八本目のラノベ その2

 特別連載ラノベの続きです。
 果たしてドレスをたくし上げてハイヒールで踏むシーンはあるのか!? 目の離せない第二話です!

『私が異世界で女王に!? ~ちょっぴりえっちな王国ファンタジー~』
(その2)

 次の日も私は天蓋付のベッドで目を覚ました。金糸の刺繍が入った掛け布団を手繰り寄せ、私はぎゅーっとベッドの中で縮こまった。
 やがて私はカーテンから漏れる朝の陽ざしの誘惑に負けて、ベッドから出た。裾の長いナイトガウンを引きずりながら、裸足でぺたぺたと絨毯の上を歩いた。
 部屋の壁にはゴットアプフェルフルス国を含めた大陸の地図がかけられてあった。その地図は私の記憶にある世界六大陸のどれにも当てはまらないものだった。やはり私はこのゴットアプフェルフルスなる国がある異世界に召喚されてしまったのだなあ、と改めて感じた。
 カーテンを開けて窓の外を見やると、広い城庭が広がっているのが見えた。舗装された小道に青々と茂る芝生、天使の像が彫られた噴水、迷路のように入り組んでいる垣根、そしてそれらを取り囲む頑丈な城壁が私を守ってくれているように感じた。
 コンコン、とノックの音が響いたので、私は「どうぞ」と明るい声で答えた。
 寝室の扉がガチャリと開かれ、甲冑姿のパクリコンが顔をのぞかせた。
「ご機嫌麗しゅうございます、女王陛下」
 そう言うパクリコンの微笑みを間近で見るべく、私はぺたぺたと足音を立てながらパクリコンに駆け寄った。
「おはようございます、パクリコン。本日も大変お日柄がよろしゅうございます」
 私が挨拶をすると、パクリコンは微笑みを返してくれた。
「女王陛下。本日からは女王としての作法を身につけていただきます。一国の女王として相応しい立ち居振る舞いを学んでいただきたいと思います」
「承知いたしました」
 私はパクリコンの目を見ながら素直に返事した。するとその返事が良くなかったのだろうか、パクリコンは困ったような表情で私から目をそらせた。
「いかがなされました、パクリコン? 何か仰りたいことがあれば、何なりと仰ってください」
「はい……」
 パクリコンはしばらく虚空を見つめていたようだったが、やがて私に目を合わせて言った。
「正直私としましては、女王陛下が何らかの作法を今更身に付けなければならない、というふうにはとうてい思えないのです。女王陛下のお言葉遣いはこの城の誰よりも正確で丁寧ですし、佇まいもまさに淑女のそれです。エスコートのされ方も既にご存じのようですし、それにドレスの捌き方やハイヒールでの歩き方に何か間違いがあるようには思えないんです。異世界から召喚された女性が、ここまで成し遂げられているのですよ? となると、これ以上望むのは酷というものではなかろうか、とも思えるんです」
「いえ、そんな……」
 まじめくさった表情で私を褒めつづけるパクリコンを直視できず、思わず私は俯いてしまった。私は俯いたまま恐る恐る尋ねた。
「ですが……ゴットアプフェルフルス国には特有の文化や礼儀があるでしょう? 私が私の既存の知識でそれらに太刀打ちできるとはとても思えません。やはり一からこの国の作法を学ぶべきだと、私は思います」
 私がそう言うと、パクリコンはため息をついて「女王陛下がそう仰るなら……」と言って引き下がった。おそらく他の家臣に「女王陛下に作法を学ぶよう説得してこい」と言われたのだろう。その役を引き受けならねばならないパクリコンの立場に、私は同情の念を抱いた。
「大丈夫です、パクリコン。とりあえず、私が作法を学んだ、という事実があれば、他の者は納得してくださるでしょう。それに私は女王になってまだ二日目です。私のことをよく知らない人の前できちんと振る舞うためにも、作法は必要でしょう。是非とも私に作法の何たるかをお教えください」
 私は微笑みながらそう伝えた。すると今度は何がいけなかったのだろうか、パクリコンは私の目を茫然と見つめてきた。どうやらパクリコンの前では言葉を気を付けないといけないかもしれない、と思っていると、パクリコンはその茫然とした表情のままで私に言った。
「まるでランは、まさに我々の女王となるべくしてこの世界にいらっしゃってくださったかのようです」
「えっ」
 私は思わず言葉を失った。パクリコンは続けた。
「よく臣下のことをご理解なさっているし、ご自身の立場をよくお考えでいらっしゃいますし……ひょっとして女王陛下は、この世界に召喚される以前にも、どこかの国で女王として君臨なさっていたのではありませんか?」
 その言葉に私は思わず目を丸くした。そしてぷすーっと笑い声を漏らして、愉快気にパクリコンに答えた。
「まさかまさか。そのようなことなどございません。私はただの、語学を研究するだけの学生でございました。他に何のとりえもなく、地味でぱっとしない生活を送っていただけの女でございました。女王だなんてとんでもない。今でこそ、あなたのお支えのおかげで私は女王としてやっていけているだけでございます。……あなた自身のご献身をお忘れにならないで」
 パクリコンは私の言葉に、嘆息を吐いた。そして小さな声で、
「やはりランは、我々の女王陛下だ」
と呟くのが聞こえた。
 そうじゃないんだけれどな、という思いを抱きはしたが、パクリコンがそう言ってくれるのであれば、今は彼の言葉を素直に受け取ろう。無論、パクリコンがあまりに私に期待しすぎるあまりに、私の失態ひとつで私を見限ってしまうことだけはあってほしくないが。
 私はパクリコンにエスコートされて着付け室まで向かった。パクリコンの右腕に己の腕をからませていると、ナイトガウンの襟の間から私の胸の谷間が顕わになるのが分かった。しかしパクリコンは私の胸の谷間を見ようともせず、ただゆっくりとした歩調で私をいざなっていた。私はそれに嬉しくも感じ、少し気落ちもした。
 着付け室の前でパクリコンを待機させ、私は着付け室の中へと入った。またあの腰の締め付けが始まるのか、と思ったが、ここは覚悟を決めねばなるまい。そもそも女王というものは、美貌で臣下の心を鷲掴みにせねば、いずれ腕力によってねじ伏せられてしまうのだ。そう思えば、多少なりとも豪奢なドレスで着飾って男どもを魅了するのも悪くない、と思えた。
 私は下女にコルセットパニエをきつく締めつけてもらい、ドレスを着せてもらった。そのドレスは昨日のドレスとは異なり、薄い青緑色を基調とした穏やかなものだった。ドレスのスタイルは昨日と同じくビスチェドレスだった。実際ドレスの上にガウンを羽織る以上、ドレスの袖が無いと動きやすいのは確かだ。
 下女は私の胸に優しい緑色のトレーンを留め、裾を伸ばした。トレーンを胸元で止めるブローチにはエメラルドがはめられてあった。
 私は青空のような色のガウンを着せてもらった。襟元をただすと、下女が紺色の帯で私の腰を縛った。
 まるで昨日の私と違う、と私は感じた。少なくとも目の前の大きな鏡に映っている私の姿は、昨日のそれとはまるでかけ離れていた。昨日は戴冠式という荘厳な舞台に踊り立つ女性を着飾るに相応しいドレスを纏っていた。しかし今日の私は和やかで、親身になって優しく臣下に接せられるような女王のドレス姿に違いなかった。
 にしても……ここには何着ドレスがあるのだろうか、と私は思った。時折垣間見えるクローゼットの中には、ぎっしりとドレスが詰まっていた。あれらは全て私の物なのだろうか。そんな贅沢をしていていいのだろうか。
 下女が私にガラスのハイヒールを履かせた。こればかりはいつもと同じなのだろう。
 下女が「これにて着付けはおしまいです」と言うのを聞いて、私はドレスの裾をつまみ礼をした。そしてドレスを軽くたくし上げて、着付け室の扉へと向かった。昨日の今日ではあるが、多少なりともドレスの捌き方を身につけることができた。もうパニエをたわませることなく、ドレスを纏って歩んでゆけることだろう。
 着付け室から出ると、パクリコンが笑顔で出迎えてくれた。
「大変お似合いです、女王陛下」
 そう言ってくれるパクリコンに「ありがとうございます」と言う私は、照れを隠しきれていなかった。
 パクリコンにエスコートされながら廊下を歩きつつ、私はパクリコンに尋ねた。
「パクリコン。今日の私は、昨日とは異なるドレスを着せていただけました。いったい私には何着のドレスがあるのでしょうか?」
「何着……ですか?」
 パクリコンは、まるで私が的を外した質問をしたかのような声で答えた。しかしパクリコンは微笑んで答えてくれた。
「女王陛下。この国では、女王陛下のドレスは毎日新しいものになります。一度袖を通されたドレスを、女王陛下が再び着ることは決してありません。常に新調されたドレスを女王陛下に纏っていただくことになります」
 私はそれを聞いて、うっ、と胸が締め付けられる思いをした。たしか私の友人は、ウェディングドレス一着をレンタルするのに十万円かかった、と言っていた。当たり前だが、今私が着ているドレスやガウンはレンタルではなく、正真正銘の女王所有のドレスだ。それも細かい刺繍が施され、フリルがふんだんに用いられ、長く裾を引きずるような立派なドレスだ。とても一着十万円程度で手に入れられる代物ではない。たとえこれらのドレス一式が十万円で手に入ったとしても、それだけで年間3650万円の出費となる。それだけのお金があれば、郊外に家一軒くらいなら余裕で建てられる。
 私は立ち止まり、パクリコンの右腕に縋りながら、彼の目を見て言った。
「お願いです。どうか私のドレスを、何着かだけにしてください。ドレスなど洗えばまた使えるのですから、無駄に新しいドレスを着続ける必要などございません。このドレス一式がどれほど値の張るものなのかなど、ドレスを見れば一目瞭然でございます。ドレスを購入する出費を抑えるためにも、どうかこれ以上のドレスの購入をお控えくださるようお願いいたします」
 パクリコンはそう言う私の目を見つめ返してきた。きっと私がゴットアプフェルフルス国の常識にそぐわない発言をしてしまったことに対して、いかにオブラートになだめようかと思案しているのだろう。パクリコンは決まって、私をなだめようとするときには私の目を見つめる癖があった。
 やがてパクリコンはゆっくりと口を開いた。
「女王陛下。女王陛下に常に新しいドレスを纏っていただく理由は二つあります」
 パクリコンは私に一歩近づき、私を壁際まで追い込んだ。ドレスがたわみ、パクリコンの影で私の視界が暗くなった。
 パクリコンは私の目を見つめたまま、続けた。
「まず一つ目は、女王陛下が一度袖を通されたドレスを全国の修道院に寄贈するためです。この国には、経営に行き詰りつつも貧しい人を救っている修道院がたくさんあります。それらの修道院に、女王陛下のドレスを寄贈しているのです。……もちろん直接金銭的な援助を行うほうが手っ取り早いのは確かです。しかしそれだと、公的機関が依怙贔屓をした、と各地から文句を言われかねません。一方で女王陛下のドレスの寄贈となれば、援助として見なされません。言ってみれば、古着を押し付けていることに他ならないのですから。……そういうわけで、修道院では女王陛下のドレスの布地を使って、貧しい人のための服を作っています。そのおかげでゴットアプフェルフルス国では、寒さによって命を落さずに済む人たちが大勢いるのです。……ご理解ください」
 そういうことだったのか、と私は感心した。富の再分配、といえば大袈裟だが、要は「貧しい人を援助するための手だてを、政府自身が作っている」ということだ。女王がいて平民がいる、という具合に身分制度がはっきりしているこのゴットアプフェルフルス国では、貧民層など平気で見捨てられていてもおかしくない、と思っていた。しかしそうではないのだ。この国では、人は人と助け合って生きていく意義を見出しているのだ。
 そんな援助を行える口実を作ることができるのであれば、いくらでもドレスを着てやろうではないか、と思いもした。
「それから二つ目の理由ですが」
 パクリコンはそう言って辺りを見渡した。長い廊下には誰もいなかった。幅四メートルもある廊下で、私はパクリコンによって壁際に迫られていたのだ。そう実感するやいなや、私はごくりとつばを飲み込んだ。
 次の瞬間、パクリコンは何を思ったのか私の足許にしゃがみ、私の青色のガウンの裾を掴んだ。そして立ち上がって、私にガウンの裾の裏地を見せた。常に床に擦られているその裏地は、今日身に纏って少し廊下を歩いただけなのに、黒ずんでいた。
「女王陛下。床を引きずるということは、これくらい汚れてしまうものです。ガウンのみならず、トレーンやドレスの裾も、同様に汚れてしまうものです。そのようにして付いた汚れを洗い落とそうと思うと、それこそ生地が傷んでしまうくらいに擦らねばなりません。しかもそれでもなお汚れは完全には落ちず、裾は黒ずんだままになってしまうのです。……一国の女王が汚れたドレスを纏っているようでは、男性を魅了することなどできないでしょう?」
 パクリコンはそう言って私に微笑みを投げかけた。
 分かった、あなたの言いたいことはよく分かった。綺麗なドレスを纏っていないと女性の魅力が充分に引き出されない、というのは揺るぎない事実だ。それに女性の魅力によって男性を魅了することは、女王たる私にとって大変重要なことだ。でも私が今一番あなたに尋ねたいのは、肝心のあなた自身が今現在私に魅了されているのかどうか、ということだ。
 あなたは私を支えてゴットアプフェルフルス国を建てなおしたい、と言ってくれた。でもそれは私を女王という駒としてしか扱っていないということなのだろうか。それとも私という一個人に、支えたい、という思いを感じてくれたからなのだろうか。はたまた、支えたい、だとか、国を建て直したい、といった思いは建前で、別の真意があるのではなかろうか。
 私の胸の中で悶々とした思いがうずまいていると、パクリコンは私の傍から一歩引いて、
「お美しいですよ、女王陛下」
と言ってくれた。きっと私の複雑な表情を見て察してくれたのだろう。そういう気の利くところは彼の魅力だと思う。けれどそれは私を気遣っただけの社交辞令だ。まだ当分、彼の本心というものに触れることはできないのだろう。
 昨晩は確かに彼と深い話をした。彼が私に付き従ってくれる理由の根幹に触れることができたように思えた。彼は彼自身を私の胸の中で抱かれてくれた。私同様に、彼も彼で少しずつ私に心を開こうとしているのではなかろうか。
 私は彼が心を開いてくれるのをたまらなく待ち遠しく思えた。無論今すぐでなくていい。こういうのは時間をかけてじっくり歩み寄ったほうがいいに決まっている。そんなことは分かっているのだ。しかし彼の本心にあたる部分に少しでもいいから触れてみたいと思うのも、また事実だった。
 俯いている私に、パクリコンは優しく声をかけてくれた。
「女王陛下。まずは食事の作法を学んでいただきます。どうぞこちらに」
 そう言って彼は私に、改めて鎧で纏われた右腕を差し出した。私は黙ってその腕に縋り、歩き出した。
 彼が私を連れてきたのは、大きなダイニングルームだった。部屋の中央には木製の長いテーブルが置かれてあり、真っ白なテーブルクロスがかけられてあった。しかし椅子は、テーブルの座長席にのみひとつ置かれてあるだけだった。
「あちらが女王陛下のおかけになる椅子です」
「……私独りで食べねばならないようでございますのね」
 私は皮肉を込めたつもりで言った。パクリコンは苦笑しながら、
「それでもいつでも私はお傍で立っておりますから」
と告げてくれた。
 どうやら当分、私は誰かと食事を楽しみながら談笑することができないらしい。女王は孤独なものだ、と私は心の中で毒づいた。
 パクリコンは私の肩に手を置き、
「では、食事の作法について学んでいただきます」
と私に言った。食事の作法なら多少覚えがある。小さいころから厳格な家庭で育った私なら、多少なりとも太刀打ちができるかもしれない。しかし……パクリコンが私に指導をしてくれるというのだろうか?
「作法については、私では満足にご指導できません。そこで作法については、より女王陛下を完璧に仕上げてくれる人をご紹介しましょう」
 パクリコンのその言葉を聞いて、さもありなん、と私は思った。確かに甲冑姿のパクリコンより、躾担当の口うるさい壮年の女性の方が、よっぽど作法の指導には向いていそうだ。
 相当いびられるだろうなあ、と私は直感した。なにしろ女王としての作法を身に付けなければならないのだから、厳しく指導されるのは当たり前だ。そんな私をよそ目に、パクリコンは部屋の外に向かって「レビア」と呼んだ。私は覚悟を決め、レビアなる女性にどんなにきつく指導されようとも素直に従おうと心に誓った。
 しかし私の予想とは大きく反し、ダイニングルームの控室に繋がる扉から現れたのは、まだ二十歳過ぎの女性だった。端正な顔立ちで、長い黒髪を棚引かせ、ビリジアンのスレンダーなドレスがとてもよく似合っていた。ぱっちり開いた垂れ目はくりっとしており、前髪を大きな髪飾りで留めてあった。余った前髪は後頭部で結ばれてあるようだった。
「呼びましたか、パクリコン?」
 レビアの元気の良いはきはきした声がダイニングルームにこだました。間違いなく男受けする子だ、と私は直覚し、少し自己嫌悪に陥った。
 パクリコンはレビアに言った。
「女王陛下に食事の作法を教えてあげてくれないか? どうも俺はこういうのだけはダメで……」
「任せなさい。あたしが一から十まで教えてさしあげましょう」
 レビアは胸を張って答えた。パクリコンに素直に頼られるレビアの姿を見ると、チクリと心が痛んだ。
 レビアは私の方に向き直り、お辞儀をして挨拶をした。
「初めてお目にかかります、女王陛下。あたしは女王陛下直属の侍女のレビアと申します。以後お見知りおきを」
「はい、よろしくお願いいたします」
 私はドレスの裾をつまんで、レビアにお辞儀を返した。
 レビアはそんな私の姿を怪訝な表情で見ていた。さっそく何か失態を犯してしまっただろうか、と思っていると、レビアは私にこう告げた。
「女王陛下。失礼なことをお聞きしますが、女王陛下は二日前にこの国にいらっしゃったのですよね?」
「はい、その通りでございます」
 とりたてて失礼な質問だとは思わなかった。物事を確認する作業は、良い仕事を完遂するために必要なことだからだ。
「ではどうして、ゴットアプフェルフルス国のお辞儀のやり方をご存じなのですか?」
「えっ?」
 私は思わずきょとんとなった。しかしすぐにレビアに、言葉を一つ一つ選びながら説明した。
「私が幼いころ、淑女とはこのようにドレスの裾をつまみ、膝を曲げて礼をするものだ……と習いうけたからです。さすがに世界中どこででも通用するとは思っておりませんが、少なくともこれくらいは淑女のたしなみである、ときつく言われたものでした」
「……これは手ごわいな」
 レビアがそうつぶやくのを聞いた。パクリコンはレビアの耳元で「おい、失礼だぞ」と言ったが、レビアは続けた。
「女王陛下。それほどの動きづらいドレスを纏い、ハイヒールを履いたうえで、ドレスを軽くつまみ、膝を曲げて頭を下げる……という行為はそうそう容易くできるものではありません。それこそドレスのつまみ方から膝の曲げ方に至るまで、細心の注意を払わねばできないことです。それを女王陛下は、淑女のたしなみ、の一言と仰りました。でもご存じですか? そんじょそこらの淑女はそんなたしなみを持ちあわせていませんよ?」
 私はレビアの少し砕けた口調に思わずくすっと笑ってしまった。そして私は、
「はい、少々烏滸がましいことを口にしてしまったことをお許しください」
と言って、再び頭を下げた。
 私が頭を上げると、レビアはパクリコンの顔を見た。パクリコンもレビアの顔を見やった。二人は、
「これって別にあたしが作法を教えるまでも無いんじゃないの?」
「俺もそう思ったんだけれど、一応ってことで、頼むよ」
と話していた。そんなふうに友達同士のような話し方ができる二人を見ていると、私の心は再びチクリと痛んだ。
 私はまだこの国で、友達と呼べる相手がいないんだっけ、と感じた。元より友達の数がとりたてて多いわけではなかったが、それでも友達と呼べる相手がいてくれることに感謝し、頼っていたのも事実だ。
 レビアは一歩私に近づいて言った。
「まあ今は食事の作法ということですので、とりあえず朝食を召し上がってください。あたしは途中で一切口出しをしませんので、女王陛下が良いと思うやり方で、どうぞ召し上がってください」
「はい」
 私はしっかりと頷いた。
 私はレビアに見守られる中、ゆっくりと椅子の傍まで歩み寄った。レビアが椅子を少し下げてくれたので、私はドレスの裾を正しながら静かに座った。
 やがて給仕が食事を運んできてくれた。前菜のハムサラダ、ポタージュのスープ、ニシンの燻製、そして口直しのリンゴ。これまで私が行ったことのあるどんなレストランの料理よりも、それらはおいしかった。作法を学ぶ一環とはいえ、舌が充分に満足できる料理を食べられて私は満足だった。
 食事が終わったので私は姿勢を正し「んんっ」と咳払いをした。するとレビアが私の背中側に来て、私の椅子を持って少し下げてくれた。私はドレスの裾を気にかけつつ立ち上がり、テーブルから離れてパクリコンとレビアのほうに向きなおった。
 私はレビアに問うた。
「いかがでしょう? まだ作法というものが分かっておりませんので幾許も不格好なものであったと承知しております。どうぞ何なりと私の間違っていた点をご指摘ください」
 私の問いに対し、レビアは何を口にしようかと迷っているかのような表情を呈していた。それはそうだ、最初からうまくいくとは思っていない。だからどんな厳しい指摘でもきっちり受け止めてみせる、何を言われても絶対にくじけたりしない、……そんなことを私は覚悟していた。
 しかしレビアの口から出たのは、思いもよらぬ言葉だった。
「女王陛下。召し上がり方がほんとうにお上品ですね」
「えっ」
 我ながら間の抜けた声を出してしまったものだ、と思った。しかしレビアはどこか敗北を喫したかのような声で続けた。
「具体的に言いますと……まず女王陛下は作法というものを間違いなく習得していらっしゃいます。それも何一つ間違いなどありません。いっそ下女たちに示すためのお手本としてしまってもよいくらいに完璧でした。それくらいに作法なるものには文句のつけようがありませんでした。ですが……それ以上に、女王陛下はお上品でした。フォークの持ち方から咀嚼の仕草、水を飲むタイミング、煎り豆の潰し方に加えてリンゴを口にする様など、非常に気品にあふれていました。それらはただ作法を学んだだけで得られるものではありません。作法のさらに先にある、優雅とか美麗といった概念を理解していないと、そうそう演じられないものです」
 レビアが私の行儀を褒めてくれているのは分かる。しかし私はただ、少し気を付けて食事をしただけにすぎないだ。それだけで容易く、文句のつけようがなかった、と言われても納得ができない。ひょっとしてレビアは、私に教える気など無い、と暗に意味したかったのだろうか。それとも私を褒め殺しにして私に取り入ろうとしたかったのだろうか。
 私はすぐに、そのどちらでもない、ということに気付いた。レビアの表情は真摯で、認めたくないものを認めねばならない目をしていたからだ。悔しさすらそこにうかがえた。もし私を見限る気ならもっとそっけないはずだし、もし私に取り入る気ならもっと取り繕ったような笑みを浮かべてくるはずだ。しかしレビアは肩をこわばらせながら、あくまで私を一人の女性として評価する言葉を選び続けてきた。それもどうしても許せぬ自分自身を抱えているかのような声で。
「……そういうわけで、あたしから女王陛下に何か指摘しようだなどという愚かなことはできません。不出来な侍女でごめんなさい」
 そう言ってレビアは私に深く頭を下げた。私は慌ててレビアに近寄って言った。
「レビア。私のことを気遣ってそう仰って下さることは大変ありがたいと思っております。ですが……何かあるでしょう? 私はただ、私の知っている淑女のたしなみに沿って食事をしただけでございます。あなたの仰る気品というものがどういうものなのか、私には分かりません。上品さがあったかどうかも分かりません。それゆえに私はあなたに教えを請うているのです。あなたは不出来な侍女などではございません。どうかお顔をお上げになって、私に何か仰って下さい」
 私の声に、レビアは顔を上げた。まるで少女のような顔だった。どうしても越えられない世界の壁を目の当たりにして、茫然と立ち尽くすしかできない自分に歯がゆさを感じているような顔だった。
 やがてレビアはゆっくりと口を開いた。
「女王陛下。あたしは女王陛下の侍女としてお仕えできて光栄です。女王陛下は作法をどんなに完璧にこなしても「淑女のたしなみだから」と謙遜なさり、あくまで腰が低く、あまつさえ侍女である私を素直に頼って下さるのですから」
「レビア……」
 レビアが私を見つめる目には、畏敬の念がこめられていた。その目は、これまでの自分の想像をはるかに超越した人に出会ってしまったかのような目だった。レビアの目を見て、「少し私を過大評価すぎではなかろうか」と思いもし、同時に「きっとレビアはよっぽど素直で、自分に厳しい子なのだろう」と思えもした。しかし少なくとも、私はレビアに等身大の私自身を見てほしかった。侍女という身近な立場でいてくれる子に、「相手は女王陛下だから」という無駄な気遣いをさせたくなかった。しかもレビアくらいに素直で優しい子なら、きっと私のことを理解してくれると信じられた。
 謀略渦巻く王城で、そう考えることは多少なりとも危険だったのかもしれない。何故ならレビアがどんな子なのかという知識を、私はほとんど持ち合わせていなかったからだ。それにもしレビアが私を利用して何かをふんだくろうと図っているのだとすれば、ここで必要以上にレビアに近付かないほうがいいに決まっていた。
 しかし私はどうしても、レビアをそんな子だとは思えなかった。パクリコンとも親しげに話をし、真摯に私に向きあってくれて、私に対して投げかける言葉を選ぼうと気を遣い、おまけに素直に己の敗北を認める子が、私の身を滅ぼそうとするとはとうてい考えられなかった。
 少しずつレビアと仲良くなろう、と思えた。今のレビアにどんなに近づこうとしても、レビアは委縮して距離を置いて遠ざかってしまうことだろう。だったら毎日少しずつでいい。レビアのことを理解し、レビアの言葉や振る舞いをよく観察し、レビアのために君臨できる女王になろう、と思えた。
 私はレビアに一歩近づいた。
「レビア。まだ食事の作法が終わっただけでございます。日常の振る舞いから外交に至るまで、私が習得せねばならない作法などたくさんございます。どうか私に、あなた自身によって、それらの作法を教えてくださりませんでしょうか?」
 レビアは私の言葉を聞いて少し俯いて、照れを隠さぬ声で「はい」と答えた。
 パクリコンは笑顔でそんなレビアの頭をくしゃくしゃっと撫ぜ、
「よかったな。女王陛下は君のことを認めてくださったんだ。頑張らなきゃな」
と励ました。レビアは、
「うん……頑張るよ」
と言ってはパクリコンを見た。
 私は、そんな二人の姿だけは見たくなかった、と思ってしまった私自身が憎たらしかった。しかしそのような思いをおくびにも出さず、私は二人に声をかけた。
「では次に参りましょう。今日中に覚えねばならないことはたくさんございましょうし、ね?」
 そう言う私の声は、少しだけひきつったものだった。

 それからレビアにいろいろな作法を教えてもらった。歩き方や階段の上り下りのしかたから始まり、挨拶、物の受け取り方、はたまた臣下への女王としての命令を下すときの作法まで教えてもらった。
 レビアは教えるのがたいへん上手だった。横から口を出すことは少なく、私の動きを一通り観察してから要点を纏めて話してくれたからだ。それも根性論や精神論で片づけるのではなく、物事の作りを把握したうえでの理にかなった説明ばかりだった。レビアも相当よく教育が施された子なのだと、私は実感した。
 レビアは私をよく褒めてくれた。私が初めて知った作法を理解して実践してみせるたびに、レビアは笑顔で手を叩いて喜んでくれた。
 一通りやり終えた後に、城の中庭に出てレビアは私に言った。
「これで今日の作法講座はおしまいです。本来なら今日の講座内容を半年かけて女王陛下に教えこんで鍛え上げるつもりだったのですが、女王陛下はそれを一日でこなされました。ほんとうに女王陛下は、ゴットアプフェルフルス国始まって以来の名君ですね」
 笑顔でそう言ってくれるレビアに、私は困ったように笑いながら「ありがとうございます」と返すことしかできなかった。パクリコンもパクリコンで、
「女王陛下が名君だと今頃気づいたか、遅いぞレビア」
などと適当なことを言っていた。
 作法はこれで一段落したか、と私は思った。その瞬間、私は頭の中から完全に忘れきっていた事実を二人に尋ねた。
「あの、私は女王なのですよね!? そうであれば、私に求められるべきは作法ではなく、良い治世を行うことではございませんか!? そのための知識や技術の習得はどのようにすればよいのでしょうか!?」
「落ち着いてください、女王陛下」
 パクリコンが私を優しい声でなだめた。
「女王陛下はことを急ぎすぎます。たとえ普通なら半年かかる技術習得を一日でこなせる女王陛下であったとしても、さすがに治世のための知識や技術の習得を今すぐ行う必要などありません。もっと時間をかけていいのです。でないとお身体に差し障りますよ」
「ですが……」
 私はパクリコンに反駁しようとした。しかし、もし私が体調を崩してしまえばパクリコンが責任を問われることになる、という事実を思い出して、黙ることにした。パクリコンは私によくしてくれるのだから、あまり無茶を言って迷惑をかけるわけにはいかない。
 パクリコンは私を中庭のベンチにいざない、腰掛けさせた。ベンチに座る私を見下ろすパクリコンは、私を説得しようと思ったのか、こんなことを言った。
「女王陛下。治世とはいいますが、要はお金をどのように動かし、何に使い、何を成し遂げるか、を決定することが大事になってきます。となると当然、お金の勘定ができないといけません。世の中には複雑な勘定がたくさんありますから、まずは算術の基本からお学びになるとよいかと思われます」
 パクリコンのその言葉に私はむっとなった。ひょっとしてパクリコンはこれまで、私のことを算数すらできない女だと思っていたのだろうか。さすがにそれは博士過程文学専攻所属の私であったとしても、プライドが許さなかった。
 腹の虫がおさまらなかった私は、思わずパクリコンに挑発的なことを言った。
「パクリコン。まず算術の基本を学ぶ前に、私がどれほど算術を理解しているかを把握なさい。話はそれからでしょう?」
「そうですが……いくらなんでも算術は、そうそう手の出るものではありませんよ……?」
「いいからお試しなさい」
 渋るパクリコンに対し、あくまで挑発を続ける私。パクリコンは諦めたかのように、私にこんな問いを出した。
「30+42はいくつでしょう?」
 さすがにこればかりは、パクリコンに怒りを覚えても許されるだろう、と感じた。
「72です」
 鼻息荒く一秒以内に即答した私を、パクリコンとレビアは目を丸くして見た。してやったり、と私は心の中でにまりと笑った。
 学部を問わず、私の大学に入るには数学の知識が必要だった。将来専門とする知識だけでなく、万遍なく幅広い知識を習得して初めて学問というものは成立する、という経営方針があったからだ。文学専攻の私だが、数学のことを軽んじたことはこれまで一度たりとも無かった。そんな私に「算術を基礎から学べ」と言うのは、あまりにも事が分かっていないのではなかろうか。
 そんな思いがあったため、パクリコンが「ぐ、偶然だよな……?」という顔をするのがあまりにも愉快だった。
 パクリコンは続けた。
「……55+27はいくつでしょう?」
「82」
 再び私は即答した。パクリコンは私が手の指を全く動かさずに答えたのが信じられなかったようで、もっと難しい問いを出さねばならない、と思ったようだった。
「では女王陛下。ある数字を二回掛け合わせると81になります。そのある数字とはいったい何でしょう」
「9および-9です」
 再度私は即答した。
 問題を出したはずのパクリコンは、何故か困ったような声でレビアに、
「なあ、9かける9が81になるのは分かるのだが、-9かける-9は本当に81になるのか?」
と尋ね、レビアもレビアで、
「いや、だからね、マイナスの数っていうのは、二回掛け合わされるとプラスになるんだよ。だからさっきの答えは9と-9の二つになっちゃうんだよ」
と教えていた。
 パクリコンとレビアが「それって本当に正しいのか?」「正しいんだからしょうがないでしょ?」と話し始めたので、私は「んんっ」と咳ばらいをした。ここはひとつ、仕返しとして女王の威厳というものを見せつけてやらねばなるまい。
「お二人にお尋ねいたします。半径が1の球があるとします。その球の体積はいったいいくらになるのでしょう?」
 私の問いに、パクリコンとレビアは言葉を失った。パクリコンはパクリコンで、
「球の中をくりぬいて水を入れて測ってみないことにはなんとも……」
などと眠たいことを言い、レビアもレビアで、
「それって本当に答えが分かるのですか……?」
と怪訝な顔をしていた。私はわざとらしく鼻息を吐き、満面の笑顔で、
「その体積は、3分の4に円周率をかけたものになります。どうぞお二人とも算術を基本からおやり直しなさい」
と言ってやった。
 十分後、そこには私から数学の手ほどきを受けるパクリコンとレビアの姿があった。ベンチに腰かけた私の傍に二人は跪き、熱心に私の講義を聞いてくれた。
 どうやらこの国では、初等数学すら一般的には普及していないようだった。一般人が二桁の足し算を暗算でできない、というのが普通だというのを聞いて、ここはひとつ教育を改新したほうがよいのではなかろうか、とも思えた。将来的に行う治世の方針が、ひとつ定まった気がした。

 夕暮れの中、私たちは三人で城庭を散歩していた。夕陽を眺めながらパクリコンが、
「女王陛下が並大抵の女性でない、ということが分かっただけで、今日は大収穫でした」
と何気なくつぶやいた。レビアもレビアで、
「いくらなんでも、何か一つくらいは女王陛下ができないことがあってもいいんだけれどなあ……」
とぼやいていた。
 城庭の門をくぐり抜けると、強い風が私に吹きかかってきた。私はドレスがめくれそうになるのを押さえるも、ガウンは無情にもひらひらと舞ってしまっていた。
 レビアはふと、庭の隅にある厩を見た。そして私に、
「女王陛下、乗馬の経験はありますか?」
と尋ねてきた。私は困ったように笑いながら、
「幼いころに少しだけ乗馬をたしなんだことはございます。とはいってもゆっくり馬を歩かせる程度しかできませんが」
と答えた。レビアは「これに賭けるか」といった面持ちでパクリコンに目配せをした。パクリコンも思いは同じのようだった。
 私は二人の顔を立てるべく、
「では乗馬のやり方を教えてくださいませ。女王たる者、乗馬くらいできねばなりませんもの」
と言った。二人は軽くうなずき合って、私を厩へといざなった。そんな二人の阿吽の呼吸が、チクリチクリと私の心を痛ませた。
 パクリコンは厩から一頭の白馬を連れ出してきた。馬の背中の鞍は私の目線ほどの高さにある。こんな高さにどうやって跨れば良いのだっけ。
 パクリコンは私に告げた。
「では女王陛下。まず女王陛下の左足のハイヒールを、この鐙(あぶみ)に置いてください」
「……えっ?」
 私は思わずパクリコンに聞き返した。
「あの、パクリコン? 乗馬というものをするときには、乗馬服に着替えねばならないのではございませんか?」
「乗馬服?」
 今度はパクリコンが聞き返す番だった。そのやり取りの行き詰まりを察したレビアは教えてくれた。
「女王陛下。ゴットアプフェルフルス国では、男性も女性も、そのままの衣服を身に着けたまま乗馬するんです。つまり女王陛下には、そのドレスを纏ったまま馬に乗っていただきます」
「ええっ!?」
 我ながら素っ頓狂な声を上げてしまったものだ、と感じた。ドレスを纏っているのに、どうやって馬に乗ればよいのだろうか。そもそもドレスを纏っている状態で馬に乗ろうものなら、ドレスがはだけて生脚が丸見えになってしまうのではなかろうか。それでもやれというのだろうか。
 しかしパクリコンもレビアも「それが当然だ」といわんばかりの表情で私を見ていた。どうやら女王がドレス以外の服を着ることなど許されない事らしい。
 だったら上等だ。ドレス姿で騎乗する私の姿を拝ませてやろうじゃないか。
 私は白馬の左側面に近づき、太腿が見えるくらいにドレスをたくし上げた。そして左足を思いきり上げて、白馬の左側の鐙にハイヒールを置いた。鐙にはハイヒールの踵をひっかけるための凹凸があったため、すんなりハイヒールを乗せることができた。
 私は手綱を握りしめた。そしてガウンとトレーンとドレスを纏めて引っ掴んだかと思うと、勢いをつけて鐙の上に登り、馬の鞍にまたがった。
 残念なことに、ドレスもトレーンもガウンも馬の背に乗らなかった。私は左側面に垂らしたままのドレスを掴んで勢いよく馬の背中にかぶせ、トレーンとガウンを丁寧に引いて馬の背中にたなびかせた。まだ私の右脚は曝け出されていたままだったので、私はドレスの裾を正して右脚を隠した。
 私は手綱を引いて馬を従えた。馬はいななきをあげ、私の意志に従う姿勢を取った。私は馬のおなかをハイヒールで蹴り、馬を軽く走らせた。
 鞍がガクガク揺れて、何度もお尻にぶつかった。下着一枚で鞍に接するとここまで振動が伝わるものなのか、と改めて実感した。おまけに鞍を挟む太腿は、振動に伴って少しずつ擦れていった。
 見栄を張りすぎたか、と思った。たしかに幼いころ乗馬を習ったことはあった。しかしいくらなんでもドレス姿での乗馬などやったことが無い。そもそも、生脚を鞍に押し付けねばならない、という時点であまりにも勝手が違いすぎる。馬を走らせるに従ってトレーンはずれてゆくし、ガウンはずり落ちそうになった。
 私は馬を駆けてパクリコンとレビアのもとへと戻った。
「お見苦しい姿をお見せしてしまいました。どうやら私には乗馬はまだ難しすぎるようです。もう少し練習を積んでから、人前で乗馬をしてみようと思います」
 太腿が痛み、お尻がじんじんするのを感じながら、私は二人の反応を伺った。パクリコンもレビアも、少し赤面しているかのような表情で、私の顔をぼーっと見つめていた。
「あの……お二人さん?」
 私の声に最初にはっとなったのはパクリコンだった。
「あっ、あの、そうですね、はい! 女王陛下の乗馬は大変素晴らしいものでした! お美しいかぎりです! 是非ともまた拝見したいと思っておりますので、ご乗馬の際にはなにとぞ私をお呼びください! はい!」
 パクリコンの息遣いは荒く、興奮したものだった。
 私がパクリコンを怪訝な表情で見つめ返していると、やがてレビアがそんなパクリコンの顔を見やった。どことなく馬鹿にしているような、見下しているような目だった。
 レビアは私に一歩近づき、口を開いた。
「女王陛下。パクリコンという男が女王陛下の騎乗を大変興味深く見ていました。どれくらい興味深く見ていたかというと、女王陛下の生脚が顕わになるたびに凝視するほどでした。おまけに女王陛下がドレスを持ち上げた際に見えた下着を、パクリコンという男は一生忘れずに心の宝にすると決めたそうです」
「おい、レビア! なんてことを言ってくれるんだ!」
 パクリコンは我に返り、レビアに詰め寄った。その声はあまりにも必死なもので、懇願とも脅迫とも取れるものだった。
 しかし私はレビアの言葉を一字一句聞き逃さなかった。そして、パクリコンの行為を今思いきりなじってやりたい、という衝動を抑えられなくなった。いつも何かあれば頼られているレビアにそっけなく裏切られたパクリコンに、女の底力を見せてやりたくなったのだ。
「パクリコン、こちらへいらっしゃいなさい」
 私の声にパクリコンは身体を一瞬硬直させた。私はなお続けた。
「パクリコン。近くへお寄りなさい。お尋ねしたいことがございます」
 パクリコンは恐怖におののいた表情を呈したまま、私の方へと振り向いた。そして一歩一歩、脚を鉛のように引きずりながら、私の鐙の近くへとやってきた。
「……何でしょう、女王陛下」
 パクリコンの声は引きつっていた。私は宥めるような声でパクリコンに告げた。
「パクリコン。私は怒っているわけではありません。何事も偶然というものがございます。あなたは偶然に私の生脚はおろか下着までもを観賞なさった、ということでよろしいですね?」
「か……観賞……!?」
 パクリコンは困り果てた表情でレビアのほうを振り向いた。レビアは「いいから認めろ」といわんばかりの冷たい視線でパクリコンを促した。パクリコンの持つ「困ったときはレビアに頼む」という姿勢は、余計に私の嗜虐心をくすぐらせた。
「……はい、そのとおりです」
 パクリコンは折れた。
「でしたらいたしかたのないことでございます。もちろん一般的には、女性が男性に己の下着を見られる、ということは、女性にとって非常に屈辱的な事態でございます。ですが私は女王です。寛大なる心をもって、パクリコンに私の下着の観賞を許してさしあげたいと思います。よろしいですか?」
「……はい、ありがたい限りです」
 パクリコンはカチコチに固まった声で答えた。私はくすっと笑い、パクリコンに遠慮なく尋ねた。
「ではお聞きいたします。私の下着をご覧になった感想をおっしゃいなさい」
「えっ」
 パクリコンの顔が青ざめていくのが見えた。パクリコンの背後でレビアが「やっぱりこうなるか」といった表情を呈しているのが見えた。
「早くおっしゃいなさい。何とでも言いようはございましょうに。なにより下着を観賞させてさしあげたのにもかかわらず、感想が得られないということは、私にとって非常に不本意なものでございます」
 ちょっと言い過ぎたかな、と私は思った。現代の日本社会でこんなことを言おうものなら、性的嫌がらせをされたと訴えられてもおかしくない。いくら性的嫌がらせなる概念の存在しないこのゴットアプフェルフルス国においても、なるべくなら同様の苦痛をパクリコンに与えたくはなかった。しかしどうしても今だけは、パクリコンを追い詰めたくなる衝動を抑えきれなかった。
 今日一日だけで、どれだけパクリコンはレビアとの仲良しおしゃべりを私に見せつけてくれたことだろうか。私には見せようともしない笑顔で、私には決して投げかけないような言葉で、私には絶対取らないような距離感で、何度パクリコンはレビアと楽しそうに話に花を咲かせていたことだろうか。私がそういった光景を見るたびに心がチクリと痛んだことを、パクリコンは知る由もない。だからこそパクリコンには、今のこの瞬間の苦痛を味わってもらいたいのだ。
 パクリコンはゆっくりと口を開いた。
「女王陛下……。その……大変美しいものでした……」
「美しい。なるほど」
 私はなるべく高圧的に聞こえるように喋った。
「他にはございませんの?」
「他……ですか……。あの……」
 パクリコンは困り果てた表情でレビアのほうを見やった。だからそうやってすぐレビアに助けを求める様が私の癇に障るのだ。いい加減分かったらどうなのだ。
 もっともレビアはレビアで肩をすくめて「いいから答えろ」とパクリコンを促していた。なるほど、レビアのほうが事情をよく呑み込んでいるようだ。
 パクリコンは諦めて私の方に向き直した。いつもいつも女が素直に自分の味方をすると思うな、と私はパクリコンを心の中でなじった。
「他には……ですね……」
 パクリコンは言葉を紡いだ。
「大変魅力的で……」
 ふむ。
「扇情的で……」
 ふむ。
「艶めかしく……」
 ふむ。
「そそられるものでした……」
「あら」
 思わず声が出た。私はパクリコンの直接的すぎる表現に、少しばかり身の危険を感じた。この男は心の中でそんなふうに思っていたのか。とすると、昨日のこと私の寝室にて顕わになった私の下着を見たときも、同様のことを感じていたのだろうか。私がパクリコンの隣で「この男は私に魅了されているのだろうか」だなどと悠長なことを思い悩んでいたときも、パクリコンは私にそういった性的な欲求をぶつけたいと心の中で思いつづけていたのだろうか。
 そういえば男の気を引こうとして性的アピールを行い続けた結果、ずたずたに強姦されたテニスサークル員がいたっけ、と私は思いだした。男の欲求を刺激しすぎると、行き場の無いその欲求が女に牙をむくこともあるのだ。
 私は少しばかり己の無謀さを悔いた。と同時に、パクリコンを少しばかり追い詰めすぎてしまった、と反省した。パクリコンにしたって、別に悪気があったわけではないのだ。偶然見えてしまったものは仕方がないのだから。
 それに私は、パクリコンの心の中に深く探り入ろうとは思えなかった。パクリコンはパクリコンで心のうちに秘めておきたいことが当然あるはずだ。本当に心を許した相手にのみ晒せるようなその心の領域を、今の私が踏みにじったところで誰も幸せにはなれない。
 パクリコンには申し訳ないことをした。その思いを伝えるために、私はパクリコンに告げた。
「ごめんなさい、パクリコン。少しきついことを申し上げすぎました。私は本当に何も思っておりませんから、どうかお気に悩まないで。先ほども申し上げましたが、何事も偶然というものはございます。その偶然ひとつをあげつらって人の性質を決めつける気など、私には全くございません。私はあなたと長く接する中で、あなたという人を理解していきたいと思っております」
「はい……」
 パクリコンは俯いたまま、暗い返事を為した。どうやら先ほどの私の言動は、パクリコンには重すぎる私刑だったようだ。パクリコンは変に律儀で真面目なところがあるので、女王である私の言葉を本当にそのまま受け取ってしまったのだろう。
 私は大きく息を吸い、明るい声でパクリコンに問うた。
「パクリコン。お願いです、私をここから降ろしてくださりませんか?」
 パクリコンは私の顔を見上げた。
「だってほら、馬から降りるときは危ないのでしょう? もし私が着地に失敗して怪我でもしてしまったら、あなたに迷惑をかけてしまう恐れがございますもの。そうならないためにも、ほら、ね?」
 私は手綱を離して、パクリコンに向けて両手を広げた。パクリコンは困ったように笑いながら、
「承知いたしました」
と言い、私に近付いて手を伸ばした。
 パクリコンは私の腋に手をやり、しっかり私を支えた。パクリコンの親指が私の乳房にかかる。しかしそれでも私は微笑みを絶やさなかった。そしてパクリコンはゆっくりと私を持ち上げたかと思うと、そのまま鞍の上の私を下ろした。
 さすが近衛兵として勤めているだけあって、パクリコンの筋力は相当なものだった。私はパクリコンに為されるがままに、宙に浮かされた。ドレスが空中でふわりと舞い、私の脚が宙を泳いだ。パクリコンは私を抱え浮かせたまま後ろ向きに歩き、馬から遠ざかった。私のトレーンやガウンがずさりと馬の背から落ちる音が響いた。
 パクリコンはそっと私を地に下ろしてくれた。私がハイヒールでしっかりと地に足を付けたあとも、しばらく私を支えていてくれた。私がドレスの裾を正そうとすると、パクリコンはゆっくりと私から手を離した。
「ありがとうございます」
 私はドレスの裾をつまみ、パクリコンに礼をした。パクリコンは「どういたしまして、女王陛下」と返してくれた。パクリコンは私の顔を恐る恐る覗き込んでいるかのようだった。そんなパクリコンの不安を打ち消すべく、私は笑みを浮かべてパクリコンに応えた。
 気が付くと、周囲にレビアの姿が無かった。
「あの……レビアは?」
「レビアならもう帰りましたよ」
 パクリコンはそっけない声でそう言った。一言声をかけてくれてもいいのに、とは思ったが、おそらく気を遣ってくれたのだろう。
 城壁の向こうに夕陽が沈んでいくのが見えた。城壁の向こうの森が朱色に照らされてゆく様は、日本ではなかなか見ることはできない光景だろう。トビが空を舞い、カラスが古巣へと帰ってゆく。風情がある、と言ってしまえばそれまでだが、何故か私の心に今の景色は印象的に焼きついた。
 パクリコンはそっと私の肩に手を回してくれた。私はパクリコンに寄り添い、パクリコンの甲冑に手を当てた。パクリコンがぎゅっと私を抱き寄せてくれるのを感じた。
 こんなロマンティックなことは、大学院生のままだとできやしなかっただろうなあ、と自嘲気味に思った。しかし今となってはどうでもよいことだ。何故なら私はゴットアプフェルフルス国の女王なのだから。ロマンティックな風景を、気の置けない相手とともに楽しみたいものだ。
 やがて夕陽が完全に地平線の向こうへと消えていった。空が次第に群青色に染まっていくのが見えた。
「女王陛下。お身体が冷えるといけません。そろそろ王城へ帰りましょう」
 パクリコンはそう言って、私に右腕を差し出してくれた。
「そういたしましょうか」
 私は彼の右腕に己の腕をからめ、ゆっくりと歩きだした。
 城庭に入る門をくぐり、闇に染まってゆく城庭を眺めながら私は呟いた。
「さきほどは本当にごめんなさい。あなたにあのような恥をかかせてしまいまして。つい心にもないことをあなたに申し上げてしまいました」
「いえ、私の方こそ」
 パクリコンがそう答えてくれるのを聞いた。
 昼間、パクリコンが私の胸の谷間に全く興味を示さないことに多少なりとも不満を感じもした。またつい先ほど、パクリコンの口から私の身体の性的魅力を語られたことに対して身の危険を感じもした。だけれど、今となってはそのような出来事は些末なもののように思えた。何があろうとパクリコンはパクリコンだ。こうして私に付き従い、私の言うことをよく聞き、私を心から思いやってくれているのがパクリコンだ。その心遣いこそがまさにパクリコンの私に対する一番の本心ではなかろうか。
 そう思うと、満足が得られた。
「女王陛下。何か嬉しい事でもありましたか?」
 先ほどから笑みがこぼれてならない私を見て、パクリコンは優しく声をかけてくれた。
「べつに」
 私はパクリコンの頬に人差し指を押し当てて言った。
 今日も良い一日であった、と私は心の中の日記に書き連ねた。

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