理科を理解するシリカゲル

 恥辱を武器とする少女のお話、に加担したときのお話。


(検索でアレなコトが起きるとイヤなので、伏字を適当に使います。伏字を含む単語が蓮コラに見えたらキミの勝ちだ!)


 恥辱を武器とする少女のお話をあれこれ考えている人に、アドバイスをしてしまった。
 なんということだ。
 俺ごときが他人様に向かって、
「ココはコレがアレだから、トラブルのキモになっている。そこで、ここのキモをクリアする代案を3つ思いついた。まあこれらはあくまでsuggestionだから、最後は君に決めてほしい」
などと言ってしまうとは。まったくもって世も末だ。しかしなんだかんだで二人でリリカル☆フィジカル頑張った結果、良い結論が得られた。これはどちらにとっても良い収穫になったと言えよう。

 リリカル☆フィジカルな頑張りの中で、俺は何度か参考書(大学の授業で用いたもの)を開いては、ここがこうであそこがああだから云々と話していた。それは単に俺が俺の参考書を愛しているがゆえの行為であり、個人的にはこういう場所で原論文を素直に参照する人のほうがよほど偉いと信じている。
 一方で相手はときおりウィ●ペ●ィアとヤフー●●袋を参照していた。あまり個人の好みに口を差し挟むべきではないとは思いつつも、ついうっかり、
「論文や参考書は見ないの?」
と訊いてしまった。これにより、俺の精神力が任意の正数よりも小さいことが判明してしまった。なんてことだ、道理でスタンドが発現しないわけだ。
 その後、俺の不躾な問いに対する回答により、相手がウィ●ペ●ィアとヤフー●●袋を参照するに至る経緯を知ることができた。それにともない、
「あっ、あっ、これ、あの人のたどった道と同じだよぉっ……まさに柳●理●雄のたどった道だよぉっ……」
という不安に駆られてしかたなかった。

 柳●理●雄といえば、『●想●学●本』シリーズの著者として一躍脚光を浴びた人だ。『●想●学●本』内では、さまざまな特撮やアニメ、映画に対し、
「実際にこういうことをしたらこんな悲惨なことが起きちゃうぞーっ! 俺だったらここはこうやって解決するけれど、でもそれじゃあお金が○○兆円かかっちゃうなー! わっはっは!」
というノリで笑いを誘うスタイルが採用されていた。しかし「設定を理解していない」「モデルが不適切」「計算が間違っている」「先行研究を無視している」などの原因によって、間違った記述が散見されたのもまた事実だった。
 当然、それらの間違った記述に対し多くの非難が寄せられた。しかしとくに改善される傾向が見られなかったので、次第に読者の大半は、
「まあこれは柳●理●雄のエッセイみたいなものだしな……」
というある種の諦観を得るに至った。
 むろん、柳●理●雄の書いていることが全面的にダメなわけではない。日本のアニメや特撮のみならず、ハリウッド映画や漫画全般に採用されているcomicalな表現にいたるまで、とにかくネタを拾ってくる範囲がかなり広い。それにより、読者に、
「こういう作品もあるのか……。なんだか面白そうだし、一度見てみようかな」
という興味を持たせる役割が充分果たされている。加えて、何らかの形でこまめに笑いを取ろうとする姿勢も案外憎めないものだ。「タケコプターは半重力で空を飛ぶ道具なんだけれどな……」という冷めた思いが湧きおこらないといえば嘘になるが、なんだかんだで「バッテリー残量を示すプロペラ部分だけで空を飛ぼうとしたらどうなるか」という部分の軽妙で諧謔的な記述には惹きこまれるものがある。
 たしかに、『●想●学●本』シリーズを「科学に基づいて検証した文献」と表現することは、まったくもって不適切だ。しかし『●想●学●本』シリーズを「柳●理●雄のエッセイ」だと思えば、とりたてて非難すべき箇所があるとは思えない。なぜなら柳●理●雄は自然科学者ではないし、『●想●学●本』シリーズは自然科学や創作中の真理を前提としていないからだ。
 この点に関して、柳●理●雄と編集のスタンスが垣間見えるエピソードがある。あるとき、柳●理●雄が編集に「私の著書には間違いが多い……と頻繁に指摘される。どうすればいいのだろうか」とこぼしたことがあるそうだ。すると編集が、
「あなたの著書に正確さを求めている人なんているのですか? 面白ければそれでいいんですよ」
と返したらしい(この内容は『●想●学●本』のどこかの後書きに書かれてあるので、各自見つけてください)。
 むろん柳●理●雄の持ち味である「ネタを拾ってくる範囲の広さ」が、ダイレクトに「設定に対する理解が浅くなる」という現実を生んでいる面も少なからずあるだろう。しかしそれ以上に、「面白ければなんでもいい」という方針が、記述の正確さを損なわせているようにも考えられる。購買層の読者が「面白さ」を求めている以上、柳●理●雄は「正確さを追求する」のではなく、「面白さを追求する」ことに多くの労力を注ぐだろう。その際に「正確さを追求する」コストを抑えることは、かなり合理的な判断だといえる。
 柳●理●雄自身は、とりたてて不合理な行為をしているわけではない。彼は彼の生業を続けてゆくために、彼ならではのスタイルを確立させただけだ。ただその際に、少なくとも俺は柳●理●雄の狙う市場にはいなかった……というだけの話ではある。

 そういった事情を踏まえると、恥辱を武器とする少女のお話に関して、
「どうやら物理的な記述が変だ言われているらしいけれど、ウチは面白さが命だ。気にすることはない。むしろこれからは正確さを掘り下げるよりも、面白さを掘り下げていこう」
という戦略が近い将来に採用されるのではないか、という懸念をどうしてもぬぐえなかった。
 むろん相手は、
「これで食っていきたいッ! これぞまさに千載一遇のチャンスなんだッ!」
という覚悟をもって今の場所に立っている。なので相手がより多くの利鞘が見込める戦略を採用することは、間違いなく合理的な戦略だ。同時に、その戦略に則ってウィ●ペ●ィアやヤフー●●袋といったノーコストの武器を使用することもまた、当然合理的な戦略だといえよう。
 それゆえに、少数派の「以前の作品のほうが好きだった」というコメントよりも、多数派の「以前よりも今の作品のほうが面白い」というコメントのほうが、相手の役に立つだろう。実際それらのコメントは、相手に多くの利鞘をもたらしてくれるだろう。ひょっとしたら新たな市場を開拓する好機になるかもしれない。そしてそれらは間違いなく、相手のクリエイションライフにおける堅固な土台として大きなアドバンテージとなる。

 時として、これまでの相手の試行錯誤と血と汗と涙の中で創られてきた魅力が、現在の戦略とそぐわないこともある。その際にこれまで創られてきた魅力がひとつずつ削られてゆくのを見るにつけて、
「相手にとってもっと大事なものが他にあるのならば、やむをえないことだ」
と感じられる。しかし同時に、
「あの魅力は、ここでしか味わえないものだったけれど、しかたないのかな……」
という寂寥感も抱けてならない。





 「オイラー・ラグランジュの式とF=maはたしかに等価だけれど、今の僕にはオイラー・ラグランジュの式ではなくF=maを適用すべきだ! たしかに今の僕には、その瞬間ごとの最善の行動しか分からない! でも最終的にそれら一連の行動は、僕にとっての最善の経路になるはずだ!」
というお話は、そんじょそこらでそうそうお目にかかれるものではないぞっ。

 応援しています。

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