ドレスをたくし上げて悪を踏み抜け、28章

 投稿したぞ!

 ランカシーレ女王は頭を抱えていた。次第にか細くなりゆく「どうか、お許しを……」というギギュロ王の言葉に、どう返していいか分からなかったからだ。
 むろんランカシーレ女王は、ギギュロ王のことを完全に気の毒だと感じていた。何しろギギュロ王はさきほどの「事件」の可能性を、あらかじめ伝えようとしてくれていたのだ。まさに善意の人である。むしろ責められるべきは、調子に乗ってギギュロ王にあれやこれやと要らぬことをしていたランカシーレ女王のほうではなかろうか。
 ランカシーレ女王は、選びに選んだ言葉でギギュロ王を慰めようとした。
「お気になさらないで、ギギュロ王。あなたを責めようだなどと、私はまったく思っておりませんもの」
「し、しかし……」
 効果は見てのとおりである。なぜなら男性が高貴な女性にいかがわしい行為をしたというだけで、男性の社会的信用は回復不可能なレベルにまで下落してしまうからだ。しかも相手が一国の女王となると、世間に隠し通すのは困難を極めるだろう。
 むろんランカシーレ女王が口外さえしなければ、ギギュロ王の信用は損なわれないだろう。しかし一国の女王が口外しない保証など、どこにも存在しない。まさにギギュロ王の命運は、完全にランカシーレ女王によって掌握されてしまっているといえよう。
 目の前の哀れな王が追い詰められないように、ランカシーレ女王は穏やかな言葉を選び続けた。もちろん当然のことながら、今やゴットアプフェルフルス国にとって非常に好ましい事態である。今のギギュロ王なら、ランカシーレ女王のどんな提案でも容易く吞むはずだ。国の利を思えば、ランカシーレ女王はいくらでもギギュロ王を追い詰めることができたはずだ。しかしランカシーレ女王は、あくまで慈しみの微笑を絶やそうとしなかった。
「ギギュロ王、どうかご心配なさらないでくださいませ。誰にでも事故はあるものです。わざわざ他人に告げるまでのものではないでしょうに」
「し、しかし……」
 ランカシーレ女王は呆れたようにくすっと笑った。
「強情な方でいらっしゃいますこと。しかし、どうしてもとおっしゃるのであれば、わたくしに妙案がございます」
 ランカシーレ女王は窓の外を見やった。
「城内の運河は、たいそう立派なものでございます。加えて大陸の一級河川であるレイネ川の水を引いているのですから、まさに外洋と城内が一続きになっているようなものでしょう」
「は、はい……。ですから、その……」
 ランカシーレ女王はギギュロ王にふっと微笑みかけた。
「しかしレイネ川は、あなただけのものではございません。内陸に住む私もまた、レイネ川を用いて外洋諸国との交易を図りたいとかねがね思っております」
 ランカシーレ女王の両の掌が、そっとギギュロ王の右手を包んだ。。
「そこでいかがでしょう、私にもレイネ川の流域の半分を使わせていただけませんか? 決してお邪魔はいたしませんし、あなたとの交易も非常に簡便なものとなるでしょう」
「そ、それは……」
 ギギュロ王にはあと一押しが必要だろう。ランカシーレ女王は目を細めて、ギギュロ王の掌をぎゅっと握りしめた。
 寄せ上げられた胸と上目遣いが、とうとうギギュロ王の口を開かせた。
「……分かりました、ランカシーレ女王。レイネ川ひとつで貴女のお悩みが解決されるのであれば、安いものです。どうか、これまで貴女にレイネ川を使わせずにいた私を、お許しください」
 ギギュロ王は深々と頭を下げ、ランカシーレ女王の手に接吻をした。ランカシーレ女王は、
「もちろんですとも」
と声がうわずらないように告げた。

 これでレイネ川に関しては一件落着だろう。その上つつがなく両国の関係が維持されるのであれば、上々だ。
 もしあのとき不慮の事故が起きなければ、ここまでうまく事を運べなかっただろうに。まさに人間万事塞翁が馬である。

 ランカシーレ女王との約束が成立したことで安心したのか、ギギュロ王はようやくランカシーレ女王の隣へと身体を寄せた。
「貴女はやはりお優しく、寛大な女性だ。貴女のためなら、私は一肌も二肌も脱ぐべきでしょう」
 再び燃えるような眼差しを投げかけられたランカシーレ女王は、さほど悪い気はしなかった。
「ええ、分かっていただければ幸いです。できれば今日中に、取り決めをまとめてまいりましょう」
「ありがとうございます、ランカシーレ女王」
 寛容な淑女と真摯な紳士。包容力と実直さ。それら二つが隣り合えば、非常に美しい取り合わせに見えよう。
 ――ほんとうに有り余る実直さを受け入れられる包容力があれば、の話だが。

「ではランカシーレ女王。今後は我が国を挙げて、ゴットアプフェルフルス国の交易をすべて請け負いましょう。貴女は指一本動かず必要などありません。ランカシーレ女王、どうか交易手段ごときに胸を煩わせることなく、心置きなく内政にお励みください」
「えっ……!?」

 寛容な淑女は、まさにその包容力を試されていた。
 人間万事、塞翁が馬である。





「お、お待ちなさい! 私はただ、レイネ川の一部を使わせていただくだけでよろしいのです! なのにあなたが全てを請け負う必要なんて、どこにもございませんでしょうに!」
「必要ならありますとも、ランカシーレ女王。ランカシーレ女王の安全を思えばこそ、我が国を他国の船に素通りさせるわけにはいきません」
「どうしてです!? 私の国の船でしたら、一向に構わないでしょうに!」
 知らず知らずのうちに、ランカシーレ女王はギギュロ王の腕に縋っていた。するとギギュロ王はランカシーレ女王の腕を抱き寄せた。
「ゴットアプフェルフルス国の船と見せかけて、よからぬ者どもが侵入する恐れがあります。そのよからぬ者どもは、我が国のみならず、ゴットアプフェルフルス国にとって大きな脅威になるでしょう」
「し、しかし……!」
 ランカシーレ女王は必死に言葉を探した。ギギュロ王の腕に縋る手にも、力が込められた。
「ゴットアプフェルフルス国にも、外海を巡洋し我が国を守るための艦艇がございます! レイネ川流域をゴットアプフェルフルス国の艦艇が自由に行き来できるようになれば、そのような問題など私自身の手で解決できるでしょうに!」
「その必要すらないのですよ、ランカシーレ女王」
 ギギュロ王は、ランカシーレ女王の肩を力強く抱きしめた。
「我が国がゴットアプフェルフルス国をお守りいたします。私の力でランカシーレ女王を守ってみせましょう」
「ですが……!」
 さながらランカシーレ女王は、蛇に睨まれた蛙のようであった。喉はからからに乾き、舌はうまく回らなかった。
 とぐろで蛙を締め付けながら、蛇は問うた。
「何でしょう、ランカシーレ女王? 私は貴女のために、今日のこの日までずっと軍の拡充を図ってきたのですから。無理な話だとはとうてい思えません。……てっきり貴女は我が軍の拡充について既にご存知だと思っておりましたが」
 ご存知も何も、その事実を知ったからこそ先手を打つべく、ランカシーレ女王はこうしてサルトマーレ国までやってきているのだ。しかし思いもよらぬところでその事実が裏目に出てしまったことは、ランカシーレ女王にとって大きな誤算だった。

 ランカシーレ女王はギギュロ王に気圧されまいと、必死に次の言葉を選び抜こうとしていた。
 どう問えばいい。何を尋ねればいい。どうすればこの過剰なまでの保護から抜け出せられる。
 必ず糸口はあるはずだ。

「ではお尋ねいたします」
 ランカシーレ女王は腹をくくって、ギギュロ王の身体を無理やり引き離した。
「あなたは軍にたいそうな自信をお持ちですが、急こしらえの軍で果たしてほんとうに二つの国を守ることができるのでしょうか。軍を拡充してきたとはいえ、それはここ数年の話にすぎません。それに、私に対して『守る』とおっしゃるのはたいへん結構でございますが、ほんとうに我が国を守りきることができるのでしょうか? あなたの手落ちで我が国が敵国に攻め入られることなど、我が国民にとっては何が何でも避けねばならないことでございます」
「……たいへんごもっともです」
 ギギュロ王はランカシーレ女王に近づこうとはしなかった。しかしその声には、諦めの情がまったく感じられなかった。
「でしたらお見せいたしましょう。我が軍が誇る、最強の兵器を」
 ギギュロ王は馬車の小窓を開けて、馭者に二言三言告げた。すると馬車は向きを変え、王城の中心から次第に離れはじめた。
「ランカシーレ女王。百聞は一見に如かず、です。貴女の信用を勝ち取るために、我が軍の最強の兵器をお見せいたしましょう」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の手を取った。
「あれをお見せするのは貴女が初めてですよ、ランカシーレ女王」
 ランカシーレ女王の手の甲に、接吻が施された。

 気が付けば、ランカシーレ女王は馬車の端へと追いつめられていた。ギギュロ王の目つきや語調、姿勢に至るまで、何もかもが一人の女性を狩る獣のそれに見えた。

 馬車の窓には、堅固な白煉瓦の塀が見えてきた。その塀の向こうには、高い塔をいくつも備えた荘厳な聖堂が待ち構えていた。
「ギギュロ王……あちらはたしか……」
「そうですとも、ランカシーレ女王」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の耳に顔を近づけた。
「我が国に守護を託してくださる、レプトコッカス教の大教堂です」

 ランカシーレ女王の頬を、一粒の汗が伝った。

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