ドレスたくしあげて、35章目

 書いたぞ!

 ランカシーレ城の入口に馬車が到着してもなお、まだ月は雲に隠れたままだった。
 馬車から降りてきたランカシーレ女王は、どんな曇り空よりも暗い顔を呈していた。そのため、女官の一人は慌ててほかほかに温まったタオルをランカシーレ女王の頬にあてがおうとしたほどだった。
「ありがとうございます、皆様」
 応接の間にある枯草色のソファに腰かけ、ランカシーレ女王は蒸されたタオルをぐっと顔に押し付けた。じんわりと身体中の緊張が解きほぐれてゆくのを感じた。
「少しの間だけ、独りにさせてくださいませ」
 心配そうにランカシーレ女王の顔を覗き込もうとする女官たちですら、今や煩わしいとすら思えてならなかった。一人、また一人と女官たちの足音が遠ざかっていった。
「……リウヴィユ。私を独りにしろと命令したはずですよ?」
「理不尽な命令に背くのもまた、家臣の役目です」
 すべての女官たちが部屋を出て行ってもなお、落ち着いた声の持ち主がそこに立っていた。心配しているからなのか、はたまた呆れているからなのか、ひょっとしたら馬鹿にするためなのか、そんなことすらランカシーレ女王は読み取れなかった。
「……どんな命令であっても、家臣は従うべきです。私の夫を見習いなさい。かつてあの人は、“私を殺せ”という命令にも従ったのですよ?」
「王配殿下には王配殿下のやり方があります。だからこそ王配殿下は女王陛下と結ばれたのでしょう。しかしだからといって、最愛の夫と同じ振る舞いを、家臣に求めないでいただきたいものです」

 最愛の夫。
 よその国王との婚姻を結びかけた女王にとって、王配はほんとうに最愛の夫なのだろうか。国のための婚姻関係だからしかたがない、と割り切るならば、そんな打算的な女王が「最愛の夫」という言葉を口にすることなどあまりにもおこがましすぎるのではなかろうか。

 ランカシーレ女王はタオルをテーブルの上に放り投げた。しかし宰相は、テーブルの向こうから動こうとしなかった。
「仰りたいことがあるならば、遠慮なく仰いなさい。そうでないならば、さっさとこの部屋から出てお行きなさい」
「女王陛下が胸のつかえを吐露してくださるまで、この部屋を出るつもりはありません」
「馬鹿なことをおっしゃらないで……」
 ランカシーレ女王はうつむくより他無かった。馬鹿げたことを言っているのは自分自身であると痛いほど理解していたからだ。
「……リウヴィユ。くだらないことをお尋ねします」
「何なりと」
「……よその男との婚姻を宣誓する書類に署名をするような女に、“最愛の夫”という言葉を口にする道理があると思いますか?」
「あります」
「……ほんとうのことをおっしゃいなさい」
「最愛の人がいようがいまいが、婚姻関係など容易く結ばれえるからです。多くの王族にとって、その伴侶は最愛の人ではありません。女王陛下のように、最愛の人との婚姻を貫いた王族のほうが、よほど珍しい存在です」
「……存じております」
 ランカシーレ女王が平民上がりの男と結婚すると知れ渡ったとき、多くの貴族から反対を受けたものだった。婚姻ひとつで他国の財産を動かせるようになるのだから、君主は他国の王族と結婚するのが妥当だ。結婚相手が王族でなく貴族であっただけでも壮絶な反対を受けるというのに、あろうことか女王は平民と結婚しようというのだ。「あんな奴よりこの人のほうがよほどマシだ」と言われた回数など、ゆうに千回を超えていた。
「しかし女王陛下。こちらからもくだらないことを訊きますが……女王陛下はほんとうに婚姻誓約書に署名をしたのですか?」
「……しましたよ。何をいまさら」
「だとしたら、なぜギギュロ王は女王陛下との婚姻を大々的に発表しないのですか? あれほどまでに女王陛下との一大発表を行うとうそぶいていたのが嘘のように、ギギュロ王は婚姻について口を閉ざしたままです」
「……呆れた王ですこと。せっかくの婚姻だというのに」
「女王陛下。家臣を手玉に取るのはそろそろ終わりにしていただきたいものです」
 リウヴィユはテーブルを飛び越えて、ランカシーレ女王の前に跪いた。その端正な顔だちを崩さぬまま、リウヴィユはランカシーレ女王のドレスの裾に、手の甲に、指輪に、激しい口づけを施した。
「あまりに手玉に取ろうとするとしっぺ返しを食う、ということを身に染みて思い知ったはずです。宰相もまた例外ではありません。もし女王陛下に最愛の人などいないと言うのであれば、私は遠慮なく今すぐ女王陛下の唇を奪いますが」
 クヌギの枝のような指で、くいっと顎を持ち上げられた。髪と同じブラウンの理知的な瞳で見つめられ、あやうく唇同士が触れてしまうところだった。ランカシーレ女王は思わずリウヴィユの頬を平手打ちしようとしたが、女の華奢な手首などたやすく掴まれてしまうものだった。
「馬鹿なことをなさらないで……」
「だったら素直に言ってください! ギギュロ王に婚姻誓約書を渡して、キスのひとつでもしたのかと訊いているのです!」
「キスするわけないでしょうに……。そのかわりに、ギギュロ王の顔面に婚姻誓約書を無理やり押し付けてやったのですから……。あれだけ風が吹いていたバルコニーでの出来事です……。きっと婚姻誓約書など、探すのが相当困難なほど遠くへ飛ばされてしまったことでしょうに……」
 ランカシーレ女王はリウヴィユから目を逸らせた。互いの息が交わるほどの距離で、ランカシーレ女王は宰相の顔など直視できなかったからだ。
 ランカシーレ女王は両腕を握られたまま、ソファに押し付けられつつあった。すでにランカシーレ女王のドレスにのしかかるように、リウヴィユの身体は迫っていた。もしピンヒールで蹴り飛ばすならば、ドレスを完全にたくし上げねばならないだろう。しかしリウヴィユの前で下着を晒すことなどとうていできなかった。それくらいにリウヴィユの下腹部もランカシーレ女王にせまっていたからだ。
「そのことを知っているのは他に誰がいますか?」
「……一人の宰相と、ギギュロ王の数名の側近だけです。少なくとも今もなお、ギギュロ王に命じられた近衛兵が婚姻誓約書を探しているはずです」
「ふむ」
 リウヴィユはしばらく黙りこくっていた。
 ランカシーレ女王と鼻と鼻が触れ合ってもおかしくないほどの距離だったので、ランカシーレ女王は気が気でならなかった。気が付けばリウヴィユはランカシーレ女王の膝の上にまたがり、完全にランカシーレ女王の逃げ場を完全に封じてしまっていた。
 以前に城庭でリウヴィユとレビアの会話を盗み聞きしたときの状況と、まったく変わりなかった。むろん、組み伏せているのが夫ではなくリウヴィユである、という点だけは大きく異なるが。
「……ねえ、リウヴィユ? そろそろどいてくださりません?」
「なぜです?」
「ほら。私を独りにするよう命じたのに、ずっと貴方と二人っきりですし。それに、こんな姿勢だと誤解を招きかねないでしょう?」
「……失礼しました」
 リウヴィユはランカシーレ女王の膝から降り、ドレスの裾を手に取ってキスをした。ちらりとドレスの中を覗きみられたような気がしたが、覗きみられたで済んだのなら安いものだ。
 リウヴィユが離れるやいなや、ランカシーレ女王は急いでソファから立って窓辺へと向かった。ドレスの裾は花弁のようにふわりと舞い、紅色の絨毯の上で落ち着いた。
「リウヴィユ。良からぬ噂話が立つまえに、この部屋から出ておゆきなさい。少しの間、独りにしてほしいのです」
「かしこまりました」
 リウヴィユは恭しく一礼し、応接室の扉をゆっくりと閉めた。
「……さて」
 ランカシーレ女王は窓から見える塔を見やった。
 全ての問題は、あの塔に兵器を残しておいたことが原因となっている。あの兵器さえ無ければ、ゴッドアプフェルフルス国には何の脅威もない。だったら取り除くまでだ。
 ランカシーレ女王はドレスの裾をたくしあげ、ベランダに通じる戸に歩み寄った。ドレスの裾は衣擦れの音だけを残し、ランカシーレ女王に従った。トレーンもガウンも、ランカシーレ女王に全く従順だった。
 従順でないものが一つあるとするならば、それは戸だった。ランカシーレ女王が音を立てないようにと慎重に取っ手を回しても、戸はまったく開かれようとしなかった。どこか錆びついているのだろうか、がたぴし言うばかりで全く戸は開かなかった。
 ギギュロ王が作った城で、錆びついているということなどあるのだろうか。そう思いながらも力強く取っ手を回したとき、応接間の入口が大きな音を立てて開かれた。
「思った通りですね、女王陛下」
「リウヴィユ……!?」
 さきほどまでの端正さをかなぐり捨て、怒りを顕わにしたリウヴィユが大股で近づいてきた。
「その戸は外側から閉めています。女王陛下があの塔へと向かわないように、と」
「私しかあの塔の兵器を破壊できないのです! 止めようとしても無駄ですよ!」
「……ふむ」
 声こそ荒げていなかったが、それがむしろリウヴィユの底知れない怒りを際立たせていた。
 何を思ったのか、リウヴィユはいきなりランカシーレ女王の腰を両手で掴み、肩へと担ぎ上げた。
「きゃああっ!」
「お静かに。変な噂話が立ってしまいます」
 己の金髪で遮られたランカシーレ女王の視界の向こうには、紅色の絨毯とリウヴィユの背中しか映らなかった。いくら手を振り回しても、脚をばたつかせても、、リウヴィユの背中にわずかに触れる程度だった。
「おやめなさいっ! 女王に対し何ということをっ!」
「女王が単身で敵の兵器庫に忍び込もうとするのであれば、それを止めるのが宰相の役目です」
 リウヴィユに何度も揺さぶられ、ランカシーレ女王のドレスの裾は幾度も乱れた。
「やめてっ! おろしてっ!」
「宰相一人相手にできないようでは、女王陛下など兵器庫の番兵に対し何の役にも立ちません」
 リウヴィユに担がれたまま、ランカシーレ女王は応接間の更に奥の廊下に運ばれていった。そこは窓も無く、ろうそくだけがゆらめく石畳の廊下だった。
 ランカシーレ女王は何度もリウヴィユの背中を強く叩いたが、リウヴィユの歩調はまったく変わらなかった。そればかりか、リウヴィユの指がつーっとランカシーレ女王の臀部を伝った。
「いやぁっ!」
「この程度で音をあげるのですか? たいていの男なら、もっと奥まで責めてしまいたくなるものですが」
 リウヴィユに運ばれた先は、窓もない小部屋だった。ぞんざいに立てられた数本の蝋燭の明かりの中で、古びたベッドだけが石畳の上に置かれてあった。
 この部屋に閉じ込められてしまえば外には出られまい、と誰もが思うことだろう。
「しばらくはここでおくつろぎください、愛しの女王陛下」
 リウヴィユに両脚を掴まれ、ランカシーレ女王はベッドの上に放りなげられた。
 もんどりうった拍子に、パニエがめくれてドレスがランカシーレ女王の顔に覆いかぶさってきた。下半身の風通しから察するに、リウヴィユの眼前にはランカシーレ女王の下半身が下着だけをまとってさらけだされていることだろう。
「リウヴィユ、お願いっ! やめてっ!」
「愛しの女王陛下には、しばらくの休息が必要のようです」
 もがく両脚の足首を掴まれ、ぐいっと股を広げられた。
「やあぁんっ!」
「休息にはキスが必要です。愛しの女王陛下の大事なところに、愛する宰相からのキスをしてあげましょう」
 高く足首を持ち上げられた。もはやランカシーレ女王の秘部に何かを挿入することなど、今のリウヴィユには赤子の手をひねるようなものだ。
 そうしてリウヴィユはランカシーレ女王の敏感なところに口唇を近づけ――。





「ごゆっくりお休みください、女王陛下」





 ランカシーレ女王の下半身にブランケットをかけて、リウヴィユは退室した。






 ランカシーレ女王がパニエの位置をやっとこさ直したときには、部屋の扉に錠がかけられる音が響いていた。
 ランカシーレ女王は、さきほどキスされた敏感な場所をさすった。
 両足の甲には、まだリウヴィユの口唇の感覚が残っていた。



「……まったく、酷い宰相を持ったものです」



 キスをする場所によって、その意味は異なる。
 それはゴットアプフェルフルス国でも同様だった。
 口唇へのキスは「家族愛」、頬へのキスは「友愛」、手の甲へのキスは「従順さ」、指輪へのキスは「忠誠」。
 そして足の甲へのキスは――「あなたに全てを捧げる覚悟」。

 そのためだろうか。
 蝋燭の明かりがゆらめく扉の向こうから、「天井の隅の板を外してあります」との囁き声が聞こえてきた。

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