呪われた白い杖

海老名童話『呪われた白い杖』


 ある王国には、不思議な杖に関する伝承がありました。なんでもその杖を手に入れるとなんでも願いが叶うようになるのです。しかし同時に、酷い呪いにかかってしまうとも言われていました。
 そんな杖などあるわけなかろう、と人々が当たり前のように思い始めたころのこと、このお話は始まります。

 昔々、ゴットアプフェルフルスという小さな王国がありました。
 ある日のこと、ゴットアプフェルフルス王国の王都プローンネームにて、アッペンツェラー伯爵が高熱のため倒れてしまいました。傍若無人で有名だった伯爵でしたが、なんと川で溺れかけていた愛娘を助けるために自ら川に飛び込んだがゆえに、厄介な病気を悪化させてしまったからです。
 貴族達はアッペンツェラー伯爵の強い家族愛を認めましたが、愛娘の声も虚しく、アッペンツェラー伯爵はやがて帰らぬ人となりました。
 王国の決まりにより、爵位継承の資格を持たないその十七歳の娘は、屋敷を手放さざるをえませんでした。まもなくその娘は、古くからアッペンツェラー家と深い親交のあった家庭に引き取られることになりました。
 その娘の名前はランカシーレといいました。太陽の輝きを持つ長い金髪に、白磁のような肌、ハシバミ色の瞳に、リンゴのように赤く熟れた唇をしており、たいそう気立てが良く、とても心優しい娘でした。

 その娘の引き取り手はアハトヴォルケン家という、一人の寡婦と二人の娘からなる家族でした。
 アハトヴォルケン家の母であるユカリは、麦色の長い髪をたくわえた壮年の女性でした。ランカシーレが「何でもできることがあれば言いつけてほしい」と頭を下げて告げたときも、ユカリはランカシーレに優しく微笑んで言いました。
「あなたは私たちの家族だから、気を遣う必要なんて無いわ。やるべきことはみんなでやりましょう。それに今日から私はあなたのお母さんなのだから、いくらでも甘えていいのよ」
 それを聞いて、ランカシーレは思わずユカリに抱き着いておいおいと涙を流しました。数年前に亡くした母親の姿をユカリに重ねることで、ランカシーレの心がどれほど癒されたことでしょうか。ランカシーレは「ありがとうございます、お母様」と呟きながら、何度もユカリに撫でられていました。
 アハトヴォルケン家の長女であるコヨは、ランカシーレよりも少し年上でした。銀河のように長い髪を束ねつつ、コヨは毎日畑仕事に精を出しては、たくさんの野菜を育てていました。ランカシーレがそれを手伝おうと申し出ると、コヨは、
「ランは手が綺麗だから、手にまめができるような仕事はしないほうがいい。どうしてもというのなら、ときどき冷たい布を持ってきてくれると嬉しい」
と泥だらけの顔で答えました。ランカシーレは言われた通りに綺麗な布を水に浸し、焼き菓子とジュースを持ってコヨのところに行きました。するとコヨは焼き菓子にかじりつくやいなや、
「おいしい! ランは気が利くし、いいお嫁さんになれるぞ! それも、そこらへんの貴族の夫人なんてランには役不足なくらいだ! あっはっは!」
と豪快に笑ってランカシーレを抱きしめました。ランは思わず笑みをこぼし、涙もこぼし、そのままコヨの胸で泣きつづけました。コヨは、
「つらいことも多いだろうが、私はランの姉だ。どれだけ時が経ようとも、姉は妹を助けるものだ。気が済むまで泣くといい」
と言って、ずっとランカシーレの背中を擦ってあげていました。
 アハトヴォルケン家の末女は流れるような長い黒髪を持つレビアといい、ランカシーレより少し年下で背も少しだけ低いものでした。しかしレビアは掃除に洗濯、それに料理に使う新鮮な野菜や牛乳の運び手としてとても優秀でした。そしてそれらの食材でランカシーレが料理を作ると、レビアは何の躊躇いも無く、
「おいしい! 今まで食べた何よりもおいしいよ!」
と言ってはランカシーレに微笑みかけました。ランカシーレは嗚咽交じりの声でレビアに応えるので精いっぱいでした。

 ある日のこと、近々お城で舞踏会が行われるというお触れが出ました。しかもそのお触れによると、舞踏会で王子に見初められた女性は王子と結婚できるというのです。
 畑にてランカシーレからその話を聞いたコヨは、自信満々の表情でランカシーレに言いました。
「王子の相手として、ラン以上に相応しい相手がこの街にいるものか。ランは舞踏会に行くべきだ」
「ありがとうございます、お姉様。私も王城主催の舞踏会には憧れておりますし、王子と踊ってみたいものでございます」
 ランカシーレはしみじみと言いましたたが、やがて顔を曇らせました。
「しかし……たいていの貴族は知っているはずです。私が没落した貴族の娘であるということを」
「そうか……それじゃあせっかくの舞踏会も楽しくないだろうな」
 コヨはランカシーレを丸太に座らせ、自身もその隣に鍬とともにどっかと腰を下ろしました。
「じゃあ、ランが舞踏会に行かないというのなら、私も舞踏会に行く意味が無いな」
「何故です?」
「興味が無いからだよ。ダンスに限らず、偉い人たちが偉い人のために何かを行う場所なんて、私には絶対に合わない」
 コヨは頭の後ろで手を組んで、空を見上げました。
「いちおうランに不埒な奴が近づかないようについていくつもりではあったけれど、ランが行かないのなら話は別だ」
 そしてコヨはランカシーレの頬に手を伸ばし、その硬い手の平で撫ぜました。
「それにこうして畑でのんびりとランと話をしているほうが、私は好きだよ」
 その言葉を聞いて、ランカシーレは黙って俯きました。しかしランカシーレの表情は、すこし安堵したものでした。

 舞踏会の日のこと、ランカシーレの事情を聞いたユカリは、
「じゃあ……招待されているのに誰も行かない、というのは王室に失礼だろうから、私とレビアだけで行ってくるわね」
と言い、レビアはレビアで、
「あたしが王子と結婚できなかったら、お姉ちゃんは料理であたしの心を癒してね!」
と都合のいいことを言いながら、馬車で出かけていきました。ランカシーレとコヨは手を振りながら、ユカリとレビアの乗せた馬車を見送っていました。
 コヨはランカシーレに向いて言いました。
「最近は冷え込みが酷いらしいし、家に入ろう」
「お姉様……私はもう少し、お墓の前でお父様やお母様とお話をしたくございます」
 ランカシーレは意味深長な返答をしました。しかしコヨは「そうか」とだけ呟き、自分が纏っていた紅色のショールをランカシーレの肩にかけて、家の中へと入っていきました。
 ランカシーレはショールを握りしめながら、家の裏庭に向かいました。そこには小さな石と、小さな木の枝がささった墓標がありました。
「お父様、お母様……」
 それはランカシーレの産みの親の墓でした。亡骸こそそこにはありませんが、墓標だけはランカシーレが大事に持ってきたのです。
「今の私は、親切な家族に恵まれています……。本当に感謝しております……」
 ランカシーレは墓に向かって呟きました。
「お父様やお母様がいなくなって寂しくございましたが……今ではもう立ち直ることができました……」
 ランカシーレの目にいつのまにか浮かんでいた涙が、ぽつりと石に落ちました。
「できることなら……お父様やお母様にもこの幸せを分けてさしあげたくございました……」
 ランカシーレは両手を墓標の前につき、こうべを垂れました。亡き両親への恋しさは、どんなに幸せな暮らしを送っていても、決して癒えることがなかったからです。
 ランカシーレは肩を震わせながら、何度も何度も父と母の名をつぶやいては涙をこぼしていました。
 そのときでした。
 ランカシーレの背後でパキッと小枝の折れる音が響きました。
 ランカシーレが体勢を立て直して慌てて振り返ると、そこにはフードをかぶった老婆がいました。腰はずいぶんと曲がっており、フードの影から鷲鼻が見え隠れしていました。ランカシーレは涙を拭い取りながら老婆を睨みつけて、
「どなたでしょうか!」
と誰何しました。敷地内に勝手に入ってきたその老婆が危険なものを何も隠し持っていない、と安易に信じることなどできなかったからです。しかし老婆はしゃがれた声で、思いもよらぬ返答をしました。
「私は、ランカシーレ、あなたの名付け親です」
 思わず目を見開いたランカシーレに、老婆はおぼつかない足取りでゆっくりと近づきながら言いました。
「名付け親として、ランカシーレ、あなたを親に会わせたいと思うことは何度もありました。死に人を生き返らせることは叶わぬと知りながらも、どうしても、どうしても、と。しかし叶えられないならば、ランカシーレ、別の願いを叶えるべきだと私は思い立ちました」
 老婆はその皺だらけの手で、懐からゆっくりと一本の細くて白い杖を取り出しました。長さにして手の平二つ分ほどでしょうか。白樺の細枝でできているかのようなその杖を、老婆はランカシーレに向けました。
「この杖で、ランカシーレ、お前の正体を誰にも分からなくしてあげましょう」
「それは、どういう意味です……?」
 戸惑いを隠せぬランカシーレの問いに、老婆は穏やかに答えました。
「つまり、ランカシーレ、舞踏会であろうとも自分自身が誰なのかを知られずに済むということです」
 ランカシーレは生唾を飲みこみました。老婆は落ち着いた声で続けました。
「アッペンツェラーという家名から離れて、ランカシーレ、一人の淑女として舞踏会に行くことがあなたの今の願いでしょう?」
 老婆がその白い杖でランカシーレの肩をぽんと叩くと、杖の先から星屑のような光がこぼれました。
「これで今夜の12時まで、お前をランカシーレと知る者はいなくなりました。これでよいですかな?」
「ありがとうございます。……でも……」
 ランカシーレは、ドレスに着替える時間や王城にたどり着くまでの時間を思案していました。しかし老婆は再びランカシーレに白い杖を向けて言いました。
「まずは、ランカシーレ、とびきりのドレスを用意してあげましょう。ほれ」
 老婆が杖を振ると、杖の先から星屑のような光がほとばしってランカシーレの体を取り巻きました。それらはまばゆく輝いたかと思うと、一瞬のうちにランカシーレの服をフリルと刺繍がふんだんに施された煌びやかな紅色のドレスになりました。
「靴とティアラも……ほれ」
 老婆が杖を振ると、ランカシーレの髪に星屑の光がきらめき、一瞬ののちにただの髪留めをどんな貴族の娘も持っていないようなティアラへと変えました。そしてランカシーレがドレスをたくし上げると、ランカシーレの靴に星屑が取り巻いてあっという間にガラスの靴に変えてしまいました。
「時間も惜しかろう。ほれ」
 老婆が最後に杖を一振りして星屑のような光をランカシーレのドレスに纏わせると、ドレスが急に綿雲のように軽くなり、ランカシーレの体がふわりと浮くのを感じました。
「これで空を意のままに飛べるでしょう、ランカシーレ。たとえ12時が迫ろうとも、これならいくらでもここに帰る方法があることでしょう」
「ありがとうございます、名付け親の……ええと……」
 昂ぶる息を抑えながらランカシーレが名付け親に名を尋ねようとすると、
「では私はこれで」
と言って老婆は杖を振り、その場から姿を消してしまいました。ランカシーレが呆気に取られていると、なんと名付け親の老婆が持っていた白い杖だけが地面に取り残されていました。
 ランカシーレはドレスをたくし上げながら駆け寄り、白い杖を手に取りました。
「……ありがとうございます、名付け親様」
 ランカシーレは杖の形をネックレスに変え、地を蹴って空へと舞いあがりました。

 ランカシーレは夜空のかなたから、王城の中の人気のない庭に下り立ちました。そして何もなかったかのような素振りでドレスの裾をただし、煌びやかな光のこぼれるダンスホールへと通じる階段を上っていきました。
 ランカシーレがダンスホールに入るやいなや、紅色のドレスを纏ったランカシーレに誰もが息をのみました。そしてランカシーレが安心したことに、そのとき最も多く発せられた言葉は、
「彼女は誰?」
でした。
 ランカシーレは安堵してダンスホールを歩み、最初にダンスを申し出た男性と一曲踊りました。そしてまた一曲、また一曲、とランカシーレは舞踏会でずっとダンスを踊りつづけました。綿雲のようなドレスのおかげで、ランカシーレは軽々とダンスを踊ることができたのです。
 幼いころに両親に連れられてやってきた舞踏会では、ランカシーレはうまく踊ることができなかったものでした。しかし今、こうして思い通りのダンスを踊ることができているのです。両親こそこの場にはいませんが、ランカシーレは悲しみにとらわれずに己の人生を歩んでいけると強く信じられました。
 次の曲に入る前に、ランカシーレはまたも男性から声をかけられました。ランカシーレはダンスの相手となることを承諾しましたが、その直後に気付きました。ランカシーレと同じくハシバミ色の目をしており、銀髪で体格の良いその男性こそが、この王国の王子だということに。
 ランカシーレは王子とのダンスを心から楽しみました。王子に身体を預け、王子に導かれるままに、何度も何度も優雅なターンを繰り返しました。そして最後に、深く礼をして王子の傍から離れようとしました。
「待ってくれ」
 王子はランカシーレの手を握りしめて告げました。
「もう一曲、踊ってくれないか?」
「……はい、喜んで」
 ランカシーレは微笑んでそう答えました。
 王子とランカシーレが何曲も踊るのを見て、周囲の王族や貴族はやきもきしていました。王族の人たちは「あの女性は誰なのか」と知りたがり、貴族の婦人たちは「王子は早くあの女から離れればいいのに」と嫉妬していたからです。しかしそう思う貴族の婦人ですら、王子とランカシーレのダンス姿には少なからず見惚れていました。
 王子と三曲目のダンスを終えたときのこと、ランカシーレはちらりとダンスホールの時計を見やりました。「真夜中の12時まであと30分しかない」そう思うやいなや、ランカシーレは王子にこう切り出しました。
「殿下。外の風に当たりたくございます。どうか、お手のほどお放しを……」
「ならばせめて、自慢の庭までお連れしてさしあげよう」
 やっと切り出した言葉も虚しく、ランカシーレは王子の手から逃れることができないまま、王子に導かれて外庭に出ました。
 その庭には誰もおらず、入り組んだ垣根と技巧的に育てられた樹木のおかげで、ダンスホールの誰からもランカシーレは姿を見られずにすみました。
 どうにかして王子から逃れねば、と思っていたランカシーレは、ふいに王子から告げられました。
「残念だ」
 王子は立ち止まって、ランカシーレの手を両手で握りしめました。王子の寂しそうな面持ちを目の当たりにして、否が応でもランカシーレは目をそらさずにはいられませんでした。
「俺はあなたにこんなに惹かれているのに……」
 ランカシーレの手が王子に手繰り寄せられるのを、ランカシーレは感じました。しかしランカシーレは、没落貴族の娘が王子に見初められた場合にどれほど貴族の反感を買うかを考えるにつけて、王子に一歩近づけずにいました。
 王子は大きく息を吐き、諦めを呈した声でランカシーレに言いました。
「あなたは俺のことなど見えなくなるくらいに、他のことが気になってしかたがないようだ」
「いえ……そのようなことは……」
 そう口にしつつも、王子に心を見透かされているかのように思えたランカシーレは、最後まで言葉を紡ぐことができませんでした。
 そのとき、ランカシーレが驚いたことに、王子はランカシーレの手を離しました。ランカシーレから一歩下がった王子は、ランカシーレに尋ねました。
「もし俺が今あなたに求婚しても、君は断ってしまうのだろう?」
「……………………ごめんなさい」
 ランカシーレは目を伏せるよりほかありませんでした。しかし王子の声は穏やかなものでした。
「謝らないでほしい。俺はあなたと何曲かダンスを踊ることができてとても幸せだった。俺もあなたもそれで充分だった。……そういうことにしておけばいい。あなたを束縛することなど、俺にはとうていできやしないのだから」
「……………………ごめんなさい」
 ランカシーレは、蚊の泣くような声で答えるので精いっぱいでした。
 王子はその場で跪きました。
「またあなたと会える日を楽しみにしています。……どうか、お元気で」
 王子はそう言って、顔を伏せました。
「……………………はい」
 ランカシーレは後ろ髪を引かれる思いでいっぱいでしたが、やがて意を決してドレスの裾を翻して走り去っていきました。そして垣根を何度か曲がったところで、勢いよく地を蹴って空へと舞いあがりました。
「ごめんなさい、殿下……」
 ランカシーレは涙がこぼれるのを感じました。
 しかしそれゆえにランカシーレは見落としてしまっていました。ランカシーレが走り去ろうとしてドレスを翻したときに、王子が本当に跪いたまま何もしなかったのかどうかを。

 ランカシーレは夜の街の上空を必死で飛び続けました。途中で何度か鳥に突かれて痛い思いもしましたが、ランカシーレは一目散に自宅にたどり着きました。
 ランカシーレがドレスの裾を押さえつつ自宅の庭に下り立ったときには、もう間もなく12時になろうとしていたときのことでした。ランカシーレはネックレスを握りしめて、
「ドレスよ、ティアラよ、靴よ、ネックレスよ、元に戻れ!」
と呟きました。するとランカシーレの体から星屑が弾けとび、ランカシーレは元の平民の姿に戻りました。
 ランカシーレは白い杖を胸元に仕舞いながら、自宅に駆け戻ろうとしました。すると自宅の扉が勢いよく開いて、乱れ髪のコヨが大声で叫びながら出てきました。
「ランー! つまらないかくれんぼなんかよせ! 早く出てくるんだ! 風邪を引いたら大変なことになるんだぞ!? 頼むから……出てきてくれよ……!」
 コヨの声がかすれそうになったときに、ランカシーレは慌ててコヨの前に暗がりから姿を現しました。
「お姉様! ごめんなさい! 私ったら、つい……!」
「ラン! どこに行っていたんだ! 心配したんだぞ!?」
 コヨはランカシーレを強く抱きしめました。そしてコヨはランカシーレに告げました。
「お前のことだ。きっと私が貸したショールが飛ばされてしまったから、ずっと探していたのだろう?」
「えっ?」
 ランカシーレはハッと気付きました。たしかにランカシーレは元の姿に戻りましたが、コヨが纏わせてくれたショールだけはどこにもありませんでした。
「いいんだ、ラン。あんな布きれより、ランが帰ってきてくれたことの方がよほど嬉しい」
「お姉様……」
 コヨに抱きしめられる中で、ランカシーレの胸はちくりと痛みました。

 翌朝のこと、ランカシーレはユカリとレビアから舞踏会の話を聞こうとしました。しかし当然のように、二人が口にするのは王子のダンス相手の話ばかりでした。ユカリは、
「王子に見初められたと言ってもいいくらいの女性がいたのだけれど、どこかへ逃げられてしまったらしいわ。王子が言うには『今の俺では彼女に拒まれるだけだ。自由な鳥には、自由な空が似合うものだ』ということなのだけれど、にわかには信じられないし……」
と肩肘をつきながらぼやいており、レビアに至っては腕を組んで、
「あの女性は庭から入ってきて、庭に出ていって消えた。つまりあれは王族の身内の誰かだ。王子が見初めたら結婚だの何だのというのは、すべて王族が仕組んだ八百長に違いない」
と的外れながらも手厳しい批判を下していました。ランカシーレは「まあまあ」と慰めつつ、同時に「舞踏会での女性がランカシーレと同一人物であると誰にも気づかれていない」という事実に胸をなでおろしました。
 しかしランカシーレが安心したのもつかの間、ふいにレビアは不審なことを口にしました。
「でもね、昨日の女性を見つけるために、王子は捜索隊を結成して今日からその女性を探すんだって」
「えっ!?」
 ランカシーレは思わず素っ頓狂な声を上げてしまいました。ランカシーレは慌てて、
「し、しかしそれは、その女性が王族の方だと思われるのが嫌で、王子はただ舞踏会でそう言ってみせただけなのではないでしょうか?」
と付け加えました。
 レビアは「あたしも最初はてっきりそうだと思ったんだけれど……」と渋い顔で続けました。
「なにせ捜索開始場所がやたら変なんだよ。普通なら王城の近くとか、貴族の屋敷とかを順繰りに探していけばいいのにさ」
 ランカシーレはレビアの言葉を、生唾を呑みこみながら待ちました。
「それなのに王子ってば、うちの通りから捜索を始めるんだって」
 ランカシーレは思わず胸を押さえました。
「……お姉ちゃん?」
 レビアが心配そうにランカシーレの顔を覗き込むので、ランカシーレは強がって答えました。
「いえ、少し昨日の夕方に身体を冷やしすぎたようです……。少し部屋で休んでまいります」
 ランカシーレはそう言って、よろよろと自室へと向かいましたに出ました。

 何故なのか、どこで知られたのか、何を間違えてしまったのか。ランカシーレは何度も自問しましたが、一向に答えは出てきませんでした。
 ランカシーレはしばらく顔に手をあててベッドでうずくまっていましたが、やがて割り切ることにしました。「レビアですら昨日の私を別人だと思ったのだ。だとすれば捜索隊だろうが王子だろうが、昨日の私と今日の私を別の人間だと思うに違いない」と。
 そう思うことで少し心を落ち着かせることのできたランカシーレは、ベッドの上で大きく伸びをしました。そして窓から見える玄関の近くに捜索隊と思われる兵士たちが見えても、ランカシーレが大きく動揺することはありませんでした。

 甲冑姿の捜索隊の兵士長はアハトヴォルケン宅の門の入り口にて、ユカリに説明を施しました。もし昨日の舞踏会に来た女性がいれば、必ず全員顔を見せてほしい、と。
 ユカリは「ご苦労様です」と兵士長に告げて、玄関先でそわそわしていたレビアだけを呼びました。玄関の物陰で様子を見ていたランカシーレは、それを聞いてほっとしました。これならランカシーレが捜索隊と顔を合わせることは無かろう、と思えたからです。
 しかし現実は違いました。
「ではレビア嬢以外の娘様達は、昨日の舞踏会に来ていなかったわけですね?」
 兵士長は声を張りあげました。
「では他の娘様をご紹介願えますか?」
 その声を聞いて、ランカシーレは心臓を冷たい手で鷲掴みにされたかのような心地に陥りました。コヨは、顔色の悪いランカシーレの背中を擦りながら、
「なんならランは、ここに残っていてもいいんだぞ?」
と言いましたが、ランカシーレは「ここで怪しまれるようなことなどできまい」と思い、コヨの腕に掴まってよろよろと立ち上がりました。
 門から戻ってきたレビアは「一体あたしは何のために呼ばれたんだ」と口をとがらせていましたが、コヨに連れられたランカシーレの真っ青な顔を見て口をつぐむよりほかありませんでした。
 兵士長は門の前にランカシーレとコヨを立たせました。そして兵士長はずっと持っていた麻袋から、ひと巻の紅色のショールを取り出しました。それは紛う方無き、昨晩何故か現れてこなかったコヨのショールでした。
「このショールの持ち主を探しています。聞けばこのショールを作るための糸を買った女性が、コヨ嬢だと聞いています。……違いますか?」
 兵士長がコヨに尋ねるのを聞いて、ランカシーレは歯を食いしばってぎゅっと目を瞑りました。

 どうしてあのショールが彼等の手の中にあるのだろうか。真偽のほどは分からないが、可能性はたくさんある。たとえばドレスの一部が城のどこかで千切れてしまっていたならば、杖の効力が切れるとともにそのドレスの一部がショールへと戻っていてもおかしくない。
 もし今杖を使って兵士長の手にあるショールを吹き飛ばしてしまえば、事態を有耶無耶にすることもできる。しかし捜索隊という特別な兵士たちを束ねる兵士長が、まさかアハトヴォルケン家の門の前で大事なショールを風に飛ばしてしまうことがあろうか。そうなれば、その光景を知る誰もが、アハトヴォルケン家のランカシーレこそがやはり怪しい人物だ、と思うに違いない。そしてそれは、ランカシーレ自身が昨日の女性に他ならない、と自ら主張していることと何が違おうか。
 「今日で私の人生は終わるのだろうか」ランカシーレは自問した。「私は所詮、没落した貴族の娘に過ぎない。そんな何の後ろ盾も無い娘が、王子の妃など務まるはずがない。ひとたびアハトヴォルケン家の皆の届かぬ王宮に入ってしまえば、どれほど王子が私を守ろうとも、私は家族と会えなくなってしまう」
 ランカシーレはぎゅっと手を握りしめた。
「愛する家族とまた離れ離れになるだなんて、耐えられるはずがない。私はどうすればいいのだろうか――」

 そのとき、コヨはランカシーレにちらりと目をやりました。そしてコヨは、強い語気で兵士長に告げました。
「そのショールは私のものじゃない」
 ランカシーレは思わず顔を上げて、コヨの険しい横顔に目を見張りました。
「たしかに私はそういう色合いのショールを作った。ここのところずっと身に付けていたのも事実だ。しかし昨日のこと、私は自分のショールを燃やしてしまったんだ。たき火をしていたときに、うっかりと。だからそれは私のショールではありえない」
 ランカシーレは息を飲みました。そしてさらに驚いたことに、兵士長はコヨの言葉に丁寧に答えました。
「そうでしたか。失礼しました。無礼な邪推をお許しください」
 兵士長は甲冑姿のまま、頭を下げました。そして兵士長はおもむろにランカシーレの傍に歩み寄り、頭部甲冑を脱いで言いました。
「ということは、当然このショールはこちらのランカシーレ嬢のショールでもない、ということになりますね」
 それは憐れむようでいて、それでいて微笑みをたたえているような、ハシバミ色の瞳の兵士長の素顔でした。その兵士長の髪の色こそ金髪に見えますが、一部に金色に染めそこねられた銀色の髪がちらほら見えておりました。

 もうだめだ。全て見透かされてしまっているんだ。
 そう思うと、ランカシーレの目から一粒の涙がこぼれでました。

 しかし兵士長は頭部甲冑をかぶりなおし、ランカシーレから目を離して淡々と言いました。
「どうやらランカシーレ嬢を泣かせてしまうほどに、我々は彼女たちを怖がらせてしまったようです。これにて引きあげましょう。ご協力ありがとうございました」
 兵士長は振り返ることすらなしに、兵士たちを連れてアハトヴォルケン家の門の前から去っていきました。
 残されたランカシーレは、コヨの隣でただただ涙を流すばかりでした。

 ランカシーレは自室に篭って、ずっとずっと泣いていました。目の前に白い杖を置いたまま、ベッドの上で嗚咽を上げていました。
 しばらく経って、ノックの音が響きました。
「ラン、私だ。コヨだ。入らせてくれ」
 大好きな姉の声が聞こえたので、ランカシーレは白い杖を胸元にしまい、ベッドから下りて扉を開けました。
 扉が開くや否や、コヨはランカシーレを無言で抱きしめました。そしてランカシーレの耳元で、重い言葉を口にするようにコヨは告げました。
「ラン。アッペンツェラー家とアハトヴォルケン家は親交が深い、と言われているのが何故なのかを、聞いたことがあるか?」
 ランカシーレは首を小さく横に振りました。コヨはランカシーレの頬を撫ぜながら教えました。
「それは、互いの家に生まれた子に名前を付けているからだよ。そして、ラン、君の名を付けたのは……私だ」
「まさか……」
 ランカシーレはコヨの顔をまじまじと見つめましたが、コヨは軽く頷いて言いました。
「紛れもない事実だ。現に3歳くらいの私が、いくつかの候補の中からランカシーレという名前を選んだらしい。だから、ランカシーレ、君の名付け親は、私だ」
「そんな……!?」
 コヨの言っていることも、コヨの今しがたの口調も、まるでランカシーレには信じられないものでした。
「ですが……あの……!」
「見目くらいどうとでも変えられる。実際にランは昨日の夜だけ、他人には別人のように映っていたんじゃないのか」
 コヨの言葉に、ランカシーレは何も返せませんでした。しかしランカシーレは最後に残った疑問を口にしました。
「どうしてお姉様は、お姉様のままの姿で杖を渡してくださらなかったのです?」
「それには……まずどうして私があの杖を手に入れたかを話さなきゃならない」
 コヨはぽつりぽつりと言葉を紡ぎました。
「以前に、ここの近くで馬車と馬車の衝突事故があったんだ。悲惨なもので、乗っていた人は皆死んだ。だが不思議なことに、馬車と馬車の衝突事故だと言われておきながら、翌朝実際に現場には馬車が一つしか取り残されていなかった。その近くには腐ったカボチャや動物の死体、そして……この杖が落ちていた」
 コヨは言葉を選びながらランカシーレに告げました。
「まもなく私はこの杖がどういうものかを知った。この杖を使えば物を作りだしたり、形を変えたりするのも思いのままだった。空を飛んだり水の中に長く潜ったりすることもできた。実際にこの杖で出来ないことなんて無いんだ。死人を生き返らせることを除いて、だけどな」
 コヨは末文を強調してランカシーレに告げました。ランカシーレは強く頷きました。
「ラン。ランの母親が亡くなって以来、アッペンツェラー伯爵がランに手を上げるのを私は我慢ならなかったんだ。なんてったって、ランにはもう、誰にも泣いて頼れる相手がいなくなってしまったのだから。そして実際に私は何度もランの父親に、ランには手を上げないでくれ、と言いに行ったこともある。だけれど……全く聞き入れてもらえなかった。……だから私は、杖にこう願ったんだ」
 ランカシーレはコヨの目をじっと見つめながら続きを待ちました。この姉の目が人の死を願う目に見えようか、と思いながら。
 そしてコヨはゆっくりと、かつて杖に祈った願いを口にしました。
「『ランの父親は、ランに対して優しくなってほしい』と」
 ランカシーレは柔らかな息を吐き、コヨを抱きしめました。しかしコヨは嗚咽交じりの声で続けました。
「その結果が、あの様だ」
 コヨは吐き捨てるように、続けました。
「優しくなったランの父親は、ランを助けるために、川に飛び込んで、酷い高熱を背負いこんで、死んだんだ」
 ランカシーレはコヨをぎゅっと抱きしめました。誰よりも優しく、何よりもやわらかく、全てを許すかのように。しかしコヨは、
「やめてくれ、ラン……!」
とか細い声を上げました。
「どんなにランの父親が酷い男であっても……! 娘が溺れかけていたら助けるかもしれない……! 放っておくわけない……! 助けを呼ぶなり何なり、手を打つに決まっている……! いわばあのときは……ランの父親が本当はどういう人かを知る、唯一の機会だったんだ……! それを私は……私が杖に頼ってしまったがばかりに……!」
 コヨは今にも消えてしまいそうな声で懺悔を紡ぎました。
「私が作り上げた架空の名声を……私はランの父親に付してしまったんだ……! ランの父親が本当は何に命を賭してまで守ろうとしたのかを……私が塗りつぶしてしまったんだ……! 私があの杖を使ったことで……人の死の本当の価値を……失わせてしまったんだ……!」
 コヨはランカシーレの服を握りしめながら、最後の言葉を吐きだしました。
「そんな呪われた杖を……アッペンツェラー伯爵の娘であるランに……! この私がどの面下げて渡せばいいっていうんだ……!」
 コヨはランカシーレの首許に頭を預け、わずかに身体を震わせながらずっと嗚咽を漏らしていました。
「お姉様」
 ランカシーレはコヨの背中を擦りました。
「お姉様がどうなさろうとも、必ず私の父は溺れかけていた私をきっと助けてくださりました。娘である私が、それを分からないはずがありません」
「そんなの、分かるわけ――」
 コヨの言葉を、ランカシーレはことさら強い抱擁で打ち消しました。
「いいえ、分かるのです。お姉様が私の屋敷に独りでいらっしゃるようになるより前から、動物に襲われたり怪我をして歩けなくなったりした私を、父は何度も屋敷まで運んでくださったものです。もちろんそのたびにこっぴどく叱られましたし、何度もぶたれました。『伯爵の家の娘がそんな体たらくで、一体どこに嫁げるというのだ!?』と怒鳴られながら」
 コヨはランカシーレの胸の中で、何度も何度も嗚咽を漏らしました。
「じゃあ、ランの父親は……ランを……」
「はい。ぶたなくてもいいのに、と思う事こそあれど、全ては私を思ってのことだということは充分理解しておりました」
 ランカシーレはコヨの髪を撫ぜながら言いました。
「たしかに死ぬ直前の父は不思議と優しい人でした。しかしその優しさの中に、不自然さなどどこにもありませんでした。父が気難しい人だったのは事実ですが、不器用ながらもちゃんと家族を愛してくださっていた人ですもの。どんな人でも、死ぬ前くらいは唯一の娘に対しては優しくなるものではございませんか?」
「ラン……」
 コヨは恐る恐るランカシーレの名を呼びました。
「お姉様」
 ランカシーレはコヨの耳元で、全てを許す言葉を囁きました。
「お姉様が最後に祈った願いは、じつは叶えられていなかったのではありませんか? なにせ、鳥に対して『空を飛べるようになれ』という願いなんて叶えられようがないのですもの」

 その言葉でコヨは、ランカシーレの胸の中に泣き崩れました。

 損ねてしまったと思っていた人の価値が、一番大切な人にしっかりと伝わっていることを知って。
 己の浅はかな思いが、決して何かを失わせたわけではないことを知って。
 ずっとずっと背負っていた十字架など、ほんとうはありもしなかったのだと知って。

 いつも気丈で明るく、あけっぴろげで冗談好きな姉は。
 ランカシーレと抱き合ったまま、ずっとずっと泣きつづけました。


 その日の夜。
 家族が寝静まったのを見計らって、ランカシーレとコヨはこっそりと家の外へと抜け出ました。
「ラン、本当に行くのか?」
「はい。とはいえ、一晩限りですが」
 ランカシーレは白い杖を振りかざし、あっという間に宝石が散りばめられて細かい刺繍が施された紅色のドレスを身にまといました。その脚はガラスのピンヒールを従え、その髪は星屑の結晶のようなティアラを冠していました。
「私と王子の二人だけでもう少しダンスを踊りたい、という気持ちを抑えることはできませんし、それに……」
 ランカシーレは白い杖でドレスに触れ、ドレスを綿雲のように軽くしました。
「私が本当は誰なのか、を私が打ち明ける時を、殿下はずっと待ってくださっているような気がするのです」
「そうだろうな……。あんな変装までしておきながら、殿下はランの顔を見ただけでさっさと帰ったんだ。殿下はよほど気が長い男なのか、はたまた女を手玉に取るのが好きな男なのかのどちらかだ」
 コヨがそう言うのを聞いてランカシーレはくすりと笑い、杖をネックレスに変えて首にかけました。
「ではお姉様、行ってまいります」
「行ってらっしゃい、ラン。楽しんでこい」

 ランカシーレは夜の街の上を、豪奢なドレスひとつで飛び続けました。月明かりが煌々と照らす夜で、ランカシーレのドレスも星屑のように輝きました。
 ランカシーレは空から王城に近づくと、一番奥の王室専用の棟に近づきました。そしてまだ灯りがともっている部屋の窓をちらりと伺いますと、部屋の中には銀髪でハシバミ色の瞳の男がろうそくを頼りに机に向かっていました。
 ランカシーレはドレスの裾を掴み、その部屋の広々としたテラスにゆっくりと着地しました。
 ピンヒールがカツンと音を立てたとき、男の部屋の中から猛禽の濁った鳴き声が何度も響き渡りました。ランカシーレは慌ててドレスの裾を掴んで辺りを見渡しましたが、やがて「どうどう、大丈夫だ。おそらく彼女だろう」という声とともに、あの銀髪でハシバミ色の瞳の男がテラスに現れました。
「ごきげんよう、ランカシーレ。それとも夜の女王とでもお呼びいたしましょうか」
「また会えて光栄でございます、殿下。ランカシーレとおよびくださいませ」
 ランカシーレが一歩踏み出して再びピンヒールを響かせたとき、またも猛禽の濁った鳴き声が響き渡った。
「おっと、俺の相棒が焼餅を妬いているようだ。このままだと誰かに気付かれてしまうから、まずは来てくれないか?」
 銀髪の男はランカシーレに右手を差し出しました。ランカシーレがそっとその手に左手を重ねますと、男はゆっくりと自室にランカシーレを案内しました。
「まずは相棒にちゃんと紹介しないとダメなようだ」
 ランカシーレが見たものは、大きな鉄のかごに入っている薄茶色い斑模様の鳥でした。嘴は短く、体長は40センチほどでしたが、ときおり2メートル近くも翼を広げてはランカシーレを脅かすような眼で睨みつけていました。
「このハヤブサは俺が小さいころから一緒に育った子でね、俺が呼べばどこからでも飛んできてくれるんだ。加えて、俺が追いかけてほしいと命じた相手を、どこまでも追いかけてくれる。ときには、その相手の一部を千切り取ってしまうという困ったちゃんなんだけどね」
「この鳥が……ですか」
 ランカシーレはそーっと近寄ろうとしましたが、そのハヤブサはランカシーレをギッと厳しい眼で睨みつけていました。
 銀髪の男は言いました。
「ヤキトリ。もうこの女性を追いかけたり襲ったりしたらダメなんだ。分かったか?」
 その言葉に、ヤキトリと呼ばれたハヤブサは甲高い声を出しておとなしくなりました。
 ランカシーレは銀髪の男の言葉によって、舞踏会の帰りの空のこと思い出しました。
「このヤキトリさんは……きっと私を突きたくてしかたがなかったのでしょうね」
「ああ。ずっとこの子は、君のドレスの一部を千切って持ちかえって褒められたい、と思っていたことだろう」
 ランカシーレはドレスの裾を軽くたくし上げ、ヤキトリの前で翻してみせました。しかしヤキトリはぴくりとも動きませんでした。
「ごめんなさい。ヤキトリさんが持ちかえったものは確かに私のものでしたが、ドレスではなかったのですよ」
「ああ、本当に驚いた。驚いてばかりだったから、ヤキトリが拗ねてしまって大変だった。だが一方で、翌日にはランカシーレの家まで辿りつけた。まったくもって、ヤキトリのおかげだ」
 銀髪の男は、ランカシーレの肩に手をまわしました。
「ランカシーレ」
 男はランカシーレを胸に抱き寄せました。
「もっと君のことが知りたい」
 男の胸の中で、ランカシーレは頬を染めながら答えました。
「私も、もっとあなたのことを知りたくございます」
 男はランカシーレの腰に右手をまわし、ランカシーレの左手を握りしめました。
「それじゃあ……ひとつだけいいかな」
 男はランカシーレに告げました。
「二人だけの、舞踏会第二夜を執り行いたい」

 その日の晩。
 王子の部屋の灯りは消えたものの、王子の部屋のテラスからは何故か男女の笑い声が時折聞こえてきたそうです。
 しかしそれでも良かったのでしょう。
 なにしろ嫉妬深いことで有名な猛禽の相棒が、その事実を誰よりもしっかりと受け止めていたのですから。

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