ドレスをたくし上げて悪を踏み抜け、26章

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 ランカシーレ女王を乗せた六頭立ての馬車が、ついにサルトマーレ国の城門に到着した。
「いよいよでございます……気を引き締めねば!」
 ランカシーレ女王は大きく息を吸って、両手を強く握りしめた。左手の薬指にはめられている指輪が、握り拳に勇気を与えてくれるような気がした。
 馬車の中にはすでにレビアの姿は無く(ひょいと馬車床の板を取り外してすでにどこかへ行ってしまったからだ)、ランカシーレ女王はじっくりと此度の段取りを確認していた。
「いくら『ダンスの手ほどきを受けたい』などと建前を並べようとも、結局のところギギュロ王は私と無用な対立を避けたいはずです。なにしろ今やギギュロ王はフィアーインスル諸島を制圧しようかという時なのですから、我がゴットアプフェルフルス国に邪魔などされたくないはずです」
 ランカシーレ女王は己の認識に対し、小さく首肯した。
「つまりこの舞踏会を機に、ギギュロ王は私になんらかの和平条約を持ちかけてくるはず…………」
 突発的な動悸が生じ、言葉が途切れた。
 ランカシーレ女王の脳裏に、今から二年前の事件が想起されたからだ。

 広大な帝国を治める名高いブラビラオ皇帝は、小国の君主であるランカシーレ女王と婚姻を結ぶためにゴットアプフェルフルス国にやってきた。しかし実際のところ、ブラビラオ皇帝は暴虐の限りをつくしてランカシーレ女王を攫い去り、ゴットアプフェルフルス国を丸ごと乗っ取ろうとしたのだ。
 たしかにブラビラオ皇帝は齢四十に差し掛かろうとしている皇帝だった。しかしそれでも力に物を言わせて、ランカシーレ女王を我が物にしようとした。とりわけ、強姦に至った際のブラビラオ皇帝の腕力には、まったく衰えが感じられなかった。
 ではギギュロ王はどうなのか。
 二十歳といえば最も血気盛んな年頃であり、己の願望を何が何でも叶えたくなる衝動に駆られる頃合いではなかろうか。
 そもそもフィアーインスル諸島を制圧してやろうと目論む王に対し、「国の未来について話し合うときは穏やかにお願いします」という当たり前の持ちかけは成立しうるのだろうか。
 しかも今やランカシーレ女王は、すでにサルトマーレ国の王城内に来てしまっているのだ。ドレスで着飾っただけの女を二十歳の青年が腕力でねじ伏せることなど、ケーキの欠片を食べるがごとく容易く行われうることだ。

「ああ、んもうっ!」
 ランカシーレ女王は両手で頬をぱしっと叩いた。
「いくら考えたところで机上の空論にすぎません! 出たとこ勝負です! 相手がどうであろうとも、私は私の女王としての務めを果たすまででございます!」

――その直後にランカシーレ女王が隣に向かって「ねぇ、あなた」と話しかけ、自己嫌悪のドツボにはまってしまったことは言うまでもない。





 領土の広さでいえば、サルトマーレ国はゴットアプフェルフルス国の1.5倍程度であった。しかしサルトマーレ国の王城は、どう低く見積もっても、ゴットアプフェルフルス国の王城よりも10倍は広かった。
 門をくぐって最初に見えた立派な建物こそが王の居城だろうと思っていたところ、その奥から巨大な建物が姿を現し、さらにその巨大な建物ですら厩舎管理用の建物にすぎなかった……という思いを、半刻もしないうちにランカシーレ女王は5回は経験してしまっていた。
 やっとたどり着いたところは、白煉瓦で作られた豪奢な城だった。その前には大勢の兵士が整列しており、ぴかぴかの楽器を手にした鼓笛隊がランカシーレ女王の到着を今か今かと待ち構えているようだった。
 ランカシーレ女王は馬車から降り、赤い絨毯の上にピンヒールで立った。盛大なファンファーレが鳴り響き、兵士たちを従えていた若い男がランカシーレ女王のもとへと歩み寄ってきた。
 その若い男は背が高く、きっちりと整えられた茶色い髪は太陽のもとで駿馬のたてがみのように輝いており、しっかりと見開かれた茶色い瞳はランカシーレ女王を捉えて放さなかった。多くの勲章を付けた礼服に身を包んでいたその若い男は、恭しくランカシーレ女王の手に接吻した。
「ランカシーレ女王、お会いできて光栄です。ギギュロと申します」
 重低音で奏でられた自己紹介によって、ランカシーレ女王は気を取り戻した。
「え、ええ、お会いできて光栄ですわ、ギギュロ王」
「ランカシーレ女王にそうおっしゃっていただけるとは、光栄の極みです。貴女のような麗しいかたにお越しになっていただけると、ますます我が国も鼻が高いというものです。それにこうしてお会いすれば、やはり勇気をもって貴女をお招きして正解だったと誰もが思うことでしょう」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の手を握りしめたまま、流れるようにランカシーレ女王に今日の歓びを熱っぽく告げつづけた。しかしランカシーレ女王とて、たじろぐわけにはいかなかった。
「え、ええ。こちらこそ、お招きいただき嬉しゅうございます。しかし旅の疲れなどがございますし、少し休みとうございます」
「そうおっしゃると思っておりました、ランカシーレ女王」
 ギギュロ王は言葉をとぎらせることなく、ランカシーレ女王に目の前の白亜の城を紹介した。
「こちらは、ランカシーレ女王のために作らせた城です。どうぞ、お好きなようにお使いください」
「えっ……?」
「小さい城ではありますが、なにとぞご容赦ください」
 小さいとかそういう部分に戸惑ってしまったわけではないのだが、互いの要人や兵が見ている前で器が小さいことを口にするわけにもいかなかった。
「た、たいへんなお心遣いに、感謝いたしますわ」
「では、さっそくご案内を」
 ギギュロ王はそう言って、ランカシーレ女王に右腕を差し出した。
 ランカシーレ女王は為されるがままに、その右腕に己の手を絡ませた。

 ランカシーレ女王は焦った。
 このままでは相手の思う壺だ。
 この調子では、相手の言われるがままにあれをし、これをし、それをし、挙句の果てには何もかも相手の思い通りのままに振る舞わせらてしまう恐れがある。女王としてそれだけは避けねばなるまい。
 しかし現実はどうだ。
 相手はああも熱弁で、二手も三手も先を読み、おまけに見た目も良く、勢いのままに口説いてきそうな気配すら感じられるではないか。
 相手を丸め込もうとしてやってきたのに逆に丸め込まれるなど、あってはならない話だ。
 それなのに、なんという体たらくだ。
 もし今ランカシーレ女王が己自身にひとつだけ言葉を投げかけることができるとするならば、間違いなく「ばかーーーーーーっ!」を選んだことだろうに。

 ランカシーレ女王の呼吸は乱れ、脚に力が入らなくなっていった。ギギュロ王に絡ませている手が何度か震えたかもしれない。

 だめだ、だめだ。相手に動揺を悟られてはいけない。
 この程度で陥落する女王ではないのだ。
 私をそんな安い女だと思うな。
 ちょっとやそっと城を作ってもらった程度で、何もかも言いなりになると思うな。
 予算が大変だったことは察するが、それはそれでそちらの責任だろう。
 私が何か特別なお返しをせねばならない義理など無い。
 むろんここまで準備をしてもらって嫌な気分はしないし、いつもの誰かさんと違って丁寧で手厚いもてなしについうっかり心が和んでしまったかもしれないが、きっとそれは旅の疲れによる気のせいに違いない。

 そう思ったときのこと。ランカシーレ女王はドレスの裾を引っ張られたかのような気がして、ギギュロ王の顔を見やった。
 ギギュロ王は、さきほどまでの余裕はどこへやら、ほてった表情で何度も小さく息を吐いていた。荒い息を鎮めようとしているのだろうか、ギギュロ王はランカシーレ女王のドレスの裾を踏んでしまったことにも気づいていないようだった。
「あの……ギギュロ王?」
「は、はいっ!?」
 ギギュロ王は飛び跳ねた。幸い城の玄関を入ってしまったところだったので、外部の兵には見られなかったことだろう。つまりその姿は、ランカシーレ女王しか知りえないギギュロ王の狼狽の様にほかならなかった。
 頬を紅潮させてごくりと唾を飲むギギュロ王の姿は、まさに二十歳の青年そのものだった。
 そういうことか、とランカシーレ女王は合点がいった。
「気を楽になさい」
 ランカシーレ女王は、ギギュロ王の右腕を胸に抱きしめた。柔らかい乳房がその腕を包んだ。
「大変素晴らしい歓迎でございました。ほら、肩の力をお抜きになって。私は構いませんし、誰も見ていないでしょう? ねっ?」
 ランカシーレ女王は少し大げさに微笑んだ。するとギギュロ王は安堵のため息をついた。
「ありがとうございます……ランカシーレ女王。なにしろ、他国の君主を招き入れることなど初めてでして……。おまけに、貴女があまりにもお綺麗な方でしたので、緊張してしまっていて……」
「あらあら」
 ランカシーレ女王が驚くのも気にかけず、ギギュロ王は再び深く息を吐いた。
「はぁー……、でも、舞踏会に招いてほんとうに良かった……」
 ギギュロ王の口許が少し緩んだのを、ランカシーレ女王は見逃さなかった。そして先ほどまでの若き王としての仮面を被っていたギギュロ王の言葉を思い出した。
「ギギュロ王。あなたはさきほど『勇気をもって貴女をお招きした』と仰っていらっしゃいましたが、もしかしてあれは謙遜でもなんでもなく、ほんとうに渾身の勇気をもって私を招いてくださったのですか?」
 うつむくギギュロ王の顔をランカシーレ女王は覗き込もうとしたが、紅潮した頬しか見えなかった。すると間もなく、重低音とはとても言いがたい声が返ってきた。
「だ、だって……貴女を舞踏会に誘って断られてしまったら、……は、恥ずかしいではないですか……!」




 ランカシーレ女王は、ランカシーレ女王専用の城(ランカシーレ城と呼ばれているらしい)の最高級の一室にあるベッドの前に立った。
 部屋に誰もいないことを入念に確認し、ランカシーレ女王は真正面からベッドに身を投じた。
「か、可愛すぎる……! あれが二十歳の魅力というものなのでしょうか……!」
 ランカシーレ女王は枕に顔をうずめながら脚をばたばたさせ、ドレスの裾を何度も宙に舞わせた。
 すると何かがランカシーレ女王の臀部をつーっと這った。
「ひゃあっ!?」
 ランカシーレ女王が身をよじると、ベッドの後方にはあきれ果てた表情のレビアが黒装束姿のまま立っていた。
「この城の中をあらかた調べてみましたが、まあまあの作りだと分かりました。これなら攻め入られても充分私一人で女王陛下を守れるでしょう」
「そ、そう……」
 ランカシーレ女王は荒い息を鎮めようとしていた。しかしレビアの言葉は残酷だった。
「もっとも、女王陛下がギギュロ王に魅せられてしまったというのであれば、あたしはパクリコンとかいう悲しい男やもめを相手にせねばならなくなりますが」
「違います! 違いますってば! まったくもう!」
 ランカシーレ女王はドレスの裾を押さえながら上体を起こし、ベッドに腰かけなおした。
「あれは、その……王として振る舞おうとするもどうしても初々しい様を隠せずにいるギギュロ王に、少しばかり共感の念を覚えただけでございます!」
「まあ確かに、女王陛下が王配殿下を愛している以上、『二十歳の魅力』なんてものには何の価値も無いはずですし」
「あなたはどこからお聞きになっていたの!? まったくもう!」
「どこからって……全部ですが」
「全部だなんて!」
「女王陛下が小さな声で『あの……ギギュロ王?』と尋ねていたところからです」
「そこから!?」
 ランカシーレ女王は血の気が引くのを感じた。
「はぁ……もうよいです。あなたに何かを秘密にできるだなどとは思えませんもの」
「それは光栄なお話で」
 レビアは相変わらず屈託のない言葉でのみ応酬していた。
「……それでは、レビア。改めて尋ねますが、リウヴィユ男爵は結局のところ、ギギュロ王とつながっていたのです? この行幸にリウヴィユ男爵を連れてきている以上、なんらかの動きがあったのではございませんか?」
「関わりがあったのは事実です」
 レビアは真面目くさった表情でランカシーレ女王に迫り、両肩に手を置いた。
「リウヴィユは法科大学を出てすぐの頃、短期間ではありますが、サルトマーレ国で司法書士として働いていました。その後すぐに父親が亡くなったので、リウヴィユは爵位を継ぐためにゴットアプフェルフルス国に戻ってはきました。肝心な点は、その司法事務が当時のギギュロ王太子と何度も仕事のやり取りをしていたというところですね」
「そうでしたか……」
 ランカシーレ女王は軽く唸った。
「しかしそれだけでは、単にかつてのお得意さんだったというだけの話にしかならないのではございません?」
「そこです」
 レビアは腰をかがめて、さらにランカシーレ女王に顔を近づけた。
「リウヴィユはよく、当時のギギュロ王太子の話をしてくれました。礼儀正しく勤勉で実直ではあるものの、何事においてもぱっとした成果を上げられず、おまけに豪胆さと決断力に欠けており、とうてい王位が務まるとは思えなかった……ということも」
「ええ」
 ランカシーレには、少年時代のギギュロ王太子の姿が先ほどのギギュロ王の姿と重なって思えた。今やギギュロ王といえば新進気鋭でやり手の若い王として広く知られているが、必ずしも噂どおりの人物像がギギュロ王に当てはまるとは限らない。
 ランカシーレ女王に促され、レビアは続けた。
「そのためか、サルトマーレ国からのリウヴィユの去り際は、とてもあっさりしたものだったそうです。なにしろギギュロ王太子にはきちんと別れを告げず、手紙をひとつ残してたった一日でみずからの男爵領に引き上げてしまったのですから」
「ええ……」
 リウヴィユらしいといえばリウヴィユらしい、とランカシーレ女王は感じた。かつてのリウヴィユなら、実力の無い者を切り捨てて自分の領地に戻ることなど、何のためらいも無くやってしまえるだろう。
「レビア。あなたの言い分だと、リウヴィユ男爵は潔白の身であるという考えがうかがえます。そこでお訊きしたいのですが、リウヴィユが男爵領に戻って以来、リウヴィユ男爵が出かけた先とその日付は分かりますか? とりわけ、ノルトティロール領について私は知りたいのですが……」
「リウヴィユは一度だけ、ノルトティロール領に向かったことがあります。あれはほぼ1年前のことです」
 ベッドに腰かけるランカシーレ女王の膝の上に、レビアはまたがった。
「何かに駆られるかのように飛び出していくのが見えた……と証言してくれた人は多からずいました。男爵領での普段のリウヴィユはとても穏やかで人当たりがよかったので、ああも慌てて飛び出すということはよほどの大事が差し迫っていたのではなかろうか……という印象を受けた人が大半でした」
「そして、その件に関してリウヴィユはどのように言及していました?」
 ランカシーレ女王はレビアにそっと顔を近づけた。
 しかしレビアは長い睫毛を伏せ、小さく首を横に振った。
「頑なに何も言おうとしませんでした。『たまには夜に馬を走らせたくなることもある』とか『気の迷いは風で振り払うのが一番だ』とか、とにかく柄にもないことばかり言うので、話がまったく通じなくなってしまうんです。……もう少しうまくおだてれば聞きだせたかもしれませんが、少しでもその話に触れるたびにリウヴィユが取り乱してしまうので、あたしではもう……」
 ランカシーレ女王の膝の上で、レビアはうなだれた。
「ありがとうございます、レビア。よくやってくださいました」
 ランカシーレ女王はレビアをぎゅっと抱きしめた。
「あなたのご活躍によって、私は何よりも心強い味方を得た心地でございます」
「うん……」
 レビアはランカシーレ女王の胸の中で、小さくうなずいた。
「レビア、あなたがどれほど私のために動いてくださかったか、よく存じ上げております。あなたより優秀な方など、ゴッドアプフェルフルスには他におりますまい」
「うー……」
 レビアのうめき声からは、自責の念を感じとれた。
「レビア、あなたはとても素晴らしい方です。なにしろリウヴィユという堅固な城を恋情をもって打ち砕き、ああもたくさんの貴重なお話を聞き出してくださったのですから。あなたにとっては不本意なことだったかもしれませんが、あなたはリウヴィユとよくやってくださいました」
 ランカシーレはレビアの髪を何度も撫ぜた。しかしレビアの返答は素っ頓狂なものだった。
「……はい?」
「いえ、ですから、あなたはリウヴィユと……」
「だからそれがなんで不本意なんですか?」
 ランカシーレ女王はレビアを身体から離した。
「なんで、って……あなたはリウヴィユから話を聞き出すために、リウヴィユに近づいてくださったのでしょう?」
「それは事実ですけど、それだけが全てじゃありませんよ」
 レビアはランカシーレ女王に、ふふんと笑ってみせた。
「だって女王陛下、あたしは目的のためなら手段を選びません。女王陛下の命令にかこつけて、親密になりたい相手にいくらでも近づきます」
「レビア……!」
 ランカシーレ女王が口許を緩ませるとのほぼ同時に、レビアはにんまりと笑って付け足した。
「だって女王陛下が露骨にリウヴィユをけなしてくれるんですよ? あんなに落としやすい男なんてそんじょそこらにはいませんって。まさに赤子の手をひねるようでしたよ。あっははははは」
 そうか、それなら納得だ。ランカシーレ女王は安心した。
 公務室でランカシーレ女王がリウヴィユを露骨にけなさなければならなかったのも、レビアがリウヴィユとの距離を縮めるためのものだったのだ。
 公務室でやたらレビアがリウヴィユとべたべたしていたのも、レビアがリウヴィユと親密になるためのものだったのだ。
 レビアが陰ながら「女王陛下が性格悪いだけの女なら、見捨てればいい」と言ったのも、レビアがリウヴィユと懇意になるためのものだったのだ。
 ランカシーレ女王がリウヴィユへの接し方についてパクリコンに責められなければならなかったのも、レビアがリウヴィユを我が物にするためのものだったのだ。
 なるほどなるほど。そういうことなら――。

「納得できますか、ばかーーーーーーっ!」




 その四半刻後、ランカシーレ女王の部屋に集められた側近たちの中で、ひとりだけ頬がやたら腫れていた黒髪の女性の姿があったことは言うまでもない。

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