八本目のラノベ、その3

 特別連載ラノベ第三弾。
 今頃になって、
「ハイヒールで陰茎を踏みつぶすだなんて表現は、十八歳未満には刺激が強すぎる。なので今は控えめにいこう」
という後付言い訳を考え始めたぞ!
 まあ正直、ランが主人公であるという仕様の勝手が分かっていないだけなんだけれどな!

『私が異世界で女王に!? ~ちょっぴりえっちな王国ファンタジー~』
(その3)

 私は夢を見ていた。
 夢の中で私は、自分の下宿で料理を作っていた。下宿に来てくれた恋人に料理を振る舞うためだ。恋人の舌に合うように、私は舌平目のムニエルと野菜スープを丁寧にこしらえていた。
 やがて料理が仕上がり、私は恋人の前に料理を並べた。
「どうぞ、召し上がり下さい。お口に合うかどうか分かりませんが」
 同じ大学に通う恋人は、私の作った料理に一切見向きもしなかった。その代わり、五寸釘のように尖った口調で、私に向かって言った。
「その喋り方をどうにかしろ。普通に喋れ」
「そう仰いましても……」
 私が言い淀んでいると、恋人は私の肩を掴んでベッドに押し倒した。
「オレが普通に喋れと言っているんだ。言うことが聞けないのか」
「いえ……」
 私がそう返答すると、恋人は私のスカートをめくりあげて恥部をまさぐろうとした。
「いやっ、やめてっ! 離してっ!」
「うるさい!」
 恋人は私の頬を殴った。不思議と痛みは無かったが、不快感だけは残った。
「付き合ってもう一ヶ月になるんだ! ヤらせろ!」
「嫌です! このような形でいたしたくございません!」
 恋人はベッドの上に立ち上がり、思いきり私の身体を蹴った。
「やめて! おやめになって!」
 私の懇願は聞き入れられず、恋人の足蹴から逃げるように私は身を丸くするよりほか無かった。しかしそれでもなお恋人は、何度も何度も私の身体を蹴りつけた。
「ヤれない女に価値は無い」
 やがて恋人は私の頭をぐりぐりと足で押しつぶしながら言った。
「オーストリア生まれだから性に開放的なのだと思っていたのに、ただのカタブツじゃねえか。腐れマンコが」
 そう言って恋人は思いきり私の頭を蹴飛ばした。私は壁に頭を打ち付け、視界が白く染まるのを感じた。
「もういい。お前のことなんか知らん」
 恋人はそう吐き捨てて、ベッドから降りた。そして荷物を纏めると玄関に立ち、
「別れよう」
と言って部屋を出ていった。

 気が付くと私は、ゴットアプフェルフルス王城の女王の寝室のベッドの中で、汗まみれになって荒い息を吐いていた。上半身を起こして辺りを見渡し、ようやく先ほどまでの光景が夢であったことを思い出した。しかしあれはただの夢ではなかった。あれは過去の再現だった。それも間違いなく、私と私の恋人との関係が終わった日の出来事に他ならなかった。
 私は両手で顔を覆った。あのような記憶を思い出しくたくもなかったからだ。
 私はナイトガウンの襟を正してベッドから下りた。濃い紅色の絨毯が敷き詰められた部屋を横切り、手桶に入っていた水で顔を洗った。私は情けないため息を吐き、肩を落とした。
 コンコン、とノックの音が響いた。私はなるべく明るい声を出そうと思って「どうぞ」と答えた。しかし想像以上にしゃがれた声が出てしまった。
 扉がガチャリと開かれると、甲冑姿のパクリコンが顔をのぞかせた。
「女王陛下。ご機嫌麗しゅう……ございませんようですね」
「はい……ごめんなさい」
 私はしょぼくれた声で答え、ベッドに腰掛けた。パクリコンは私の正面に歩み寄り、
「よかったら、お話ししてくださりませんか? 慰めの言葉をひとつくらい思いつけるかもしれません」
と促してくれた。私は俯いたままパクリコンに告げた。
「かつて交際していた男性が夢に出てきたのです。交際という体は為していましたが、彼は私によく暴力を振るい、私の口調に文句を言いつづけ、何度も私を無理やり犯そうとし、最後には私を罵倒して去って行ってしまいました。そのまさに別れ際の日の出来事を、夢でまた見てしまったのです」
 私は、はぁーっ、と重いため息を吐いた。するとそのため息に込められた思いを察してくれたのだろうか。パクリコンの、
「許せません」
という一段と低い声が部屋に響いた。私がパクリコンの顔を見上げると、パクリコンは眉間にしわを寄せて怒りを露わにしているのが見えた。パクリコンでもこのような表情をすることがあるのか、と思えるくらいに、それは険しい表情だった。
「そいつは男として最低な野郎です。そんな男との交際など、さっさと終わらせて正解です。女王陛下でしたら、いくらでも男を選り好みできるでしょうに」
「選り好み……ですか」
 これまで縁の無かったその単語を聞いて、心が重くなるのを感じた。
「ですが、パクリコン。私は元の世界では、何のとりえもないただの学生でした。あまり男性と明るく話もできず、流行の話題にもついていけず、この口調を受け入れてもらえず、結局は自室で本を読むことを選んでいたような女でした。そんな女が選り好みなどできるはずがございません。結局は、数少ない選択肢をいかに妥協するか、という点に尽きておりました」
 私は再びため息を吐いた。今朝だけで何度目のため息だったことだろうか。
 見上げると、パクリコンはそんな私を相も変わらず険しい表情で見据えていた。同情なのか、憐憫なのか、はたまた軽蔑なのか、パクリコンの心情は分からなかった。しかしそのどれでもよかった。現にあの頃の私は、同情され、憐憫を受け、軽蔑の的となるのに最適な女だったのだから。
 パクリコンは一歩私に近づいた。そして私の前に跪いたかと思うと、私の左手を取って甲に口づけを施した。
「女王陛下。ここでの暮らしを続けていれば、間もなく嫌な思い出など忘れてしまえるでしょう。私が忘れさせてあげます。だからどうか、お気を病まないでください」
 そう言ってパクリコンは、再び私の左手の甲に口づけをした。
「ありがとうございます、感謝いたします」
 私はそう答えて、パクリコンの銀髪を撫ぜた。相変わらず癖毛の激しい彼の銀髪は、どことなく私に安らぎを与えてくれた。

 着付け室でドレスを纏ってガウンを羽織った私を、パクリコンは出迎えてくれた。
 パクリコンにエスコートされながら廊下を歩いていると、今朝見た夢の強烈なイメージを少しずつ忘れることができた。少なくともパクリコンは、私に一切危害を加えようとしない。そればかりか私を守ろうと付き従い、私を褒め、私を女王として認めてくれた。優しいし、健気だし、少し強気なところもあるけれど、近衛兵なのだからそれくらいの気概はないといけないのだろう。パクリコンがもし私の大学にいたとしたら、学生の私は幸せになれていたかもしれないのに。
 ……否、そうは容易くいくまい。こんなパクリコンなのだから、誰からも好かれるに決まっている。きっと私以上に可愛くて優しい女の子とあっという間に付き合い始め、卒業とともに結婚の報告なんてものを寄こしてくれそうだ。
 今パクリコンが私を見てくれているのは、私が女王だから、という理由があるからに他ならない。私が女王だから、私は近衛兵のパクリコンと親しくなれたのだ。
 どうやら私は女王という肩書に想像以上に依存しているのだろう。そう思うと悔しくて涙がこぼれそうになった。
「……女王陛下?」
 パクリコンが私を心配そうに見てくれた。
「ごめんなさい、少し感傷的になってしまっていたようです。お気になさらないで。今日もいつもと同じように振る舞いますから」
 私は苦し紛れの笑みを浮かべながらそう答えた。しかしパクリコンは、
「ご無理をなさらないでください、女王陛下。女王陛下の苦しみは、私の苦しみでもあるのですから」
と囁き、私の正面にまわって私の肩に手を置いた。
 すぐ目の前にパクリコンがいる。虚しさを紛らわせるために、いっそパクリコンに抱き着いてしまおうか。こんな廊下で抱き着いても許されるかどうかは分からない。はしたないと思われるかもしれない。しかし女王が臣下に抱き着くことの何が悪いというのだ。抱き着いた結果押し倒されたら、それは私の責任だ。構うものか。
 そう思って私はパクリコンに両腕を伸ばそうとした。
 そのときだった。
 廊下の曲がり角から足音が響いてきたので、パクリコンは急いで私の前から退いた。パクリコンは右腕を私に預けてくれたままだったが、私の覚悟は宙ぶらりんになってしまった。
 足音はまもなくその正体を現した。背が高く、肌が浅黒い男性で、髪は黒く、一昔前の軍服を纏っていた。身体の線は細いが、筋肉質な肢体は軍服の上からでも確認できた。目は鋭く、鼻は高く、口元はきりっと一文字に結ばれていた。
 その男は私の前に跪いた。
「お初にお目にかかります、女王陛下。陸軍総司令官のロルと申します。以後お見知りおきを」
 そう言ってロルは私の右手の甲に口づけをした。私はロルに応えるべくパクリコンの右腕から離れ、
「初めまして。此度女王としてやってまいりました、ランカシーレと申します。よろしくお願いいたしますわ」
と言ってドレスの裾をつまみ、礼をした。
 ロルは立ち上がり、私の顔をじーっと見つめてきた。仏頂面とも呼べるべきその表情に、少し圧迫感を覚えた。
 ロルはやがてパクリコンのほうを向いた。
「パクリコン。いつまで女王陛下を臣下から隠し通すつもりなんだ。確かに女王陛下にゴットアプフェルフルス国の知識を教えるのはお前の役目だ。女王陛下が下々の者の甘言に惑わされぬよう守るのもお前の役目だ。……だがここまで女王陛下を臣下の前に出さないとなると、お前が女王陛下を独占して良いように丸め込もうとしているものと思われてもしかたないぞ」
 私はパクリコンの顔を見た。
 パクリコンがかたくなに私を他の人から遠ざけようとしているのは知っていた。それがゆくゆくは私を守るためだとも分かっていた。もちろんパクリコンが私を丸め込む気など無いことも認識していた。
 パクリコンは睨み付けるような目でロルを見据えていた。
「少しずつ女王陛下を皆に紹介するつもりではあった。焦っても仕方ないだろう。それに今は、確実に信用のおける者にのみ会わせた方が、女王陛下も無意味に惑わされずに済むはずだ」
「では、その信用のおけない者どもが騒いでいる場合、お前ならどうするというのだ、パクリコン?」
 ロルは仏頂面だったが、パクリコンに対する質問の切り口は鋭いものだった。
 パクリコンとロルとの間に何があったのだろうか、いつもこのような手厳しいやり取りをしているのだろうか。
 そう思っていると、パクリコンは口を開いた。
「だったら私がその信用のおけない者どもとやらに、直接喝を入れてやるまでだ。直接女王陛下が、信用のおけない者どもの相手をする必要など無い」
 パクリコンの断定的な言葉を前にしても、ロルは仏頂面を崩さなかった。
 パクリコンはさらに追撃の言葉を加えた。
「くだらない企みを抱いている輩が騒いでいることなど知っている。女王陛下を利用したくて近づきたがっている奴等など、ごまんといるのだから。……それより、お前は何を伝えに来たんだ。女王陛下を前にして、その程度の報告しかできないお前ではないだろうに」
「ああ」
 手厳しいだけかと思いきや、パクリコンがロルの実力を認めているかのような表現を使ったので少し驚いた。
 ロルは私に一歩近づいた。
「女王陛下。現在ゴットアプフェルフルス国の兵力は非常に乏しいものです。先の戦争によって受けた損害を、いまだなお補いきれていないからです。兵士たちの士気も下がっているため、このままでは国防力に大きな支障が出てしまいます。どうか兵士たちの前で、女王陛下自らのご挨拶をしていただけないでしょうか?」
 そう言ってロルは私に深く頭を下げた。
 私はパクリコンの表情を見た。パクリコンはロルの言葉に何度も頷いていた。どうやらやるしかないようだ。
「分かりました。私自ら、兵士たちの士気を上げるために、ご挨拶いたしましょう。兵力は国を守る最大の武器です。兵站、兵器の確保とともに、力を注いでまいります。お約束いたしましょう」
「はっ、ありがとうございます」
 そう言ってロルは再び深く頭を下げた。
 ロルは顔を上げると、何度か私の顔とパクリコンの顔とを見比べた。そして私が縋っているパクリコンの右腕を見やりながら、仏頂面のまま言ってきた。
「女王陛下。パクリコンは女たらしですが、護衛の術だけは確かです。どうか気を緩めることのないよう、パクリコンを使ってさしあげてください」
 私は思わずむっとなった。そして思わず口から言葉が出た。
「パクリコンが女たらしであるかどうかなど存じ上げません。たとえ女たらしであったとしても、今は関係ございません。この世界に召喚された私を、パクリコンは優しく扱ってくださり、何事も親切に教えてくださり、ずっと付き従ってくださりました。そう容易くパクリコンのことを侮辱なさらないで」
 ロルの仏頂面が少し引きつったものになるのが見えた。
 するとそれを憐れんだのだろうか、パクリコンが少しおどけた口調で私に教えてくれた。
「いやあ、女王陛下。ロルから女たらしだと言われることはむしろ褒め言葉なんですよ。何しろロルときたら、城中の女という女を食い散らかすことで非常に有名でして。そんな百戦錬磨のロルに女たらしだと言われたとあれば、まるで男として勲章を与えられたかのような気分です。私はありがたくロルの言葉を頂戴しますよ」
 パクリコンの褒めているのだか馬鹿にしているのだかよく分からない説明は、ロルには申し訳ないが、愉快なものだった。
「いや待て、パクリコン」
 それを聞いてロルは仏頂面を崩さないようにと保っているようだったが、それでも語気には焦りが感じられた。
「そんなに食い散らかしているわけじゃない。確かにかつては、陸軍上がりの宮仕え者だということで多少ちやほやされ、いい気になっていた。それは事実だ。据え膳喰わぬは男の恥、として俺はこれまでありがたく女性を頂戴してきた」
 ここまで堂々と「俺はすけこましです」と言う男の人を初めて見た。しかしこれはこれで憎めない性質だと思えた。
「だが今は違う。多少なりとも身を固めようと思って、それなりに真剣な交際をしようと試みてはいるんだ。ほら……俺達もうすぐ三十じゃないか。だから精力の衰えないうちに子供を作っておきたいというのがあってな……」
「分かる」
 パクリコンが力強い同意を示したことに、私は驚いた。
 ロルは続けた。心なしか仏頂面がほころび、弱り果てた声も交じってきた。
「だけどな……何故だかうまくいかないんだ。何ヶ月か……下手をすれば何週間かしただけで、どうも相手の女性とぎくしゃくしてしまって、結局は別れることになってしまうんだ。一番長続きしたのですら半年なんだ。陸軍総司令官の最長交際期間が半年なんだぞ。どうすればいいっていうんだ……。なんでパクリコンは二年と四か月も続けられたんだ」
 ロルの声は悲哀を帯びていた。私はそんなロルに少し親近感を覚えた。私も恋人とは一ヶ月しか続かなかったっけ、と思い出したからだ。パクリコンはそんなロルの肩をぽんぽんと叩いて言った。
「いや、まあ、お前を見ているといろいろと原因のようなものが見えなくもない。ただその原因というものは、なんというか、お前自身の性格そのものでもあり、お前の良さでもあるんだ。だから、恋愛のため、だとか、結婚のため、だとか理由を付けてそれらを矯正するのは、俺は賛成できないな」
「そんなこと言うが、パクリコンよ……」
 ロルはがっくりと肩を落とした。パクリコンは続けた。
「まあそう落胆するな。恋愛だの結婚だのというものは所詮、縁の話だ。だめなときはだめさ。世間を見てみろ、五十を過ぎて娶った妻と仲良くしている奴等だってたくさんいるんだぞ。今はとりあえず仕事に打ち込んでいればいいんじゃないか? せっかく女王陛下が陸軍を支援してくださるというのだから、まずはそこに一意専心すればいいと思うぞ」
「ああ……ありがとう、パクリコン」
 ロルは一歩下がり、背筋を伸ばした。はじめの仏頂面はどこへやら、ロルは表情筋を弛緩させた表情を呈していた。
 パクリコンの前ではみんな和らいだ表情をするものだ、と私は感じた。ロルしかり、レビアしかり。
「そういえばレビアのことだが」
 私は思わずパクリコンの右腕をぎゅっと抱きしめた。パクリコンは私の目をじっと見て、私の気が落ち着くのを確認した。
「……レビアのことだが、昨日のこと女王陛下に会わせた。侍女なのだから当然だろう。それに俺では立ち入れないところにおいても、レビアなら女王陛下を守ってくれる。レビアになら、女王陛下を任せられるしな」
 その言葉はチクリと私の心を痛めつけた。
「それからレビアには女王陛下に作法を教える役を押し付けておいた。……まあ女王陛下は既に作法というものを完璧に習得していたので、レビアはすぐにお役御免になってしまったのだが」
「だろうな。この世界に来て三日目の女性がここまで務まっているんだ。今更レビアが何かを教える必要もあるまい」
 パクリコンとロルは小気味良さそうに笑った。ロルもレビアのことを知っているのだろうか。
 パクリコンは私の顔を伺って、私の心境を察したのか説明してくれた。
「女王陛下。レビアは侍女ですが、それなりに戦闘経験がある子なんです。なのでいざとなれば、レビアは女王陛下を守ってくれますよ。そしてその戦闘経験を積む際に、ロルはレビアと接する機会があったんです」
「そうでしたか」
 女王の侍女ともなると、礼儀作法のみならず戦闘経験すら持ち合わせていないといけないらしい。まだ二十歳過ぎだというのに、レビアは相当厳しい人生を送っているようだ。
 ロルは一歩下がり、私に告げた。
「では女王陛下。ご都合のつく際に、いつでもいらっしゃってください。すぐさま兵士を集めて、女王陛下のお言葉を拝聴させたいと思います」
「はい、お願いいたします」
 私が返事をすると、ロルは一礼し「では失礼いたします」と言って足早去っていった。
 私とパクリコンだけが再び廊下に残された。私はしばらく呆然としていたが、やがてパクリコンの右腕に強く縋った。
「パクリコン」
「何でしょう」
 パクリコンの落ち着き払った声が返ってきた。私はどうしても引っかかっていたことを彼に尋ねた。
「パクリコンは二年と四か月も交際を続けられたことがあるのですね」
「はい。相手の子が非常によくできた子だったので、うまく関係を維持することができました。相手の親にも挨拶を済ませていましたし、もはやこの城においては公認の仲だったといえましょう」
「そうですか……」
 パクリコンの明るい答えに、私は心に暗い影を落とした。パクリコンともなれば、それくらいの交際をやってのけることなど容易いことなのだろう。となると……私は疑問を抱いた。
「ではどうして別れることになったのです?」
 パクリコンは苦々しく唇を噛んだ。それを見て私は、迂闊なことを訊いてしまった、と気付いた。
「ごめんなさい。過ぎた質問をいたしてしまいました。お答えにならずとも結構でございます」
「……いえ、大丈夫です、女王陛下」
 パクリコンは静かな声で答えた。
「別れたのは些細なことが原因です。俺が女王直属の近衛兵になった、ということが原因なのですから」
「えっ」
 私は理解が追いついていなかった。
「何故あなたの仕事如何で別れねばならなくなったのです? 近衛兵とは名誉な職なのでしょう?」
「そうではあるのですが……」
 パクリコンはなお静かな声で続けた。
「近衛兵ともなると、ずっと女王陛下のお傍にいなければなりません。それに女王陛下に何か問題が生じただけで、近衛兵は責任を問われてしまいます。下手をすれば死刑です。そればかりか、女王の命を狙う者は、近衛兵の家族を人質に取ろうと画策するものです。どうあがいても、近衛兵には家庭を持つ資格などないのです」
「そんな……!」
 私はパクリコンの腕に縋りながら、同情の念を抱いた。
「だからって別れなければならないだなんて……!」
「はい、私も最初は別れる必要は無い、と交際相手を説得しようとしました」
 パクリコンの暗い声は続いた。
「しかし逆に説き伏せられました。女王陛下を守る以上、もはや恋人を守ることなどできやしない、と。もしどちらかを選ばなければならなくなったときには、必ず女王陛下を選ぶという苦痛を味わわなければならない、と。別れるなら今が一番よい機会だ、と。……どんなに反駁しようとも、彼女の言葉にはかないませんでした。そのため、近衛兵になる前の日に、私は恋人と別れました」
 私はパクリコンの説明を茫然と聞いていた。「つらかっただろうに」という思いは確かに抱いていた。しかしやがて、パクリコンに対する同情の念に少しずつ陰りを感じていたのも事実だった。
 パクリコンは思い出を少しずつめくってゆくかのような表情で付け加えた。
「結果的に、彼女の判断は正しかったのだと思います。少なくとも今はそう思えてなりません」
 最後までパクリコンは、別れた恋人の判断に全く不満を見せようとはしなかった。
 確かにパクリコンは恋人と別れたが、それは二人の仲が破綻したからではない。ただパクリコンが国を担う重要な仕事を果たすために、元交際相手がやむなく身を引いてくれたのだ。パクリコンからすれば、自分と国の未来のために己の幸せを犠牲にできる高潔な女性に映って見えたことだろう。すなわち、二人の別れは非常に美しい男女の別れであったと言っても過言ではない。
 その調子だと、パクリコンがいまだに元交際相手のことを愛しているのだろうと容易に理解できた。そんな綺麗な別れ方をした相手を、パクリコンが悪く思うはずがない。元交際相手にしたって、パクリコンのことを思って身を引いたにすぎないわけだから、いまだなおパクリコンのことを愛している可能性は非常に高い。
 ……。
 ……。
 なにこれ。
 まるで「結婚という契約では結ばれなかったが、心と心の強い絆で結ばれました」というラブストーリーのエンディングではないか。しかも王城という華やかな舞台で、近衛兵という立派な職の男と、誰だか知らないがどうせ高貴な娘さんとのファンタジーラブロマンスではないか。
 私は気が付くと唇をかみしめていた。いまだにかさつきが収まらぬ唇を、強く強くかみしめていた。
「女王陛下……?」
 パクリコンが心配そうに私の顔を覗き込んでくるのが分かった。いつもなら心配してくれるパクリコンをありがたいと思ったことだろう。しかし今だけはどうしても、パクリコンの顔を見たくなかった。
「……パクリコン。今日の予定をお教えください」
 私はなるべくパクリコンに顔を向けないように尋ねた。
「はい。今日はゴットアプフェルフルス国と国交のある諸外国との関係や、大陸における諸問題についてを私が女王陛下にお教えしようと思っていました」
 それを聞いて、私は思わずつっけんどんな口調でパクリコンに告げた。
「……あなたでは駄目です。レビアにお替えなさい」
 パクリコンの身体が一瞬硬直するのが感じられた。やがてパクリコンは諦めるかのように私の腕からそっと右腕を引き抜き、私から一歩退いた。
「女王陛下がそう仰るのでしたら」
 パクリコンはそう言って、深く一礼した。

 その後やってきてくれたレビアとともに、私達は中庭の木陰のテーブルを囲んだ。各々ゆったりした木製の椅子に腰かけながら、手作りの資料をまじえてレビアは私にゴットアプフェルフルス国の外交問題について教えてくれた。レビアは侍女という身分でありながら、諸外国に対する要点を纏めながら説明するのがとても上手だった。
 私はレビアとともにいると、様々な雑念を払うことができた。レビアの底抜けの明るい笑顔を見ていると、こちらまで愉快さがこみあげてくるからだ。
 レビアは私に地図を指示しながら、ひとつひとつ教えてくれた。
「お隣のエスターライヒ帝国は大陸最大の帝国です。正直勝てる相手ではありません。なので毎年忠誠の証として、私達はおよそ百億ラーエ相当の工芸品や綿織物などをエスターライヒ帝国に贈り続けています。まあこれをやめると戦争になってしまうので、こればかりは諦めてください」
 ラーエとはこのゴットアプフェルフルス国での通貨の単位だ。日本円への正確な換算は分からないが、大体レビアの着ているドレス一着が八十万ラーエほどするらしい。となると五ラーエでおよそ一円くらいの価値があると見てよさそうだ。
 なのでエスターライヒ帝国への貢物額は、およそ二十億円相当となる。うーん……延べ都市部面積が関東地方と中部地方を合わせた程度しかないゴットアプフェルフルス国にとって、たかが忠誠心を示すためにこれだけ払わねばならないのはつらかろうに。
「エスターライヒ帝国は宗教面でも圧力をかけてきています。まず、現在のゴットアプフェルフルス国には、厳格で形式ばったゾンネシュテルン教と、ほぼ同じ起源を持つ比較的奔放なナハトゼクス教が存在します。ゴットアプフェルフルス国の九割以上の国民はゾンネシュテルン教に属しています。ところがエスターライヒ帝国ではナハトゼクス教が主流ですので、「忠誠心があるならナハトゼクス教に改宗しろ」とたびたび訴えてきています」
「分かります。宗派が違うだけで戦争はたやすく起こりますもの」
 私は頷きながらレビアの説明を聞いていた。
「今のところ女王陛下は、どちらの宗派にも属していません。宗派に属するためには、洗礼を受け、司祭の認可を得なければなりませんから。しかし表向きは、女王陛下はゾンネシュテルン教を信奉していることになっています。なぜなら自国の民に合わせた方が何かと得だからです。ですのでとどのつまり、自国の民の理解を得るためにゾンネシュテルン教を続けるか、はたまたエスターライヒ帝国に忠誠を誓うためにナハトゼクス教に回収するか、という問題に対して、いずれ女王陛下は何らかの意思を示さなければなりません」
 まあ問題が激化しなければ放っておいてもいいんですけれどね、とレビアは笑いながら付け足した。私は気になってレビアに尋ねた。
「ゾンネシュテルン教がこのゴットアプフェルフルス国で趨勢な理由を教えていただけませんか?」
「一言で言えば、土地の豊かさが原因ですね」
 レビアは分厚い本をぱらぱらとめくった。
「ゴットアプフェルフルス国には大きな川がいくつも流れていて肥沃な大地が広がっています。気候は温暖で日照時間も長く、牧草が育てたい放題のうえ果実は取りたい放題です。山が少なく平野が広いので、狩猟による獲得物も他国に比べると多いものでした。そういうわけで、先人たちは「とりあえずご飯はあるし、温かいし、不必要なもめ事を起こさないように規律をしっかり作っておこう」と思い立ちました。そのとき作られた規律が、現在のゾンネシュテルン教の基礎となっているんです」
「主にどのような規律になっているのです?」
 私の問いに対し、レビアは本をパタンと閉じた。そして私の目を真っ直ぐ見つめて、微笑みながら言った。
「男は女を守れ。女は家庭を守れ。互いを尊敬しろ。子供は宝だ。ご近所には優しくしろ。礼儀を忘れるな。一番象徴的なものでいえば、男も女も伴侶を一筋に愛せ、というものがあります」
 なんだか納得できた。まだあまりこの国の多くの人と関わったわけではないが、パクリコンやレビアを見ていると、そういうふうに他人を尊重する宗教観が背後にあるのも当然だ、と思えたからだ。ゾンネシュテルン教なら入信してもいいかな、と私は思えた。しかしどうしても気になった点を、私はレビアに尋ねた。あまりにも下世話で品の無いことかもしれないが、どうしても確かめておきたかったのだ。
「それだけ規律が厳しいのであれば、婚前性交渉は禁じられているのでしょうか……?」
 レビアは一瞬、体の動きを止めた。そして目を瞑り、ゆっくりと息を吐きながら答えてくれた。
「禁じられています。神の名のもとに結ばれた夫婦でなければ、性交渉は行ってはならない、とされています」
 やはりそうか。どこの世界でも、セックスは淫らな行為として見なされているのか。
 私が育ったオーストリアでも、セックスなどもってのほかだとみなされていた。さすがに若い人たちの間ではそうでもなかったが、教会に関係を持つ人たちはことさらセックスを忌み嫌っていた。セックスのみならず、人前で無闇に肌を晒すな、とか、異性には不必要に触れるな、といった厳しいお小言を幼いころに何度も貰った覚えがある。
 私が大学でできた初めてにして唯一の恋人とどうしてもセックスできなかったのも、そういった教えが私の心の中で幅を利かせていたからなのかもしれない。少なくとも私は、遊びの一環でセックスをすることができなかった。本当の本当に心を許した相手にのみ、身体を預けるべきものだと信じていたからだ。すなわち、私は最後まであの恋人に心を許していなかった、ということになる。
 一ヶ月も交際を続けておいて、心ひとつ許せなかったのだ。きっと私は私の心に、相当頑丈な錠前を取りつけてしまっているのだろう。
 そんなことを考えていると、少しずつ自己嫌悪の波が襲ってきた。
 はあっ、と私はため息をつき、ふとレビアを見やった。
 何故かレビアは私から目を逸らせていた。唇を噛み、深刻そうな目で地面の一点を見つめていた。この表情は、どうしても自分自身を許せない、という表情だと私は直覚した。なぜならこれとほぼ同じ表情を、昨日の朝食における作法講座にてまざまざと見たからだ。
「レビア?」
 私はレビアのその表情を見ていると、どうしてもレビアの心のわだかまりを取り除きたくなる衝動に駆られた。
「お話しになってください。私はあなたのお力になりたいのです」
「女王陛下……」
 レビアは相変わらず俯いたまま、暗い声で返した。私は腕を伸ばし、テーブルの上に置かれていたレビアの両手を握った。
「私はこの国に来てまだ三日目でございます。何も事情を知らぬ私相手だからこそ、気負わずにお話しになれることもあるのではないでしょうか」
 するとレビアは私の手を握り返してくれた。
「女王陛下……」
 レビアはゆっくりと口を開いた。
「あたしには、かつて付き合っていた男性がいました……。結婚を約束して、将来を誓い合った間柄の相手がいました……。とても仲が良くて、何をしても楽しくて、幸せな毎日を送っていました……」
 私は頷きながらレビアの話を聞いていた。
「あたしはこれでもゾンネシュテルン教を信じる家庭で育ちました……。なので結婚するまではセックスはしない、と決めていました……。そのため、その男性と付き合い始めてからも、あたしは頑なにセックスの誘いを断り続けました……。毎晩毎晩、どんなに楽しいデートをした日でも、どんなに綺麗な景色を見せてくれた日にも、私は彼の身体を拒絶し続けました……」
 私はレビアを見つめながら、頷いていた。心のどこかでレビアの抱えている問題点を予感しつつも、あえてそれを意識しないようにしていた。
「ですが……彼はとても優しい人でした。あたしが嫌だと断れば、それ以上迫ってこなかったからです……。そのうえ、彼はあたしの言うことを何でも聞いてくれました……。あたしの家族があなたに会いたがっている、と言えば、その週末にはあたしの実家に挨拶に来てくれたんです……。あなたを友達に紹介したい、と言えば、どんな相手であろうとも彼は笑顔であたしについてきてくれたんです……」
 いい人だ、としみじみ思った。女心を理解している、とでもいおうか。その人は本当にレビアのことを大切に思っていたのだなあ、と感じられた。
「あたしは彼に申し訳なくなりました……。彼はここまで尽くしてくれるのに、あたしは身体一つ許せやしないのか、と何度も自問しました……。胸が苦しくなって、仕事に差し障りが出るくらいでした……。……なのである日彼に打ち明けました。あたしはあなたに対してどうしたらいいのか分からない、と」
 そんなに素直に恋人に胸の内を打ち明けられるだなんて、よっぽど信頼していたのだなあ、と感じた。羨ましい限りだ。
「そしたら彼はあたしを抱きしめて言ってくれました……。苦しむ必要なんてどこにもないんだよ、と……。宗教に縛られるよりも、自分に素直になるほうが幸せになれるんだよ、と……。そして……もし婚前性交渉をしたという罪で地獄に落とされるのであれば、俺も一緒に地獄に落ちるから心配はいらないよ、とも言ってくれました……」
 死が二人を別つまで、という言葉はあるが、レビアの恋人は死してなおレビアの傍にいようとしたのだ。それも地獄においても、だ。口で言うのは簡単だが、並大抵の立ち居振る舞いでは説得力の出ない言葉だ。それをもって恋人がレビアを説得したのであれば、それは何よりもの愛の形だと思えた。
「あたしは彼に身体を許すことにしました……。初めてなので緊張しましたが、彼が相手なのでどんな覚悟でもできました……。……それ以来、彼とは何度も身体を重ねることになりました。あたしはそれまでの自分の狭量な視野を見直しつつ、彼との新しい日々を満喫していました……。周囲からはとやかく言われもしましたが、何の後悔もありませんでした……」
 そう言ってレビアは顔を上げた。私と目が合ったので、私はレビアの手をぎゅっと握りしめた。
「何も恥じることなどございません。あなたはあなたの正しいと思う道をお選びになったのです。それも、お二人の未来というかけがえのないもののために、あなたはそれまでの自分から脱却なされたのです。堂々と胸を張って良いことだと私は思います。だからそのようなお顔をなさらないで」
 私がそう言うやいなや、レビアはさらに顔をくしゃっと歪ませた。涙をこらえ、奥歯を噛みしめ、嗚咽をこらえているかのようだった。
「違うんです……女王陛下!」
 レビアはやっとの思いで言葉を紡いだ。
「そこまで彼はしてくれたのに……あたしは彼を振ったんです! 別れ話を切り出してしまったんです! それもつまらない理由で! あたしは……結婚の約束までしてくれて、家族にも挨拶してくれた彼に、別れてくれ、と言ってしまったんです!」
「何故です!? あなたがそこまでなさるのですから、尤もな理由があったのでしょう!?」
 私はレビアをなだめるように言った。しかしレビアは、己の身体を串刺しにするかのような語気で続けた。
「尤もな理由なんてありません! 心を捧げ、身体を預け、将来を誓い合ったのにも関わらず別れる、という行動を全く正当化できないものなだったんです! だって……! 彼が……! 彼が…………!」
 レビアの言葉の続きを待った。しかし私は、心のどこかで、レビアに続きを言ってほしくないと願っていた。知りたくない事実を知らないままにしておきたい、という思いがあった。
 しかしレビアは私に告げた。
「彼が……大事な仕事に就いたんです……! それも……あたしの仕事なんか全然目じゃないくらいの……立派な仕事に……! でもその仕事は本当に過酷で……辛辣で……あたしがいると彼が仕事を完遂できないくらいのものだったんです……!」
 やめて。
「彼はそれでも……仕事をやりつつあたしを養うと言ってくれました……! やがて妻となるあたしを守りつつ仕事をやればいいだけなのだからと……言ってくれました……! 仕事と家庭の両方を守りきるくらいなんてことない……だなんて言ってくれました……!」
 やめて。
「でも……あたしは彼に言い聞かせました……! もしものことがあったらどうするんだ、と……! 失敗の許されない仕事なのに家庭という足枷があってどうする、と……! あなたには最早あたし以上に守るべきものがあるのだと自覚しろ、と……!」
 やめて。
「何度も何度も口論になりました……! 彼とあんなに意見が対立したのは初めてでした……! 彼は、君がそこまでいうならこの仕事を放棄してもいい、とも言ってくれました……! 将来を誓い合った以上優先すべきは家庭だ、とも言ってくれました……!」
 やめて。
「でもあたしは彼を怒鳴りつけました……! 今あなたにしかできないことは……ひいては多くの人を救うことになるのだ、と……! それを放棄することなどあたしは絶対に許さない、と……! あなたしかできないことをあなた自身が放棄してしまうのはあまりにも愚かだ、と……!」
 やめて。
「ついにあたしは……あたしの喉に短剣を突き付けて言いました……! 今すぐあたしと別れろ……でなければあたしは自刃する、と……! あたしは本気で死ぬ気でした……! それで彼が考えを改めるのであれば安いものだと思っていました……!」
 やめて。
「ついに彼は……折れました……! 彼の口から……別れてくれ、と言われました……! あたしは短剣を放り投げ……彼の家を飛び出ました……! 涙でぐしゃぐしゃになりながら走りつつ……ひたすらに後悔の念に襲われていました……! 将来を約束し……愛を誓い合い……あたしのためにすべてをなげうってくれる彼に対して……あたしはあたしの命を人質にとって脅迫したんです……! 誰しもが素直に彼に従うべきだと思う場面で……! あろうことかあたしがあたしと彼との将来を全てを放棄したんです……! あたしが……もっと素直で物分かりが良ければ……! あたしが……彼にただ守られてよく従うだけの従順な女であれば……!」
 やめて。やめてやめてやめてやめて。
 私はガタリと椅子を倒して立ち上がり、レビアのもとへ駆け寄った。そして思いきりレビアを抱きしめ、レビアの髪を撫ぜた。
 レビアはさめざめと涙を流していた。普段の明るくて気丈なレビアとは異なり、心の奥底の堰を切ったかのように頬に涙を伝わらせていた。
 私は私自身も目を涙で滲ませていることに気付いた。何の涙だ。同情か。憐憫か。それとも誰もが愛するような恋人にレビアが別れを切り出したことに対する侮蔑か。はたまた愛の誓いを投げ捨ててしまった愚かさに対する嘲笑か。
 否、そのどれでもなかった。
 私はただ、二人の間に起きた悲恋に涙していたのだ。抗いようのない運命によって別れざるをえなかった二人に、私は悲哀を感じていたのだ。それも互いが互いを心から愛し合うがゆえの別れに、私は涙を流すことしかできなかったのだ。
「レビア……あなたは立派な女性です。己の身を引き、愛する者の将来を祈る姿は非常に高潔です。あなたはあなたの正しいと思うことをしたのです。何も間違ってなどおりません」
 私の言葉を、レビアは身体を震わせながら聞いていた。私はレビアをさらにぎゅっと抱きしめた。
「それこそがあなたの、一途な愛なのです。相手の方は必ずあなたの想いを分かって下さっています。あなたは立派なことをなさりました」
 そう言う私の脳裏では様々な光景が現れては消えていっていた。何かあるとすぐにレビアを頼ろうとする男の姿、困ったことがあるととりあえずレビアに報告する男の姿、レビアにだけは全幅の信頼を置いている男の姿。
 そういうことだったのか、という思いと、それならしかたのないことだ、という思いが綯い交ぜになっていた。
 私は、二人の間にある絆には到底かなわないことを悟った。二人の前では、嫉妬だなど取るに足らない感情だと知った。
 たとえ結ばれなかった二人であっても、心の奥底ではしっかりと結ばれたのだろう。それは祝福すべきことであり、人として望ましい限りのことだ。
「レビア」
 私は赤子をあやすかのような声で言った。
「何も結婚することだけが愛の証ではございません。形式などにこだわらず、相手への献身を自らの心と身体を捧げることによって成し遂げれば、それが何よりものあなたの心の奥底からの愛だと伝わるものです」
「ですが……」
 レビアは嗚咽交じりの声で応えた。
「あんな酷いことをしたあたしを……彼が嫌わないはずがありません……。憎まないはずがありません……。あたしのことを恨みに恨んでいるに違いありません……。あたしはかけがえのない人を失ってしまいました……。もうあたしには……人を愛する資格などありません……」
 私はレビアの背中を擦りながら思った。
 あの男はレビアをこれっぽっちも恨んでなどいなかった。たとえどんなにあの男が己の心を隠すことに長けていたとしても、レビアの判断に全幅の信頼を置いた発言だけは覆せないからだ。
 私はレビアの髪を撫ぜた。レビアが私の肩に頭を預けるのを感じた。
「嫌ってなどいるものですか。憎んでなどいるものですか。相手の方は間違いなく、あなたの献身的で誠実な行いに感謝しているはずです。恨んでいるはずなどございません。……それに、あなたはかけがえのない人を失ったのではありません。生涯心から理解しあえる大切な人ができたのです。あなたほどの方なら、また必ず、誰よりも深く人を愛することができます。……私が保証いたします。ご安心なさい」
 レビアが私の耳元で「ありがとうございます……」と呟くのを聞いた。私はレビアの背中を擦りながら尋ねた。
「私は相手の方のことをよく存じ上げませんが、相手の方は今でもなおあなたに優しく接してくださるのではございませんか?」
 私は小さな嘘を吐いてしまったことで、チクリと心が痛んだ。
 やがてレビアがこくりと頷くのを肌で感じた。
「でしたらお気に病まないで。そうして変わらず接してくださる様こそが、間違いなく相手の方のあなたへの本心の顕れでしょう。相手の方はきっと、あなたに感謝しているはずです。何故ならあなたのような女性に出会えたことが、何よりもの人生の糧になったのですから」
 レビアは鼻をすすりながら再び私の首元で頷いた。
 私は大きく息を吸い、レビアを全身で抱きしめた。
 

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