ドレスをたくし上げて悪を踏み抜け、25章

 なろうにアップロードする前に、出先で確認する的なもの。章タイトルなども決めておかねばなるまい。

 サルトマーレ国への出立の日がやってきた。ランカシーレ女王は普段よりもいっそう豪奢なドレスを選び、女官たちによって着付けられていた。
 ランカシーレ女王が鏡を見ると、朽葉色の艶やかなドレスを纏った自分自身が己を見つめ返していた。

 ランカシーレ女王は生唾を飲み込んだ。
 これからサルトマーレ国へと赴き、舞踏会へと出席し、レイネ川に関する友好的な条約を結び、あわよくばサルトマーレ国の新進気鋭な王との交友を深めなければならない。女王として、それらは為さねばならないことばかりだ。加えて此度の舞踏会は、為してこなかったそれらの事柄を為す、絶好の機会だ。
 女王として。
 ゴットアプフェルフルス国を治める者として。
 暗殺の可能性を認めたうえで。

 そう感じたとき、おのずとランカシーレ女王はゆりかごへと歩を進めていた。ゆりかごでは、毛布につつまれているヴァランセ王女が、くるっとした目でランカシーレ女王を見つめ返していた。
「ヴァランセ……」
 ランカシーレ女王は優しく娘を抱きあげた。
「私はもうじき行かねばなりません。この国のために、そして……あなたのために」
 ランカシーレ女王の沈鬱な声に反し、腕に抱かれたヴァランセ王女は仔リスのように微笑んだ。
「あなたのことは、お父様がよく守ってくださることでしょう」
 ランカシーレ女王はヴァランセ王女をそっと胸に抱きしめた。
「幸運を、祈っております」
 ランカシーレ女王はヴァランセ王女の額に接吻をした。

 ランカシーレ女王が王城の大玄関に行くと、玄関先には六頭立ての大がかりな馬車が停められてあった。護衛の騎兵隊もさることながら、行幸のための歩兵の数もまた一旅団に相当するものだった。
 娘への別れの挨拶は終わった。あとはおおごとが起きないようにしながら隣国へ行って、国王と踊って、条約を結んで、母国に帰るだけだ。そう自分に言い聞かせながら、ランカシーレ女王は身体の震えを抑えようとしていた。
「ラン。ほら、力を抜いて」
 隣にいたパクリコンが、ランカシーレ女王の両肩に手を置いた。
「そんなに肩肘を張っていたら、サルトマーレ国に到着するころにはへとへとになってしまうよ」
「べつに私は肩肘など張ってはおりません!」
 それはランカシーレ女王自身でも驚くほどの金切声だった。しかしパクリコンはランカシーレ女王の頬をそっと撫ぜた。
「そうかい。まあ君がいくら強情を張ろうとも、君のピンヒールは素直だけれどな」
 たしかにさきほどからランカシーレ女王のピンヒールは、石畳の上でカタカタ震えていた。いくらピンヒールを従えることに長けた女王といえども、脚が震えてしまってはどうしようもない。
 パクリコンはふいにそんなランカシーレ女王の腰に手をまわすと、勢いよくランカシーレ女王を抱き寄せて接吻をした。
 それは大勢の軍が見ている前での、女王と王配との接吻だった。
「ラン、楽しんでおいで」
 髪を撫ぜられながら、ランカシーレ女王は小さく頷いた。そして小さく笑みを漏らすと、ランカシーレ女王はパクリコンを強く抱きしめた。
「私の留守をお願いいたしますわ、王配殿下!」
 ランカシーレ女王は背伸びをして、パクリコンの首許にまで腕を回した。
 ランカシーレ女王のピンヒールのつま先は、パクリコンの靴をくりくりと踏みつけていた。

 ランカシーレ女王を乗せた馬車が出発した。石畳の道を進みながら、ランカシーレ女王は流れゆく綿雲を眺めていた。
 あの綿雲たちは、風のままに流されているだけだ。しかしただ流されているだけではない。どんなに風に吹き付けられても、綿雲としての形を保っているのだ。間違っても、風に飛ばされて敵陣の真っただ中に放り込まれるようなことはないはずだ。
 そんな当たり前のことでさえ、今のランカシーレ女王にとっては偉大な技能のように感じられてならなかった。
 馬車は街を出て、あぜ道に差し掛かった。国民はみな畑仕事の手を休めて、ランカシーレ女王に惜しみなく声をかけてくれた。ランカシーレ女王が手を振り返すと、国民は喜んでくれたものだった。
「ねえ、あなた。どうして――」
 気が付けばランカシーレ女王は、誰もいないはずの隣に話しかけていた。
「――いけませんね、このようでは」
 ランカシーレ女王は両頬を軽く叩いた。
 そのときだった。
 馬車の床の一部がカパリと開けられ、黒装束を纏った何者かがランカシーレ女王の前に躍り出た。
「な、……っ!?」
「しーっ!」
 ランカシーレ女王の口を押さえたのは、紛れもなくレビアだった。
「あたしでさえ忍び込めるのですから、あんがい王族用馬車って隙だらけなのかもしれませんね。いやあ、敵に襲われるより前に分かっておいてよかったよかった」
「……ぷはっ! まったく、あなたって人は、んもう!」
 ランカシーレ女王はレビアの二の腕をぺしっと叩いた。レビアはけらけらと笑いながら、ランカシーレ女王の真向かいの席にどっかと座った。
「女王陛下。舞踏会に向かう女王がうつろな目で空を見上げているようでは、兵の士気が下がってしまいます。もっとわくわくできるような楽しいことを考えましょうよ」
「そうはおっしゃいますけれど……。よその国の真っただ中で暗殺に遭うことなく、やり手の国王と条約を締結するのです。それらは、あなたが思っている以上に難しいものでございますよ?」
「やるべきことが全部分かっているのに、どうして難しいんですか?」
 レビアはあっけらかんとランカシーレ女王を見つめ返した。
「やることが分からない、何ができるかも分からない。相手が誰なのかも分からない。そんな状況ならあたしは同情します。でも女王陛下がやろうとしていることなんて、最初から最後まで答えが決まっていることばかりじゃないですか。そんなことならむしろ、楽しんでやってしまえばいいじゃないですか」
「ですが……もし途中で私が暗殺者に襲われたら?」
「あたしが守ります」
 レビアは屈託のない声で答えた。
「もし条約を締結するのに失敗したら?」
「また別の機会に条約を結びに行けばいいじゃないですか」
「もしサルトマーレ国王が理路整然と私を言い負かしてしまい、条約締結の余地が無くなったら?」
「『舞踏会に招待しておいてあんまりだ! ばかーーーーーーーっ!』とでも言ってやればいいじゃないですか」
「そんなこと言えるわけないでしょうに!」
 おもむろに取り出した硬貨を真上に弾くレビアに、ランカシーレ女王は声を荒げた。しかしレビアは硬貨を弾くのをやめなかった。
「即位したての二十歳の王に言い負かされるような女王には、お似合いの台詞だと思いますよ」
 ランカシーレ女王はむーっと唸ってうつむくより他なかった。その姿を見たレビアは「ほぅ……」とつぶやき、硬貨をぱしっと握りしめた。
 レビアはふいに、ランカシーレ女王の王冠をひょいと取り上げた。
「か、返しなさい!」
 パニエがたわむのも構わず、ランカシーレ女王はレビアに手を伸ばした。しかしレビアは弾んだ声で答えた。
「やだよ、ランカシーレちゃん」

 それは、十一歳のランカシーレ王女にあてがわれた侍女レビアの口癖だった。

「これからランカシーレちゃんはお隣の国まで旅行して、かっこいい男の人と踊って、約束をして帰るんだよね? いいなぁ、あたしもそういうことを一度やってみたいなぁ。でもランカシーレちゃんには怖くって怖くってしかたがないことなんだよね? だったらいっそのこと、逃げちゃえばいいんだよ。あたしと一緒にどこか遠くに逃げちゃったら、きっと代わりに誰かがやってくれるよ」

 幼かったころの思い出とともに、ランカシーレ女王はレビアの言葉を反芻していた。
 王位継承権第一位のランカシーレ王女が誰かに襲われたりすれば、とうぜん侍女であるレビアは死をもって償わねばならない。そんなレビアが「いっそ二人で逃げてしまえばいい」とランカシーレ王女に主張することは、ことさら不自然ではなかった。しかしランカシーレ王女は、口角泡を飛ばしてレビアに反駁したものだった。「私の身体の傷一つであなたの人生が変わるのと同じように、私の振る舞い一つでこの国の未来も変わるのです。あなたには気の毒だとは思いますが、逃げるだなんてもってのほかです」と。

 ランカシーレ女王はふっと口許を緩めた。
 レビアはランカシーレ女王に王冠を寄こした。しかしそれでもランカシーレ女王は王冠を眺めながらくすくす笑っていた。
「女王陛下?」
 レビアが怪訝な顔で尋ねると、ランカシーレ女王は王冠を膝の上に置いてレビアに問うた。
「せっかくの舞踏会ですもの。普段を忘れて楽しまなければ損です」
 ランカシーレ女王は両脚を伸ばして、レビアのふくらはぎをぱしっと挟んだ。
「出発の間際に、主人は『楽しんでおいで』と仰ってくださいました。良い妻は、主人の言葉に反さないものでございます」
「なんだ、分かってるんじゃん!」
「当然ですとも」
 ランカシーレ女王はその流れるような金髪を手で払った。
「今や、サルトマーレ国王と楽しく踊って、素敵な夜を過ごして、あわよくば手駒にしてやろうかというときでございます。なのに私がしめっぽい雰囲気でいては、釣れる魚も釣れたものではございません」
「そうだよ、そのとおりだよ!」
 レビアの合いの手に、ランカシーレ女王は気を良くしてつづけた。
「そもそも即位したての二十歳の国王など、周囲の女性から持て囃される宿命にあるものです。となればとうぜん王妃の座を狙って、周囲の女性は醜い争いと露骨な媚びに溺れてゆくものでございます。でしたら話は簡単です。周囲の甘ったるい女性からちやほやされ続けてきた若い国王に、ピンヒールの味を覚えさせればよいのですから。たっぷりとピンヒールで蹂躙し、踏まれることの快楽をその身に刻み込んでやれば、あっという間に私無くしては生きられぬ身体になってしまうことでしょう。そうなれば一切合切をうち捨ててでも、サルトマーレ国王はたやすく私の前に跪くことでしょう。頭蓋のてっぺんから足の先まで、ピンヒールの刻印を打ちつけてやらねばなりません。ひとたびピンヒールの快楽に溺れてしまえば、二度と他の女性になど興味を示さなくなるでしょう。そうなれば私の手駒どころか、私の敷物にすら喜んでなりたがるというものです。あとはひたすらピンヒールで踏んで踏んで踏みつけてやりさえすれば、サルトマーレの国王は未来永劫私の下僕として幸福な人生を送ることができるでしょう。踏みつけられる快楽に溺れきった国王なら、私に踏まれる権利と引き換えに統治権の一つや二つなど容易く寄越してくることでしょうに」
 ランカシーレ女王はふんと鼻を鳴らして、ピンヒールの踵で馬車の床をカツンと打ちつけた。
「ランカシーレちゃん。きっとランカシーレちゃんは、素敵な女王様になれるよ」
「あら、当然でしょうに」
 レビアの賛辞を受けて、ランカシーレ女王は脚を組んで肩をすくめた。
 しかしレビアが続けた言葉は残酷だった。
「でも一人を除くすべての男性は、ピンヒールで踏まれたら『痛い』って感じるだけだと思うよ」

 馬車内の空気が止まった。
 馬車の車輪が小石を跳ね飛ばす音だけが、断続的に聞こえていた。

 ランカシーレ女王はそっと脚を元に戻し、席に座り直し、ドレスの裾を正し、王冠をかぶり、咳払いをした。
「レビア」
 ランカシーレ女王はすぅっと息を吸い込んで、思い切り告げた。
「ばかーーーーーーーっ!」



 こうしてランカシーレ女王は、また一つ真実を知ったのであった。

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Author:パクリコン
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