ドレスをたくし上げて悪を踏み抜け、32章まで

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 レプトコッカス教会は、大陸の民にとって心の拠り所だった。「日々の安寧が得られるのは、レプトコッカス教皇のおかげだ」と広く信じられてきたからだ。
 王族もまた例外ではなかった。戴冠式と結婚式に際して、大陸の全ての王は必ずレプトコッカス教皇に立ち合いを依頼していた。実際ランカシーレ女王もほんの2年前に、レプトコッカス教皇の前で誓いの言葉を口にしたものだった。
「ランカシーレ女王。教会の敷地内は、聖職者と王族のみ入ることが許されています」
 ランカシーレ女王を馬車から降ろしながら、ギギュロ王はゴットアプフェルフルス国警備兵を見渡した。
「兵ですら入れない場所に兵器があるだなど、面白いお話でございますこと」
 風ではためかないようにドレスの裾を押さえつつ、ランカシーレ女王は毅然と告げた。しかしギギュロ王は、なおも情熱的な一瞥をランカシーレ女王に与えた。
「たやすく兵が訪れるような場所に、最強の兵器をおいそれと置いておけません。それに――兵を用いずとも国を守ることができるからこそ、最強の武器と呼べるものなのですから」
 勢いのある風がドレスに襲い掛かった。ガウンの裾が大きく宙を舞った。
 ランカシーレ女王はドレスから手を放し、深呼吸をした。

 たしかに、ギギュロ王が都合のいい出まかせを口にしている可能性は否定できない。なにしろこうして言いくるめてしまえば、たやすくランカシーレ女王から警備兵を引き離すことができるのだから。
 しかしギギュロ王の目的がどうであれ、ここから先はレプトコッカス教会の土地だ。教皇に君主としての振る舞いを誓ったギギュロ王が、そう容易く不埒な行為に及べるだろうか。ましてや、演技が長続きしないギギュロ王に、大それた芝居など打てるはずがあるまい。
 だったらいっそのこと、ギギュロ王の持つ最強の兵器とやらを品定めしてやろうではないか。たとえ芝居であっても構わない。いずれにせよ、ランカシーレ女王にとって不都合など無いのだから。

 ランカシーレ女王はガウンごとドレスの裾をつまみ、くるりと警備兵に向き直った。
「皆さま。私は、教会内にあるという恐るべき兵器を拝見しにまいります」
 ドレスの裾がふわりと落ち着いた。
「どうかこの場にて、私の帰りをお待ちくださいませ」
「女王陛下! お独りでは危険すぎます!」
 警備兵長が声を荒げた。しかしランカシーレ女王は右手で制した。
「教会のどこが危険だというのでしょう。仮にも教皇に戴冠していただいた私が、どのような危険な目に遭うというのでしょうか」
 ランカシーレ女王はギギュロ王を見やった。ギギュロ王は軽く咳ばらいをし、警備兵長に告げた。
「教会の敷地内でランカシーレ女王が少しでも危険な目に遭ったならば、間違いなく教皇は私の首を刎ねるでしょう。……君主として、そして神の下僕として、必ずやランカシーレ女王をお守りすることを誓います」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の真正面に跪いた。そしてランカシーレ女王の差し出す右手に、そっと接吻をした。
 教会の門の前で、優雅にはためくドレスを纏う女王と、それに跪く王。
 どんなに勇敢な警備兵であっても、そこに口を差し挟むことなどできやしかった。
「……女王陛下、お気をつけて」
 警備兵長ですら、そう口にするのがやっとのことであった。

 大きな門をくぐると、ぴったりと敷き詰められた石畳の道が続いていた。ランカシーレ女王はギギュロ王の右腕の袖を握りしめ、コツコツとピンヒールの足音を響かせていった。
「このような聖なる場所に最強の兵器があるだなんて」
 ランカシーレ女王はドレスをつまみ、大げさにガウンの裾を石畳に滑らせた。
「もしあなたが私と内密の話をなさりたいのであれば、今すぐにでも話してしまって構いませんのに」
「内密の話は馬車の中で済ませました。あとは貴女にお見せするだけです」
 ガウンをもてあそぶランカシーレ女王の前に、ギギュロ王は立ちはだかった。ランカシーレ女王は思わず顔をしかめたが、ギギュロ王は、
「どうぞ、お入りください」
と大教堂の扉を開けただけであった。
 真っ赤な絨毯が敷き詰められてる聖堂を縦断し、大理石の廊下を横切り、鏡でできた壁の前を進み、ギギュロ王はさらに奥へ奥へとランカシーレ女王をいざなった。
「聖職者の方はいらっしゃらないのでしょうか?」
「私が兵器のもとへ訪れる際には、互いにすれ違うことがないよう取り決めています。教会内とはいえ、私に取り入ろうとする者がいないとも限りませんから」
 ランカシーレ女王は「なるほど」とだけ答えて、ドレスの裾を少したくし上げた。
「となると、さしづめ私はあなたに取り入ろうとする女王といったところでしょうか」
「貴女に取り入られるのであれば本望ですよ、ランカシーレ女王」
 ギギュロ王は真鍮で縁取られた扉を開けた。
 そこは何もない小部屋だった。ただし床は鉄格子でできており、その下ではいくつもの歯車が嚙み合っていた。銅色の壁にはいくつもの鎖が上下に這っており、天井は最上階まで筒抜けていた。
「ここは……?」
「昇降口です、ランカシーレ女王。足許にお気を付けください」
 ギギュロ王は、鉄格子を縦横断するように渡された金属の板を指し示した。ランカシーレ女王はドレスをたくし上げて、慎重に板の上を進んでいった。ためしに鉄格子に一歩踏み出そうとしたが、ピンヒールの踵を格子の上に乗せられなかった。
 ランカシーレ女王はガウンの裾を鉄格子の床に広げた。鉄格子の床に、ランカシーレ女王のドレスの領地ができた。
「では、ランカシーレ女王。いきましょう」
 ギギュロ王は壁にかけられてあるレバーを押し上げた。すると部屋全体がガタリガタリと揺れ始め、鉄格子が大きく震えた。
「きゃあっ!」
「おっと、失礼」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の傍に駆け寄り、その手を握りしめた。
 するとどうだろう、鉄格子の床がぐいっと押し上げられはじめた。ガチャリガチャリと音が響くたびに、遥か上にあったはずの天井が近づいて見えてきた。
 そして鉄格子の床は、ついに最上階にまで到達した。
 そこは、真っ白な煉瓦で作られた展望台だった。王族専用のバルコニーに引けを取らないほどの広さを有し、床の中央には半球の水晶がはめ込まれてあった。部屋の四隅には丈夫な柱が伸びており、大きなひさしの屋根を支えていた。
 ランカシーレ女王は金属の板を渡って、煉瓦造りの手すりから外を見渡した。そこにはサルトマーレの街並みが広がっており、遠くには港、海、島、果ては水平線までも望むことができた。
「まぁ……」
「素晴らしい景色でしょう?」
 思わず手すりから身を乗り出していたランカシーレ女王は、ギギュロ王の手が肩にまわされても気にならなかった。
「こんな素敵な場所をお持ちだなんて、さすがはサルトマーレの国王といったところでしょうか」
「お褒めにあずかり光栄です。しかし私には宝の持ち腐れでした」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の肩を抱き寄せた。
「貴女をこの場所をずっとお連れしたかったのです。貴女こそ、この場所にふさわしい方ですから」
「まったく……」
 ギギュロ王に肩を抱かれたまま、ランカシーレ女王はずっと熱っぽい視線に晒されていた。
 ランカシーレ女王はドレスの裾をつまみ、くるりと回ってギギュロ王の腕を振りほどいた。
「よいでしょう。この景色をもって最強の武器とおっしゃるのであれば、あなたこそ最強の王に他なりません。ほんとうに素敵なお芝居でございました」
 ランカシーレ女王はギギュロ王に大胆に歩み寄り、ピンヒールの先でぐりぐりとギギュロ王の靴を踏んだ。そしてギギュロ王の胸板を乳房で三度撫ぜた後に、ドレスの裾をたくし上げてギギュロ王の傍から離れた。
「ランカシーレ女王」
「何でしょう?」
 ランカシーレ女王はガウンの裾をつまんでくるりと回った。トレーンやガウンのみならず、堅固な建物や雄大な景色までもがランカシーレ女王に従っているかのように感じられた。
「ランカシーレ女王ともあろうお方が、何を勘違いしているのです? まだ最強の武器をお見せしていないのですが」
 すべてがランカシーレ女王に従順なはずの空間で、ギギュロ王だけはランカシーレ女王に不服の意を呈した。そしてギギュロ王は大股でランカシーレ女王に近づき、女王のしっくいのような顎をくいと持ち上げた。
「どうやらランカシーレ女王は、私がただ景色を見せたかったのだと誤解しているらしい」
「誤解も何も、ほかに何があるとおっしゃるのです?」
 ランカシーレ女王は微笑みを絶やすまいとしながらも、必死にギギュロ王を押し離そうとしていた。しばらくはテコでも動かなかったギギュロ王は、やがてねっとりした一瞥をランカシーレ女王に与え、踵を返して部屋の中央に再び大股で歩み寄った。
「ランカシーレ女王。海の向こうに大きな島が見えるでしょう?」
「ええ……」
 ギギュロ王は半球の水晶のそばにしゃがみ込んだ。
 ランカシーレ女王が水平線を見渡すと、いやでも目に付く大きな島があった。大洋に浮かぶあの島は、方角からして――。
「フィアーインスル諸島のうちの一つ、アヴァガク島です」
 ランカシーレ女王に背を向けたまま、ギギュロ王は低い声で告げた。
「もし我がサルトマーレ国があの島に攻め入るとするならば、どういうことが起きるのか……よく見ていてください」
 ギギュロ王は半球の水晶に手をかざした。
 ギギュロ王がなにやら水晶に向かって呟いているようだが、ランカシーレ女王には聞き取れなかった。しかしそれでも、水晶が次第に赤い光を放ち始めたことには気づかないわけがなかった。
「一体何をなさるのです……?」
「静かに! 狙いが外れてはいけない!」
 ギギュロ王が様々な角度から手をかざすたびに、水晶の発する赤い光は幾段も強まっていった。
 やがて赤い光は強烈な閃光となり、ランカシーレ女王を襲った。
「きゃあっ!」
 ランカシーレ女王はガウンの袖で目を覆った。
 そしてその数秒後、空気を震わせるほどの大轟音が響きわたった。


「な……何が起こったというのです……!?」
 赤い光はいつの間にか消えていた。
 ギギュロ王は立ち上がり、膝の汚れを払い落とした。
「ここからアヴァガク島を砲撃したのですよ、ランカシーレ女王。最強の兵器と神の力があれば、この程度などたやすいことです」

 一陣の風が、展望台を吹きぬけた。しかしランカシーレ女王はドレスの裾を押さえることも忘れて、アヴァガク島からごうごうと立ち上る真っ黒な煙に目を奪われてしまっていたのだった。
 それはまさに、最強の兵器の荒々しい挨拶に他ならなかった。






「そんな……! いったいどうやって……!?」
 ギギュロ王に詰め寄ろうとランカシーレ女王はドレスをたくし上げたが、ギギュロ王によって「来てはいけない!」と制された。
「国家機密を教えるわけにはまいりません。いくら貴女とはいえ、この兵器に近づくことは許可できません」
 ランカシーレ女王はピンヒールをコトリと床につけ、ドレスの裾を正した。
「ランカシーレ女王。その代わりと言っては何ですが」
 ギギュロ王は半球の水晶を、煤けた人差し指できゅっと擦った。
「貴女が望む場所を、私がこの兵器で砲撃してみせましょう」
「それで満足せよとおっしゃるのですか……?」
 ギギュロ王は首肯した。ランカシーレ女王は口許に手をあて、眉をひそめた。

 たしかに、望む場所をどこでも砲撃できるのであれば、この上なく強力な兵器であるといえよう。ギギュロ王の手かざし一つで、要塞であろうと工場であろうと壊滅させることができるのだから。
 しかし同時にランカシーレ女王は、ある疑念を捨て去れなかった。それは、今まさにほんとうに兵器の威力を見せつけられたのか、それともただの偶発的な出来事を「兵器」の威力だと騙られただけなのか、という疑念だった。
 ランカシーレ女王はその疑念の真偽を確かめる必要があった。そのためにも、ランカシーレ女王がいま気まぐれに選んだ場所を兵器で砲撃できるのかどうかを、はっきりさせねばなるまい。
 もちろん「兵器」の威力が本物である場合にそなえて、人のいない場所を選ぶべきだろう。となると、海上、孤島、山頂などが候補として挙げられる。――否、その程度の候補しか挙げられえない、と言うべきだろうか。いずれにせよ、そのような場所を「ランカシーレ女王が気まぐれで選んだ」だとはいえない。
 だったらいっそのこと、ランカシーレ女王が一番知りたい答えをギギュロ王から引き出せばいい。
 すなわち――ギギュロ王がその「兵器」でいったい何を企んでいるのか、だ。

 ランカシーレ女王はドレスの裾を握りしめた。
「ギギュロ王。そこまでおっしゃるならば……レイネ川の上流の、我が国との国境付近の流域を攻撃なさい」
「国境付近……ですか」
 ぎらりとした視線がギギュロ王から向けられた。
「ひとつ間違えば、貴女の国にも被害が及んでしまいます。それでもかまわないというのですか?」
 ランカシーレ女王は生唾を飲み込んだ。「ひとつ間違えば」という文句はただの脅しなのか。それともほんとうの警告なのか。それこそがランカシーレ女王の欲する答えだった。
「かまいません。あなたの兵器による砲撃を、私は見たいのですから」
「……分かりました。でしたら正確無比の砲撃を、御覧にいれてみせましょう」
 ギギュロ王は再び人差し指できゅいっと水晶をひと擦りすると、再び水晶のそばにしゃがんだ。
 半球の水晶に煤けた手がかざされた。間もなくして赤い光が水晶の中に宿り、次第にその光は強まっていった。しかしランカシーレ女王は水晶から目を離し、レイネ川の上流に目を凝らした。

 真っ赤な光が閃光となってあたりを包むや否や、大地が震えるほどの爆発音が鳴り響き、城全体が揺さぶられた。

 ランカシーレ女王は国境付近から立ち上がる黒い煙を苦々しげに睨みつけながら、かりっと奥歯をかみしめた。
「いかがです、ランカシーレ女王?」
 気が付くと、ギギュロ王が大股で歩み寄ってきていた。
「少しでも手許が狂えば大惨事を引き起こしかねない砲撃でしたが、私の腕に狂いはありませんでした」
「ええ……そうでしょうとも」
 ランカシーレ女王はギギュロ王をキッと睨みつけた。

 大惨事を引き起こしかねない、だなどとよく言ったものだ。裏を返せば、大惨事をいつでも引き起こせる、ということではないか。

「ランカシーレ女王、これで分かったではありませんか? 我が国の最強の兵器があれば、貴女の国を守ることなど造作もないことであると」
 ギギュロ王はギラギラした視線のまま近づき、ランカシーレ女王の顎をくいと持ち上げた。ギギュロ王の野心に燃える瞳からは逃れられなかった。
「そこで提案なのですが……貴女のために我がサルトマーレ国が防衛と交易を担うのであれば、もはや貴女は我がサルトマーレ国の統治権を持つ存在だといえるでしょう。なにしろ我がサルトマーレ軍も例外でなく、統治権を持つ者のために戦うのですから」
 ランカシーレ女王の両肩に、ギギュロ王の太い指がぐいと食い込んだ。
「そこで是非とも貴女に、サルトマーレ国の統治権を与えたいのです」
「統治権……っ!?」

 ランカシーレ女王は、道中の馬車でレビアに告げた言葉を思い出した。サルトマーレの国王を篭絡すればサルトマーレ国の統治権など容易く手に入るだろう、という傲り高ぶった言葉だ。
 しかし今まさに、ギギュロ王の口から「統治権」という言葉を告げられたのだ。嘘から出た誠とはこのことだろうか。ランカシーレ女王はサルトマーレ国の統治権をこうも容易く得てしまうのだろうか。



「ランカシーレ女王。貴女をサルトマーレ国の共同統治者として迎えたい。我がサルトマーレ国の女王として、そして私の妃として迎えたいのです」



――それは疑いようもなく、ランカシーレ女王の望んだ「統治権」とは異なるものであった。



「嫌です、そんな!」
 ランカシーレ女王は思わず身体をのけぞらせた。しかしギギュロ王はランカシーレ女王の腰に手を回し、ぐいとその身体を抱き寄せた。ランカシーレ女王の豊満な乳房が、ギギュロ王の胸板でたわんだ。
「何が嫌なのです、ランカシーレ女王? 女王が二つの国を統治するという事態など、珍しくともなんともない話です。ただ単に貴女がゴットアプフェルフルス国とサルトマーレ国の両方において、それぞれ異なる伴侶を持つだけの話なのですから」
「それが嫌だと申しているのです!」
 ランカシーレ女王はギギュロ王を、ガウンの袖に包まれた細腕で押し離そうとした。しかし樫の幹のようなギギュロ王の身体はびくともしなかった。
「なぜ貴女が嫌がるのか、私には理解できません。貴女のような素晴らしい女性こそ、我がサルトマーレ国に相応しいのですから。サルトマーレ国には強力な軍隊や最強の兵器に加え、有力な交易手段も多数掌握しています。だからこそ貴女は全サルトマーレ国民の母となり、私の妃となり、ともにサルトマーレ国の繁栄に注力すべきです」
「いい加減なことをおっしゃらないで! 私がサルトマーレ国であなたの妃になった際に、あなたが私をどう扱うかくらい想像がつきますもの!」
「……なるほど」
 ギギュロ王はランカシーレ女王の身体をくっと押し離した。ランカシーレ女王の乳房はドレスの中で整えられ、ガウンは静かに舞った。
「とすると……貴女はよもやお好きではないのでしょうか。私とともにサルトマーレ国の世継ぎを作ることを」
「当然です! 私はゴットアプフェルフルス国の世継ぎしか作るつもりはありませんもの!」
 ランカシーレ女王は荒い息を整えようとした。しかしギギュロ王の言葉はさらにランカシーレ女王を先んじていた。
「世継ぎを軽んじるとは、貴女はなかなかに興味深い女王です。しかし貴女が今どう考えていようとも、私と貴女はこの王城でともに共同統治者として暮らすのですよ?」
 ギギュロ王の口からは、次第に獲物を狙う狩人の息が漏れていた。
 ランカシーレ女王は思わずドレスの裾を握りしめた。
「そのようなことをして、私の主人はどうなるのです!? 主人と離れ離れだなんて、我慢なりません!」
「そう心配せずともよいでしょう、ランカシーレ女王。きちんと彼のことも考えてあります」
 ランカシーレ女王は虚を衝かれた。そのため、白桃のような頬に煤こけた手を添えさせることを許してしまった。



「ゴットアプフェルフルス国の古城にて年に一度しか会えない男のことなど、すぐに忘れさせてあげますから」



 気が付けば、ランカシーレ女王はギギュロ王の頬に平手打ちを食らわせていた。
 頬をさするギギュロ王の反対側の頬に、ランカシーレ女王はさらに思いきり平手打ちを食らわせた。
「愚かなことをおっしゃらないで!」
 ランカシーレ女王はカツンとピンヒールを鳴らした。
「私の主人はいかなるときでも私の主人です。主人を軽んじることは私を軽んじることだとお思いなさい」
「……なるほど」
 ギギュロ王のギラギラした目は、相変わらず獲物を狙う狩人のそれであった。
「私では、貴女のいうご主人が務まらない、ということですか」
「おっしゃるとおりでございます!」
 気圧されぬよう、ランカシーレ女王はさらにピンヒールを床に打ち付けた。
 しかしそれは、若くして猛々しい国王に火をつけることとなった。
「ランカシーレ女王。貴女が王配をどう考えていようとも、関係ないのです。遅かれ早かれ、私が貴女のご主人となるのですから」
「何が言いたいのです……!?」
 ランカシーレ女王は一歩退いた。ギギュロ王がぬっと近寄ってきたからだ。
 しかしその白磁のような腕を、ギギュロ王は煤けた手で鷲掴みにした。
「私の提案を拒んだ貴女の未来がどのようなものになるかなど、想像難くないのではありませんか?」
 ギギュロ王の目がぎらりと光り、ランカシーレ女王を射抜いた。



 そういうことか、とランカシーレ女王は息を吐いた。
 この新進気鋭の国王もまた、欲しいものを得るためには手段を選ばないのだろう。
 むろん、ここで肉体的な暴力に出ず、政治的な暴力に及んだ点については評価すべきだろう。
 刹那的な快楽でなく、長期的な快楽を求めるのであれば、ここでランカシーレ女王に政治的な取引を持ちかけたほうが有益だ。
 そうしてランカシーレ女王を我が物にしてしまえば、芋づる式にゴットアプフェルフルス国のすべてが手に入る。
 ランカシーレ女王が築いてきた全てを、この新進気鋭の国王は奪いされるのだ。
 唯一、ランカシーレ女王の王配とやらは、年に一度しか会えない存在と化してしまうことにはなるが。

「最強の兵器とは、私を守るための盾でなく、私を我が物にするための武器……ということでしょうか」
「やはり貴女は察しのいい女性です」
 ギギュロ王の返答は、簡潔なものだった。

 やはりそういうことか。
 女王一人に武器の威力を見せつければ、脅しとして充分機能しうる。
 合理的に考えれば、いずれすべてを奪われるのであれば、なるべく兵の命を無駄にしたくない。
 となるとランカシーレ女王が今すべきことは、その身をギギュロ王に捧げることだ。
 サルトマーレ国の新しい妃として、両国を立派に治めればよいだけだ。
 なんと簡単な話であることか。

 ランカシーレ女王は苦笑した。
「なにがおかしいのです?」
と問われたが、「いえ、何も」とだけランカシーレ女王は口にした。

 もしこの場にレビアがいさえすれば、きっとランカシーレ女王に有益な言葉をかけてくれたことだろう。
 否、レビアでなくともよい。リウヴィユであれ、ユーグであれ、ブラビラオ皇帝であれ、ランカシーレ女王に同じく有益な言葉をかけたことだろう。
 王配であるパクリコンだけは、ランカシーレ女王がどのような選択をしようとも責めたりはするまい。しかしそれでもひとつだけ助言をしてくれるならば、きっとこう告げてくれたことだろう。



――どんなに最強の兵器をもってしても、破壊できないものがある。
――夫婦の絆と、我が子への愛だ、と。



 ランカシーレ女王は、すっとドレスの裾をたくし上げた。
 深雪のように白い膝の凹凸が、はっきりと見えるほどに。

 ギギュロ王の目が丸くなった。
「どうか、私からのお返事を受け取っていただけませんか?」
 ランカシーレ女王はさらにドレスをたくし上げた。ふいに風が吹けば、白磁のような太腿が露わになってしまうほどだった。
「……なるほど。貴女が賢王と呼ばれる所以が分かりました。こうも物分かりがよく、合理的な判断ができる女王というものは、ほんとうに貴重ですから」
「ええ。そう自負しておりますもの」
 ランカシーレ女王はピンヒールを響かせながら、ギギュロ王に一歩、また一歩と近づいた。
「共同統治。私とあなたで両国を治めるとなれば、なんと素敵なことでしょう」
「ランカシーレ女王! やはり私の妃に相応しい!」
 ギギュロ王はぎとぎとした目をさらに輝かせ、ランカシーレ女王の腰にぐいと手を伸ばした。
「もう待ちきれません! 今日中にでも、婚姻の儀を執り行いましょう! そして舞踏会のためにやってきた人々の前で、永遠の愛を誓うのです!」
 ギギュロ王の煤けた指が、ドレスの裾の中に忍び込んできた。ランカシーレ女王の柔らかな太腿に、煤の跡が残った。
 ランカシーレ女王は妖艶な笑みを浮かべ、さらにドレスをたくし上げた。わずかな風が吹くだけで、ランカシーレ女王の純白の下着は何度もその姿をのぞかせた。ギギュロ王の指を拒むものは、もはや純白の下着だけとなった。
「あなたが私の夫になってくださるだなんて……!」
 ランカシーレ女王はギギュロ王に密着した。女王のドレスの中で、ギギュロ王の指は純白の下着の奥へと入りこもうとしていた。
「あなたという人は、本当に――」
 ランカシーレ女王はドレスの裾を、あらん限りたくし上げた。






「ばかーーーーーーー!」






 それは空気を切り裂くような声だった。
 次の瞬間、ランカシーレ女王はピンヒールの踵でギギュロ王の足を思い切り踏みつけた。
 「ぎゃあああああああっ!」
 痛みに耐えかね、ギギュロ王はよろけた。
 その隙を逃さず、ランカシーレ女王はギギュロ王を突き飛ばした。そしてピンヒールを響かせながら、半球の水晶のもとへと駆けよった。
 水晶の表面には、たくし上げられたドレスの間から覗く純白の下着映っていた。
「こんなものなど!」
 ランカシーレ女王は右足を思いきり持ち上げ、ピンヒールの踵を水晶に力の限り踏み下ろした。
 ピキリと乾いた音を立て、水晶表面は一瞬にして真っ白に曇った。
「砕いてさしあげます!」
 ランカシーレ女王は再び右足を高くかかげた。しかしピンヒールの踵がひびの中央に蹴りおろされる直前に、ぐいとガウンの裾が引っ張られた。
「きゃああっ!」
 ランカシーレ女王はバランスを崩し、純白の下着を露わにしたまま臀部を床に打ち付けてしまった。
「やめろ、ランカシーレ女王!」
 見ると、伏したままのギギュロ王がランカシーレ女王のガウンの裾を捕らえられていた。ランカシーレ女王はさらに水晶に蹴りを入れようと脚を伸ばしたが、わずかに水晶には届かなかった。
 ギギュロ王は腕力に物を言わせてガウンを手繰り寄せた。そのたびにランカシーレ女王の身体は少しずつギギュロ王のもとへと引きずられていった。
「先ほど私は貴女のことを賢い女王だと言ったが、こうも早々に取り消さざるをえないことになろうとは!」
 ランカシーレ女王はギギュロ王に抱きかかえられた。そしてガウンの裾が脚に巻き付けたかと思うと、そのまま鉄格子の上へと投げ飛ばされた。
「痛い……っ!」
 むき出しの鉄格子に、ランカシーレ女王の身体は打ち付けられた。
「これだけひびが入ってしまっては直すのも一苦労だ……。もし幾度も蹴られていれば、完全に破壊されていたかもしれない……」
 そうつぶやきながら、ギギュロ王は足を引きずりつつランカシーレ女王に近づいた。
「舞踏会では二人の婚姻の儀を執り行いましょう。もはや貴女に、逃げ場はありません」
 ギギュロ王はランカシーレ女王のドレスの裾を鉄格子のうえに蹴り入れ、昇降機のレバーを乱暴に押し下げた。 



 歯車と鎖が音を立てて動き始めた。
 ランカシーレ女王は動くことすらできなかった。
 それはランカシーレ女王のピンヒールが鉄格子にはまってしまっていたからだろうか。
 それとも――ギギュロ王の射殺すような視線に、身じろぎすらできなかったからだろうか。

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Author:パクリコン
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