプフェルフルス国を治めるに値する王者にのみ宿る神聖な力でございます。我々はこれまで、何度も異世界より女性を召喚し、王の魔力の適性の有無を見てまいりました。そして此度も、あなた様に王の魔力の適性があるかどうかを見極めさせていただきたいと思います」
 のうのうとそうのたまうその老人を、私はキッと睨んだ。
 だから結局王の魔力とは何なんだ。抽象的な説明ではぐらかすな。それだけ寄ってたかっておきながら、たかが女一人にそんな婉曲的な言葉しか投げかけられないのか。
 そもそも異世界とは何なんだ。召喚するとはどういうことなんだ。ゴットアプフェルフルス国だなんて国はこの地球上に存在しないじゃないか。疑問が疑問を呼びつづけた。そしてそれらの疑問を一切解消しようとしない彼等を、私はなお険しい表情で睨み続けていた。
 もういい、こうなったら言いたいことを言ってやる。その利己的で自分勝手で一方的なやり口にガツンと言ってやる。私は大きく息を吸い、周囲の人たちに告げた。
「王の魔力の適性など知ったことではございません! 好きになさい! あなた方があなた方の勝手に持ち出しなさる基準でのみ私を測ろうとなさるのであれば、きっとそれがあなた方の思想であり生き方なのでしょう! そこに文句などお付けいたしません! なぜならそれがゴットアプフェルフルス国とやらの文化でございましょうから! それにここまで連れてこられた以上、私に拒否権が無いことなど存じ上げております! 元の世界に帰せ、と私がどれほど申し上げれば、あなた方はそれをお聞き入れになるのでしょうか!? 否、お聞き入れになることなどございませんでしょう! なればお受けいたします! 王の魔力の適性とやらをさっさとお調べなさい!」
 私は、少し言い過ぎたかな、と思いはした。感情的なのは分かっている。理知的であるとは言い難いだろう。けれどこれくらい言わないと私の気が済まなかったのだ。
 しかし周囲の反応は、私の想像に反するものだった。さきほどまで私の目の前で王の魔力の適性だの何だのと言っていた神官は途端に平伏し、中世貴族の衣装をまとった人は私に深く頭を下げた。
 私が戸惑っていると、人垣をかきわけて一人の甲冑姿の男が現れた。頭部以外を鎧甲冑で纏っているその男は銀髪で、耳が妖精のようにとがっており、背が高く、切れ目で、がっしりとした体格をしていた。その男は私に優しく言った。
「申し訳ない限りです。どうかご無礼をお許しください。実のところ、これまで召喚儀式によって連れてこられた女性はほぼ間違いなく、我々の知らぬ言葉を喚き散らしながら泣き叫んでばかりいたのです。無論そのような女性では、とうてい女王なる身分が務まるはずなどありません」
「はあ……」
 私はあいまいな返答を為した。それはそうだ。こんなゴットアプフェルフルス国とかいう、存在するのだかしないのだか分からない国にいきなり連れてこられて、しかも古典ドイツ語で話しかけられて、一体どれほどの人がまともにコミュニケーションできるというのか。
 するとその甲冑姿の男は微笑んで、私に告げた。
「しかしあなた様は違いました。我々と同じ言葉でお話しになり、あくまで堂々としていらっしゃり、我々の真意を見抜き、覚悟というものをお持ちでいらっしゃいます。すなわち、それこそがあなた様の女王としての素質の証でであり、王の魔力の適性でございます。我々のご無礼をどうかお許しください。そしてどうか、我々の女王となり、我々を導いてはくださいませんでしょうか?」
 私は言葉を失った。
 この人たちが王の適性だの何だのと言っていたのは、要は面接によって判断する、ということだったのか。魔力と言われたからてっきり魔術的な儀式によって可否を判断するものと思い込んでいたが、確かに人の適性を判断するのに魔力などいるはずもない。人が人を見て、その本質を見極めればいいだけの話なのだから。
 私はその甲冑姿の銀髪の男におずおずと尋ねた。
「私を女王とする、と仰いましたが、私はこの国のことや政治のことが分かりません。少し語学をたしなんでいる程度でございます。それなのに女王として務まるのでしょうか?」
「もちろんですとも」
 その甲冑姿の男はにこやかに教えてくれた。
「これから学んでくださればよいだけです。多少覚えることはありますが、私があなた様を支えます。約束いたします」
「はい……」
 私は思わず俯いた。こんな大柄な男性に優しく微笑みかけられながら、支えてくれることを約束してもらうだなど、大学院に入って以来初めての出来事だったからだ。
 どぎまぎしていると、甲冑姿の銀髪の男が私の肩にそっと手を置いた。金属製のガントレットが私の肩に心地好い負荷をかけてくれた。
「皆様も認めてくださったのです。間違いありません、あなた様が我々の女王です」
「はい……」
 私は消え入りそうな声でその銀髪の男に答えた。
 さっきまで大学の居室にいたはずなんだけれどなあ、と思いはした。博士課程文学専攻という肩書きもありはした。だけれど今、この人たちによって私はこの見知らぬ国に連れてこられた。その上この人たちは、私を女王だと認めてくれているのだ。これまでの地味で暗い生活から、一転して女王という華々しい生活を送れるようになるのだ。そう思うと、それもありかな、と感じられるようになった。
 しかし突然いなくなった私のことを教授や友達はどう思うだろうか。オーストリアに残してきたお父さんとお母さんは、この事実を知らないまま過ごしてしまうのだろうか。私の下宿の大家は、やがて引き落とされなくなる家賃をどう思うだろうか。そしてこの身体一つで、女王という身分が果たして務まるのだろうか。
 そう思うと心がちくりと痛んだ。当然だ、私だって人の子だ。誰にも迷惑をかけたくないし、平穏無事というもののありがたみはよく分かっていたのだから。
 しかし先ほどまで大学にいた私は一体何を望んでいただろうか。幼いころから夢見てきた「お姫様になれる瞬間」を、心の奥底では望んでいたのではなかろうか。仮にいま元の世界に戻れたとして、私は何になれるというのだ。何が変われるというのだ。またあの地味でぱっとしない大学院生に戻ることを、本当に今の私は心から望んでいるのだろうか。
 否、断じて否である。
 だったらやってみよう。やってみるしかない。千載一遇のチャンスじゃないか。奇跡だと呼んでも差し支えない出来事が起きたのだから。この先どうなるかは誰にも分からない。しかし少なくとも、私は変われるのだ。全人類六十億人の中で唯一、私は生まれ変わるチャンスを得られたのだ。
 今までの自分にさよならを告げよう。今目の前にいる銀髪の男の人を含めた人たちが私を女王として必要とするのであれば、喜んで女王になってやろうじゃないか。お姫様なんかじゃない、一国を支配する頂点たる女王だ。
 そう思うと、全身に力がみなぎってきた。
 私は甲冑姿の銀髪の男に向きなおり、
「では以後宜しくお願いいたします。右も左も分からぬ私ではございますが、どうぞご教授くださいませ」
と告げて一礼した。甲冑姿の銀髪の男は、
「もちろんですとも」
と笑顔で返答してくれた。
 神官と思しき老人は私に尋ねた。
「最後に一つだけお願いをしたいのですが……是非ともお名前を教えてくださいませんでしょうか?」
 それもそうだ、私はまだ彼等に名乗っていない。
 私は背筋を伸ばし、堂々と彼等に告げた。
「私はランカシーレ・アッペンツェラーと申します」
「ラ……ッ!?」
 その神官は目を丸くして言葉を失った。周囲はしーんとなり、私一人だけが取り残されたような気がした。
 何かまずいことでも言っただろうか、と思っていると、甲冑姿の銀髪の男が優しく教えてくれた。
「この国では、ランカシーレとはこの世に平和と豊穣をもたらす美の女神の名なのですよ」
 私はそのあまりにもできすぎた話に思わずくすっと笑った。そして銀髪の男に告げた。
「女神の名に恥じぬ女王となるよう、努力いたします」
 周囲から拍手が巻き起こった。
 私は本当に彼等から認められたのだろう。これからの女王としての務めを、頑張ってこなしていこうではないか。

 翌朝のこと、私は天蓋付きの豪華なベッドで目覚めた。シーツは新品で、掛布団には金糸で刺繍がほどこされてあり、ふかふかなベッドが私を包んでくれていた。
 私はベッドから出て、大きく伸びをした。
 この国の寝間着はナイトガウンのようなものだった。ただ非常に薄手で、私の身体が透けて見えるのではないかと思えるほどだった。おまけに裾がとても長く、今も床を一メートルほど引きずっている。少し勿体ないな、と思いはしたが、女王なのだから多少服が床を擦って汚れてしまっても構いやしないのだろう。
 見渡すと、ここが十メートル四方もある豪奢な部屋だと分かる。女王なのだから当然といえば当然だが、これまでのキッチンワンルームの下宿のことを思えば身分不相応なくらいに広い。調度品も丁寧にしつらえてあり、壁には金細工が彫られてあった。
 そのとき、コンコン、とノックの音が響いたので、私は「どうぞ」と返事をした。
 扉が開かれると、昨日の銀髪の男が顔を出して「ごきげんよう」と声をかけてくれた。昨日と同じく、彼は甲冑姿に身を包んでいた。
 私は寝間着の裾を引きずりながら、彼のもとへと歩いていった。
「おはようございます。大変よく眠れました。あなたがこの部屋を守って下さったおかげでございます」
「いえ、女王陛下のお部屋をお守りするのが私の役割ですから」
 彼はにこやかに答えてくれた。朝から彼のさわやかな笑顔を見ることができて私は幸せだ。
 私は彼に告げた。
「ですが……私はまだ女王ではございません。今日の戴冠式を迎えて初めて女王になる、ということでしょう?」
「そうですね。では何とあなた様をお呼びしましょうか?」
 彼は私の言葉を待っているようだった。私は困ったように笑い、小さな声で、
「では特別に、ラン、とお呼びください」
と言った。彼はふっと微笑み、
「承知いたしました、ラン」
と言ってくれた。
 男の人に愛称で呼ばれるだなんて、もうありえないことだと思っていたのに。心臓がトクンと跳ねた気がした。
 彼は私に告げた。
「では、ラン。これから戴冠式のためのドレスを着てもらわねばなりません。ドレスは女王の威厳を示す一番大きな武器です。どうぞ、ご理解ください」
「もちろんでございます」
 私は軽い気持ちで答えた。
 女王としての煌びやかなドレスを着ることができるなんて、なんて光栄なことだろうか。友人の結婚式で、ウェディングドレスがレンタルで十万円ほどかかる、と聞いた時には「私には服を借りるだけでそこまでのお金なんて出せやしない」と思いもした。けれどここではドレスを着ることができるのだ。それも女王としての、立派なドレスを。
 彼は私の表情を見て、にこやかに言った。
「どうやらドレスを纏うのがお好きなようでいらっしゃいます。この分だと、女王としての生活に早く慣れていただけるかもしれません」
 彼は私に「こちらへ」と言って、鎧で纏われた右腕を差し出してきた。私はおずおずと彼の右腕に己の腕をからませた。エスコートしてもらいながら、私は夢見心地でドレスのことを考えていた。私は女王なんだなあ、という思いが体中に満たされていった。
 寝室を出て廊下に立った。幅四メートルはあろうかという大がかりな廊下で、廊下の壁には彫像がかけられてあった。
 私は銀髪の彼の右腕に頼りつつ、廊下を十五メートルほど歩いた先にある着付け室の前に立たされた。着付け室の扉を開けてもらうと、豪華なドレスがいくつも収められたクローゼットが立ち並んであるのが見えた。部屋の真ん中には、一段高くなっている場所がある。私が着付け室に入ると、あらかじめ待機していたであろう下女たちが私に頭を下げてくれた。
「では、ラン。ここから先は男は入ってはいけない場所ですので、私は部屋の外で待機しております。ドレス姿のランを、楽しみに待っていますよ」
 彼はそう言って扉を閉めた。
 心細さを感じた私は、下女に言われるがままに、部屋の中央の一段高くなっている場所にのぼった。
「寝間着をお脱ぎください」
と言われたので、私は寝間着を下女に預けた。下着一枚だけの私の肢体が顕わになり、乳房が躍った。
 目の前に大きな鏡が立てかけられてあった。毎日毎日お風呂から出るたびに見ている、私の全身が映っていた。オーストリア生まれなので身長は170センチほどある。癖毛の多い金髪は長く腰まで伸びてあり、乳房は果実のようにたわわに実っていた。
 下女は私に、大型のパニエをかぶせた。パニエとは、女性のドレスが膨らませるために、ドレスの下に装着するものだ。オーストリア生まれの私は、それくらいなら知っていた。もちろん今取り付けられているような、コルセットと一体化したパニエがあることも知っていた。だが……私の知らないこともあった。
 下女は私の身体にコルセットを留めるやいなや、私の腰を絞めつけんとばかりに紐でしばりつけた。私はおもわず「うぐっ……!」と吐きそうになった。下女はただ冷たい声で、
「腰の括れを出すためでございます」
と言っては、何度も何度も私の腰を縛り続けた。こんなことなら普段の食生活にもっと野菜を入れるべきだっただろうか、と思いもした。
 やがてコルセットが留められ、パニエの裾が丸く広げられた。直径三メートルはあるだろうか。十段もの輪で形作られているそのパニエは、私が今まで見たことないほど大きなものだった。
 次に下女は「ドレスでございます」と言って私に水色のドレスをかぶせた。それはビスチェタイプのドレスで、私が頭と肩を出すとドレスがパニエに沿って広がるのが見えた。下女はそんな私の肩甲骨から腰にかけて、何度もきつく紐でしばった。そうされてゆくうちに、次第に私の腰がくびれていくのが見えた。「服を着ていてもこんなにくびれていたっけ」という思いと「こんなに苦しい思いをするならくびれなくてもいいのに」という思いが綯い交ぜになった。
 ドレスが終わると、次はトレーンと呼ばれるものを留めることになった。トレーンとは「裾」を意味するものだが、ここではドレスの上に取りつけるだけの、「裾」としての機能しか果たしていない衣装のことを指す。下女は紺色のトレーンを私の背後から私の両脇の下に通すと、私の胸の一番盛り上がっているところでトレーンを留めた。トレーンを留めるブローチにはルビーの宝石がはめられていた。
 トレーンは裾が後ろに二メートルほど伸びており、床に長く横たわっている。これも床に擦れると汚れてしまいそうだが、私が今文句を言ってもしかたあるまい。そう思っていると、下女は私の胸の下部を紺色の紐で縛った。これによりトレーンが押さえられ、胸が強調されて体のラインがはっきりした。同時にトレーンがずり落ちる心配も無くなった。
 次はガウンだった。それも裾を三メートル以上引きずりそうな、桃色のガウンだった。十二単のようだ、といえば話は早いだろうか。しかも袖や裾には大きなフリルが付けられてある。私はその桃色のガウンに袖を通し、前で襟を合わせた。下女は私の腰に紅色の帯をきつく巻き、背中側でちょうちょ結びをした。
 私は下女からグローブを手渡されたので、両腕にはめた。これもガウンと同じく桃色のもので、私の腕にぴったりはまった。
 これで大丈夫、と思っていたら、下女が私に一つの箱を差し出した。
「最後に、お靴をお穿きください」
 なるほど、いくらドレスで見えないとはいえ、裸足のままでは女王としての威厳が損なわれるだろう。ならば靴くらいいくらでも履いてやろうじゃないか。さあ、綺麗で可愛いお靴を見せてくれ。……そう思っていた。
 しかし取り出されたのは、まさかのまさか、ガラスの靴だった。透き通っており、朝の光にキラキラ輝き、ヒールの高さは十センチ以上もあり、おまけにこれまで見てきたどんなピンヒールよりも鋭い踵をしていた。
「あの……これは……?」
「はい、女王陛下のお靴でございます」
 私はその言葉に何も返せなかった。女王の靴ならこれくらい当然なのか、という感慨に襲われていたからだ。
 私はドレスの裾を少しだけたくし上げ、下女の前に足を出した。下女は私の足にガラスのハイヒールを履かせた。
 落ち着かなかった。常に爪先立ちをしているかのようだったし、爪先に全体重がかかっているようにも感じられた。おまけに踵はことあるごとにぐらぐらしていた。ハイヒールなる靴を履いたことは過去に何度もあったが、ここまで踵の高いハイヒールは履いたことは無かったからだ。私は胸をトレーンで締め付けられ、腰はコルセットで縛られ、おまけに足はハイヒールで不安定、という三重苦を背負わされているかのようのだった。
 目の前に立てかけられてある鏡を見た。これまでのどの瞬間よりも、煌びやかな姿が映っていた。しかし煌びやかなのは衣装だけだった。胸の谷間を強調する水色のビスチェドレスも、ルビーのブローチで止められてある濃厚な紺色のトレーンも、フリルでいろどられた艶やかなガウンも、全ては私を飾っているにすぎなかった。なにしろ肝心の私は覚束ない足取りで、不安そうな表情を呈していたのだから。
「これにておしまいです。戴冠式へとお向かい下さい」
 下女の言葉に、私はドレスの裾をつまんで「ありがとうございます」と答えた。
 それからも大変だった。私はハイヒールで一歩踏み出すのすらおぼつかないというのに、その上ドレスやトレーン、ガウンが重すぎてなかなか動けなかったのだ。それもそのはず、床を引きずるタイプのドレスは、床との摩擦によって大きな抵抗を生み出す。私はその抵抗に、ハイヒールを履いたまま打ち勝たなければならないのだ。
 私は台から慎重に降りた。下女たちが私を冷たい視線で見てくるのを感じる。分かっている、今の私が不格好であることなど分かっているのだ。でも初めてなのだから、少しくらいは大目に見てくれてもいいじゃないか。
 私は荒い息を吐きながら、着付け室の扉までたどり着いた。下女が扉を開けてくれると、廊下から甲冑姿の銀髪の彼がすぐさま出迎えてくれた。
「ラン! 本当にお似合いです! 大変お美しい!」
「あら、ありがとうございます」
 私はドレスをつまみ、お辞儀をした。そのときパニエが思わぬ方向にたわみ、私はバランスを崩しそうになった。しかし銀髪の彼が私を支えてくれた。彼は私の手を優しく握り、腰に手を回して「ゆっくりでいいんですよ」と言いながら私を掴まらせてくれた。
「ラン、初めてのことだからびっくりしたでしょうが、これがこの国の女王のドレスです。ランはうまく着こなせています。あとは慣れるだけです。さあ……参りましょう」
 そう言って彼は、私の手を握ったままゆっくりと歩いてくれた。
 私はドレスの裾を踏まないよう、ドレスを少しだけたくし上げたまま、彼の歩調に合わせて一歩一歩確実に歩いて行った。
 私は少し俯きながら、彼に言った。
「あなたはお優しいのですね」
「俺はランには優しいようです。他の女には相当厳しく接しているのですが」
 私はくすっと笑った。嘘でもいい、嘘でもいいから、私にそう言ってリラックスさせてくれようとしているのがとても嬉しかった。
 私は気になっていたことを彼に尋ねた。
「もしよろしければ、お名前を教えていただけないでしょうか?」
「はい。女王陛下直属の近衛兵の、パクリコンと申します」
 彼は快く教えてくれた。私はそんな素直な彼につい意地悪をしたくなり、偽悪的な表情で彼に問うた。
「パクリコン。あなたは私に最初から優しく接してくださりました。何か魂胆でもおありなのですか?」
 パクリコンは戸惑うだろうか。否、是非とも戸惑ったところを見せてほしい、という思いがあった。しかしパクリコンは笑いながら答えた。
「ははは、ありませんよそんなもの」
 私は少しがっかりしそうになったが、パクリコンの真摯な目を見て思わず息をのんだ。パクリコンは続けた。
「仕事だからやっているだけです。ついでにいえば、ランがあまりにも女王としてばっちり務まってくれそうなので、つい俺も嬉しくなって仕事に熱が入っている、といったところですね」
 私はその答えにくすっと笑った。なんだかんだ言ってパクリコンは私に期待してくれているようだった。それも、ドレスを着てハイヒールを履いて歩く、というだけでも精一杯の私を、笑顔で助けながら見守っていてくれるのだ。それだけで今の私には充分だった。
 やがてパクリコンは大きな扉の前で立ち止まった。
「ラン。ここから先は大聖堂です。戴冠式はこの中で行われます。……ご武運を祈ります」
「ありがとうございます、パクリコン。しっかりと私の姿をご覧になっていてください」
 私はパクリコンの手をぎゅっと握りしめ、そっと離した。
 パクリコンが扉を開いてくれた。私は大聖堂の絨毯の上に一歩ずつガラスのハイヒールで進んでいった。

 一時間後、私は寝室にやっとの思いで辿り着いた。
「つ……疲れました……」
 私は寝室の壁に手をかけ、肩で息を吐いた。背後で寝室の扉が閉まり、パクリコンが優しく声をかけてくれた。
「ご立派でした。私の知る限り、最も荘厳な戴冠式になりました。さすがは女王陛下です」
 パクリコンの声は私の疲れを癒してくれた。私はパクリコンのほうを見やった。
「でも私は、両手に錫杖と宝玉を持ったまま身体の向きを変えるのに、五分もかけてしまったのですよ?」
 私はくたびれきった声でパクリコンに問うた。しかしパクリコンは微笑みながら答えた。
「はい。女王陛下の堂々たるお佇まいに、皆は息をのんでおりました。あの五分間は、女王陛下の戴冠に相応しい立派な五分間でしたよ」
「んもう……」
 私は困ったように笑った。
 何が正解なのかは分からない。もっと女王に向いている人なら、もっと立派にやってのけたんじゃなかろうか、という思いもあった。何かとんでもない間違いをしてしまったのに、パクリコンがそれを黙っていてくれているだけではなかろうか、という思いもあった。だけれど……今はそんなことは構わなかった。パクリコンがただ「立派だった」と褒めてくれたのだから、それを素直に受け止めようじゃないか。
 私は全身が脱力してゆくのを感じた。このままベッドに身体をうずめよう、と思い、私は天蓋付ベッドへと歩み寄った。
「女王陛下……?」
 背後でパクリコンが何か言うのが聞こえた。でも今だけは、横にならせてほしい。
 そう思って私は、真正面からベッドへと倒れ込んだ。
「いけない、女王陛下! そんなことをしたら――!」
 パクリコンがそう叫んだのと同時だった。私がベッドに倒れ込んだ勢いでパニエがたわみ、背中側のドレスが思いきりめくれあがってしまったのだ。
「えっ!? 何です!?」
 私は急に背中側のドレスが私の顔にかぶさってきたので、すぐには状況を飲み込めなかった。ドレスばかりか、トレーンやガウンまでもが私の顔に絡みついてくる。必死にそれらを払いのけようとしても、なかなか言うことを聞いてくれない。
 ま、待って!? 妙に下半身がすーすーするのだけれど!? ひょっとして……今の私ってもしかして……!?
「女王陛下! 今お手伝いいたしますから、どうかご冷静に……!」
 パクリコンの声が響いた。私は心臓がばくばくと鳴るのを感じた。今この部屋にいるパクリコンは間違いなく、私の顕わになった下半身を堪能しているのではなかろうか。豪奢なドレスがめくれ、顕わになった私の純白の下着をまじまじと見つめているのではなかろうか。
 そう思うと、頭の中が真っ白になった。
「いやああああああああっ!」
 私は叫び声をあげた。パクリコンは必死に私をなだめようと、
「女王陛下! どうか、大丈夫ですから! お気を確かに!」
と言ってくれるが、私はもはやそれどころではなかった。何しろ彼の目の前にあるのは晒された私の下着なのだから、落ち着けと言う方が無茶だ。
 私はたまらず叫んだ。
「きゃあああああああっ! いやああっ! いやああああああっ!」
「女王陛下、どうかお静かに!」
 パクリコンはそう叫んだかと思うと、私の右腕を強引に掴んだ。そして私の腰に手を回したかと思うと、勢いをつけて私の上体を起こさせた。ドレスがパタンと収まり、私の視界は元に戻った。
 そのときだった。寝室の扉がガチャリと乱暴に開けられ、屈強そうな兵士が二人なだれ込んできた。
「女王陛下! 先ほどの悲鳴は何事でしょうか!?」
「パクリコン殿! 女王陛下への強姦未遂罪により、拘束させてもらおう!」
 私が茫然としていると、兵士のうちの一人がパクリコンの右腕を掴んだ。パクリコンはそれを振りほどこうとしながら叫んだ。
「違う! 強姦未遂などしていない! 私はドレスに慣れない女王陛下を助けていただけだ! 事の真実は女王陛下が説明くださるはずだ! 女王陛下に今この場で聞くがいい!」
 これまでの余裕あるパクリコンに似つかわしくない声だった。私はパクリコンの必死な声に思わずはっとなった。
 そうだ。こんな密室に男女が二人きりでいるとなれば、当然強姦というものは生じうるのだ。しかも女王という、国で一番偉い女性が強姦される可能性があるともなれば、余計に警備を厳重にするに決まっている。そんな折に私が悲鳴を上げてしまえば、その場にいたパクリコンが強姦の罪に問われてしまうはずだ。
 私は迂闊なことをした、と悔やんだ。しかし今は悔やんでいる場合ではない。私を悲痛な目で訴えてくるパクリコンを、救わねばなるまい。
 私は兵士をにらみ、ベッドに腰掛けたまま姿勢を正して、なるべく気丈な声で言った。
「兵士よ。パクリコンの手をお放しなさい。パクリコンは、ドレスを踏んで躓いてしまった私を助けてくださったのです。私が怪我をしなかったのは、ほかならぬパクリコンのおかげに他なりません。パクリコンには褒めの言葉を与えこそすれ、罪を問うゆえなどございません。……ご理解いただけたでしょうか?」
 私の言葉に納得したのか、兵士はしぶしぶパクリコンの腕を放した。兵士は、
「では以後紛らわしい事の無いよう、お願いいたします。では」
と言って、二人とも私の寝室から出ていった。
 扉が閉まる音が響くや否や、パクリコンがはぁーっとため息をついて安堵するのを聞いた。それはそうだ。こんな他愛もないことで冤罪を背負わなければならないだなんて、あまりにも不条理すぎる。
 私はドレスの裾に気を付けながらベッドから立ち上がり、ガウンの襟を正しつつパクリコンの前に立った。
「パクリコン。私は、女王の寝室にあなたがいる、ということの重みを理解しておりませんでした。もう決してあのようなことはいたしませんので、どうか私をお許しください」
 そして私はドレスの裾をつまみ、深く礼をした。パクリコンは目を丸くして慌てて私に言った。
「そんな! 女王陛下! 女王陛下がお謝りになることはありません! あれはただ私があらかじめ申し上げてなかったがばかりに、生じてしまった出来事です! それにとっさのことで悲鳴を上げることは、何一つ不自然なことではございません! 不敬を働いたのは間違いなく私の方です! どうかこんな私を、以後も近衛兵として使っていただけないでしょうか!?」
 パクリコンはそう言って、私の前で膝をつき、手をつき、頭を地に下げた。私は思わずパクリコンに駆け寄ってしゃがんだ。重いドレスも、踵の尖ったハイヒールも、そのときばかりは素直に私に従ってくれた。
「パクリコン! 何を仰るのです!? 私はあなたがいてくださったからこそ、今日の私はここまでやってこられたのです! あなたは何の不敬も働いていらっしゃいません! どうかお顔をお上げになってください!」
「しかし……女王陛下……」
 パクリコンは床に頭を伏せたまま、頑なに動こうとしなかった。私はどうすればパクリコンを説得できるのかと考えを巡らせていた。やがて私は、パクリコンのいう「不敬」が何に当たるのかを理解したした。
 私はパクリコンの頭にそっと右手をあてがった。そして子供をあやすかのように、パクリコンの銀髪を優しく撫ぜた。
「パクリコン。女性の下着が何だというのです。男なら堂々となさい。そして、女王の下着を見ることができた唯一の名誉ある男性、として誇らしくなさい」
「しかし……女王陛下……」
 パクリコンはまだ頭を上げようとしなかった。私は続けた。
「パクリコン。私はこれから、あなたに何度も助けを請うことになるでしょう。あなたの前でみっともない真似をするかもしれません。あなたの前で情けない姿を晒すかもしれません。それでも私はなおあなたに、助けてほしい、とお願いするでしょう。それを思えば、先ほどの出来事など些細なものです。私は下着を見られること以上に、公衆の面前でプライドを傷つけられることの方が、よっぽど恥ずかしいと思う女です。もしあなたが、公衆の面前でプライドを傷つけられた私に、相変わらぬ態度で優しく接してくださると約束してくださるのであれば、先ほどの出来事など私はすぐに忘れてさしあげます」
 そう言って、私は再びパクリコンの銀髪を撫ぜた。妙にしなやかで、癖のある銀髪だった。私の癖毛と似ている、と思いもした。
 パクリコンはゆっくりと顔を上げた。いつもの頼れるパクリコンとは一味違った、懇願するような、何かに縋るかのような顔つきをしたパクリコンだった。そんなパクリコンを私は思わず可愛いと感じた。
 パクリコンは上体を起こしながら言った。
「女王陛下、お約束します。私は何があっても、女王陛下に付き従い、支えてゆくことを誓います」
「よろしい」
 私は微笑んで、パクリコンの頭をまた撫ぜた。
 私とパクリコンは、どちらが何を言ったでもなく、ゆっくりと立ち上がった。ドレスを着てしゃがんでいるときに急に立ち上がると、ドレスの中が陰圧になってしまい立ち上がれなくなってしまう。そのため私はドレスの端を少したくし上げてスカートの中に空気を入れながら、ゆっくりと確実に立ち上がった。
「パクリコン」
 私はパクリコンに一歩近寄った。
「私も、あなたと二人きりのときは、不用意に叫び声を上げないことを誓います。……これでおあいこでしょう?」
 私は、ふふん、と笑った。パクリコンは困ったような笑みを浮かべ、
「女王陛下がそう仰るのでしたら……」
と返してくれた。
 二人で時折見詰め合っては、すぐに視線をそらし合っていた。手を握ろうと思って手を伸ばすも、妙に気恥ずかしくなってすぐに引っ込めてしまった。
 私はパクリコンの甲冑の胸元を見やりながら言った。
「パクリコンは、こういった危険と隣り合わせで常にいらっしゃったのですね」
「はい」
 パクリコンは小さくもはっきりした声で答えた。私は尋ねた。
「このような危険が多いということは、ひょっとして女王直属の近衛兵というのは志願する者が少ないのでしょうか?」
「少ないですね」
 パクリコンの返答は端的だった。しかしパクリコンはやや悩んだ後に付け加えた。
「というより……このたびは、私の他に志願する者はいませんでした」
 私はその答えを聞いて、言葉を失った。パクリコンは困ったような表情で続けた。
「なにしろ女王に嫌われたらそれまでですからね。この人が私を襲おうとした、と言われただけで私は去勢の刑に処せられるのですから。そうでなくとも、女王が怪我をすれば近衛兵の責任になり、女王が不埒な者襲われても近衛兵の責任になります。要するに、何か問題が生じればすべて近衛兵の責任になるわけです」
「そんな……」
 私はそんなパクリコンにどんな声をかけてよいか分からなくなった。しかし一つ疑問を抱いた。
「パクリコン。そのような危険を大いに伴う近衛兵に、何故あなたは志願なさったのですか?」
「……この国を救いたかったからです」
 パクリコンは小さな声で答えた。
「これまでこの国は、邪知暴虐な王室によって支配されていました。民は搾取され、悪政によって国は荒れ果てていました。その結果、ある戦争によって王族は完全に根絶やしにされてしまいました。そこで生き残った人々は古くからの言い伝えに従い、召喚儀式によって異世界から女性を貰い受け、女王として君臨させることにしました。……もちろんそのようなことで、すぐに女王が決まるはずなどありません。召喚された女性たちは、戸惑い、嘆き、喚き、罵り、逃げようともし、あるいは女王なる身分に目がくらんでしまうものですから。私はただ待ちました。必ずや、この国を救ってくださる、賢くて立派な女王に相応しい女性が現れてくれる、と信じて」
 パクリコンは深呼吸をして、さらに続けた。
「そんな折に女王陛下が……ランが現れてくださりました。私はランの堂々たる佇まいや、物おじせぬ姿勢、窮地でも崩れぬ言葉遣い、人の心を見抜く技術などに賭けてみたいと思えるようになりました。そこらへんの女性ではなく、他ならぬラン自身に私の人生を賭けてみたいと思えたのです。なのでランが女王になるのであれば、私はたとえあなたのお傍でどんな危険な目にあっても構わない、と覚悟を決めました。……他の世界からやってきてくださったランがこの国で女王になる覚悟をしてくださったように、私も覚悟を決めたのです」
 パクリコンはそう言って、私の目を見つめた。パクリコンの中にも「これを機に何かを変えねばなるまい」という強い思いがあったのか、と確信できた。私が博士課程文学専攻の大学院生なる身分を捨てて、ゴットアプフェルフルスなる国の女王になったのと同じように、パクリコンも自らの生命の安全を捨てて、この国のために尽くそうとしてくれているのだ。
 そう思うと、パクリコンの覚悟の重さが身に染みて実感できた。
「パクリコン……おつらかったのですね」
 私は無意識のうちに、そんな言葉を口にしていた。パクリコンは返答に困っていたようだったが、やがて「はい」と素直に言った。
 私はさらにパクリコンに一歩近づいた。パクリコンの顔が私の五十センチ前にある。パクリコンの靴に私のドレスが重なった。
「パクリコン。ともにこの国のために尽くしましょう。私も覚悟を決めた身です。どんな困難があろうとも、必ずや乗り越えてゆきます。約束いたします」
 私はさらに一歩パクリコンに近づいた。腕を伸ばせばパクリコンの首に抱き付けそうだった。パクリコンの息が私の顔にかかるのを感じた。おそらく私の息をもパクリコンは感じているのだろう。それでもなおパクリコンは私を見つめてくれていた。
 私はパクリコンに、礼をせねばならないと感じた。
「パクリコン。私がこの国を導きます。しかし、私を導いてくださったのは、他ならぬあなたです。あなたがいてくださったからこそ、私はこの国の女王となることができました。……これはそのお礼です」
 そう言って私は、パクリコンの後頭部に両手をまわした。そしてパクリコンの頭を私の胸に押し付け、うずめさせた。
 パクリコンの身体が硬直するのが分かった。それもそのはずだ。こんな光景を誰かに見られれば、それだけでパクリコンは投獄されてしまうのだから。しかしやがてパクリコンは身体の力を抜き、私の胸に顔を擦りつけてきた。ドレスから顕わになっている柔らかな乳房にはさまれながら、パクリコンは何度も何度も私の胸に顔を押し付けた。
 私はパクリコンの髪を撫ぜた。私の胸の中で甘えようとしているパクリコンは、まるで小さな子供のようだった。
 私はパクリコンの身体を抱きしめた。
「これが女王の抱擁です。これを栄誉とし、明日からもよくお励みなさい」
 私がそう言うと、パクリコンが私を抱きしめ返すのを感じた。
 構わなかった。そうしたままでいたかった。
 そんな私とパクリコンだけの時間が、ゆっくりと過ぎていった。

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Author:パクリコン
ピチロの世界の住人。

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